旧上杉伯爵邸に残る小さな祈りの建物
米沢市上杉記念館仏間棟は、旧上杉伯爵邸を構成する複数の建物のうち、最も小さな一棟である。建築面積はわずか24平方メートル。客間棟の西側に接して建ち、銅板葺の宝形造りの屋根の下に、六畳の間とひとつの仏壇を収めるだけの規模にすぎない。記念館を訪れる人の多くは、この建物が独立した文化財登録を受けていることに気づかないまま通り過ぎる。
建物を含む邸宅そのものには、長く波乱の多い来歴がある。上杉家は明治29年(1896年)、米沢城二の丸跡に十四代当主で米沢藩最後の藩主であった上杉茂憲の本邸を建てた。鶴鳴館と呼ばれたこの最初の邸宅は、大正8年(1919年)5月の米沢大火で類焼している。再建は大正10年代を通じて進み、落成の祝宴が開かれたのは大正14年(1925年)であった。仏間棟はこの再建によって生まれた建物である。
邸宅は昭和25年(1950年)に上杉家から米沢市へ譲り渡され、長く中央公民館として使われた。昭和54年(1979年)からは上杉記念館として一般に開かれ、現在は郷土料理や米沢牛を提供しながら、庭園と敷地を公開している。
登録有形文化財としての価値
この建物は登録有形文化財である。国宝や重要文化財といった指定文化財の区分の下に位置づけられる制度で、平成8年(1996年)に始まった。明治期以降の建築のうち、より厳格な指定の枠から外れる多くの近代建造物を保護することを主な目的とする。指定が厳しい現状変更の規制を伴うのに対し、登録は届け出を基本とする緩やかな枠組みをとり、所有者が保存と報告に努めることを前提とする。使いながら守るという考え方であり、いまも来館者に食事を出し続ける旧上杉伯爵邸は、その考え方が働いている一例といえる。
設計者の存在も、この建物への関心を深める。再建の設計を担当したのは、米沢出身で藩士の家に生まれた建築家・中條精一郎であった。東京帝国大学で建築を学び、明治37年から40年(1904年〜1907年)にかけて英国ケンブリッジ大学に留学している。このとき同行したのが、後に彼が邸宅を再建することになる上杉家の世子・上杉憲章であった。帰国後の明治41年(1908年)には曾禰達蔵とともに事務所を設け、戦前日本で最大規模の民間建築設計組織へと育てている。重要文化財となった慶應義塾図書館も彼の手によるものである。仏間棟はその経歴のなかでは小さな仕事だが、文化庁の登録記録は、簡素ながら洗練された意匠の純和様の建物として、その造形を高く評価している。
施工を担ったのは、上杉家に出入りしていた職人の江部栄蔵であった。外部の請負業者ではなく、家に出入りする職人が手がけた点は、一家の私的な信仰の場という建物の性格に合っている。
見どころ
まず目を引くのは屋根である。宝形造りといい、正方形の平面が棟をもたず、四方の勾配が頂点の一点へ集まって低い四角錐のような形をつくる。この形式は小堂や宗教的な建物に用いられることが多く、母屋の延びやかな入母屋屋根とは性格を異にする。銅板の表面は年月を経て柔らかな緑色に変わっている。
内部では、六畳の間の背後に仏壇が据えられている。その壁面は、花唐窓の形をかたどった縁取りで飾られる。花唐窓は、上部が尖頭状に反り返る釣鐘形の窓で、もとは禅宗様の建築とともに日本の建物に取り入れられた意匠である。ここではそれが実際の開口部ではなく、仏壇を囲む装飾的な輪郭として描かれている。寺院の語彙を住まいの祭祀の場に静かに借りた表現といえる。
これを、この建物が仕えた一族の格に重ねてみたい。上杉家は十六世紀を代表する武将のひとり上杉謙信を祖とし、その後の世紀を通じて大名家として続いた家である。祖先の祭祀のための独立した建物を構えたことは、面積こそ小さくとも、再建された邸宅が客を迎え、ときに皇族を泊める場であるだけでなく、一家の信仰を引き継ぐ場として意図されたことを示している。
周辺案内
仏間棟は客間棟に付属する奥まった建物であり、見学路の一区切りとして設けられたものではない。訪問の楽しみは、建物群を全体として見ることにある。この邸宅は大広間・玄関棟から土蔵や門にいたるまで九件の登録を受けており、それらをあわせて読むことで、一室だけを見るよりも豊かな像が浮かび上がる。
もっとも気軽に楽しめるのは庭園だろう。東京の浜離宮を模して造られたこの庭は、米沢三名園のひとつに数えられ、自由に歩くことができる。敷地は松が岬公園のなかにあり、上杉謙信を祀る上杉神社に隣り合う。神社は毎年春の上杉まつりの時期に多くの人を集める。歩いてすぐの伝国の杜には、藩にまつわる甲冑や文書などの資料が収められている。食事については、改革を進めた藩主・上杉鷹山のもとで凶作に備えて記録された救荒の料理、いわゆる「かてもの」を、米沢牛とともに味わえる市内でも数少ない場所である。
Q&A
- 仏間棟の内部に入れますか。
- 客間棟の奥に付属する小さな祈りの場で、独立した展示として整えられてはいません。邸宅は主に開放された庭園と母屋、そして食事を通して楽しむ形になります。当日の利用状況によって見られる範囲が変わるため、館内のどこを見学できるかは現地の係員にお尋ねください。
- 入館料はかかりますか。
- 庭園は自由に歩くことができ、敷地から建物を眺めるのも無料です。食事は有料で、特に午後から夕方は予約をおすすめします。営業時間や対応は変わることがあるため、訪問前に館へご確認ください。
- 設計したのは誰ですか。
- 再建された邸宅の設計は、米沢出身で戦前日本を代表する建築設計事務所のひとつを共同で設立した中條精一郎によります。仏間棟の施工は、上杉家に出入りしていた職人の江部栄蔵が担いました。
- 宝形造りとはどのような屋根ですか。
- 正方形の平面の上で、屋根の勾配が頂点の一点に集まり、水平な棟をもたない四角錐状の形をとる屋根です。小堂や宗教的な建物に多く用いられる形式で、家の仏壇を収める建物にふさわしいものといえます。
- どうやって行けばよいですか。
- 米沢市中心部の松が岬公園内、上杉神社の隣にあります。米沢駅から徒歩またはバスで向かうことができ、自動車の場合は近隣に駐車場があります。
基本情報
| 名称 | 米沢市上杉記念館仏間棟(よねざわしうえすぎきねんかんぶつまとう) |
|---|---|
| 所在地 | 山形県米沢市丸の内1-3-60 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号 06-0009 |
| 登録年月日 | 平成9年(1997年)6月12日(告示は6月24日) |
| 年代 | 大正14年(1925年) |
| 員数 | 1棟 |
| 構造 | 木造平屋建、銅板葺、建築面積約24平方メートル |
| 設計・施工 | 設計 中條精一郎/施工 江部栄蔵 |
| 所有者 | 米沢市 |
| 公開状況 | 庭園は無料で開放。建物は敷地から見学可。営業時間や食事は事前に館へ確認のこと。 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00000185
- 上杉伯爵邸(公式サイト)上杉伯爵邸について
- https://hakusyakutei.jp/about/
- 上杉記念館(やまがたへの旅)
- https://yamagatakanko.com/attractions/detail_1880.html
- 上杉記念館(米沢観光ナビ)
- https://travelyonezawa.com/spot/hakusyakutei/
最終更新日: 2026.06.18