漢書食貨志第四:日本に伝わる古代中国経済史の至宝
名古屋市の中心部に位置する大須観音(正式名称:北野山真福寺宝生院)が所蔵する国宝「漢書食貨志第四」は、中国古代の最も重要な歴史書のひとつである『漢書』の一部を書写した貴重な写本です。「食貨志」は、世界最古の経済史として広く知られる章であり、前漢時代の農業政策・貨幣制度・商業活動を詳細に記録しています。この写本は奈良時代から平安時代初期(8世紀〜9世紀頃)に書写されたもので、現存する『漢書』写本としては世界でも最古級の一本です。
漢書と食貨志とは
『漢書』は、後漢の歴史家・班固(32〜92年)が編纂した中国正史の第二番目にあたる歴史書で、前漢(紀元前206年〜紀元後8年)の歴史を本紀・表・志・列伝の四部構成、全100巻にわたって記録しています。「食貨志」はその第24巻にあたり、上下二篇に分かれています。上篇は農業政策と食料生産を、下篇は貨幣制度・商業・手工業を扱い、古代中国の国家経済運営を詳細に伝える、経済史研究の基本文献です。
大須観音所蔵の本写本は、この食貨志の上巻を収めたもので、唐代の大学者・顔師古(581〜645年)による注釈が付されています。顔師古の注は『漢書』理解の標準的な参考資料として歴代の学者に重んじられてきたものであり、本写本はその注釈を含む最古級の伝本として極めて高い学術的価値を持っています。
写本の特徴と歴史的背景
本写本は巻子本(かんすぼん)の形態をとり、縦約27センチメートル、全長約13メートル11センチメートルの巻物です。黄麻紙(こうまし)20枚を継いで作られており、淡墨の界線の中に端正な書体で書写されています。黄麻紙は奈良時代の公的な文書や典籍に用いられた上質な料紙であり、当時の写経所や官府における書写文化の水準の高さを示しています。
特に注目すべきは、巻末尾題に押された朱方印「式部之印」です。これは律令制下の八省のひとつである式部省(しきぶしょう)—官人の人事や大学の管理を担った中央官庁—の印と推定されており、本写本がかつて式部省に所蔵されていたことを示唆しています。奈良時代の国家学術機関と直結する来歴は、この写本の歴史的重要性をさらに高めるものです。
また、紙背(しはい)には聰肇法師撰の『阿弥陀経義疏』が書写されており、その末尾には嘉保二年(1095年)の書写奥書があります。これは貴重な料紙を再利用する中世の慣行を示すとともに、本写本が少なくとも11世紀末には存在していたことを証明する重要な年代情報となっています。
なぜ国宝に指定されたのか
「漢書食貨志第四」は1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。その主な理由として以下の点が挙げられます。
第一に、世界的にも最古級の『漢書』写本であること。『経籍訪古志』や『古逸叢書』にも収録される著名な本として、書誌学の世界で長く注目されてきました。第二に、顔師古注付きの写本として、テキストの伝承過程を解明するための貴重な一次資料であること。後世の刊本にはない異読や表記が含まれている可能性があり、文献学的研究に不可欠です。第三に、「式部之印」の存在が、奈良時代の国家機関における中国古典の受容と保存の実態を物語る歴史的証拠であること。そして第四に、紙背の『阿弥陀経義疏』と嘉保二年の奥書が、写本の伝来過程を知る手がかりを提供していることです。
大須観音と真福寺文庫
本写本を所蔵する大須観音(宝生院)は、真言宗智山派の別格本山であり、日本三大観音のひとつに数えられる名刹です。元弘3年(1333年)、後醍醐天皇の勅願により、僧・能信が現在の岐阜県羽島市大須に真福寺を開山しました。能信は学問にも秀でた僧で、国内外の貴重な典籍を精力的に蒐集し、その経蔵は「真福寺文庫」(大須文庫)として知られるようになりました。
戦国時代には織田信長が寺領を寄進し、慶長17年(1612年)には徳川家康がこの比類なき蔵書を水害から守るため、寺ごと名古屋城下の現在地へ移転させました。現在も約15,000巻の蔵書を伝え、国宝4件・重要文化財37件を含む日本有数の古典籍コレクションとして、「真福寺本」「大須本」の名で書誌学者に知られています。なお、本写本は東大寺東南院からもたらされたものと考えられています。
見どころ・訪問ガイド
「漢書食貨志第四」の実物は現在、名古屋市博物館に寄託されており、特別展などの限られた機会にのみ公開されます。公開頻度はごくまれで、十年単位で展示される場合もありますので、訪問前に名古屋市博物館の展示スケジュールをご確認ください。
一方、大須観音の境内は自由に参拝でき、昭和45年(1970年)に再建された朱塗りの本堂や仁王門、「華精の鐘」と呼ばれる鐘楼堂など、見応えのある建造物を楽しむことができます。毎月18日と28日には骨董市が開催され、2月の節分会では室町時代から続く「福の神鬼追いの儀式」が行われます。
周辺情報
大須観音の門前に広がる大須商店街は、名古屋でも有数の活気あるエリアで、約1,200もの店舗が軒を連ねています。グルメ、古着、電化製品、サブカルチャーなど多彩なジャンルの店が並び、伝統とモダンが融合した独特の雰囲気を楽しめます。
文化施設としては、名古屋市科学館(世界最大級のプラネタリウムを備える)や名古屋市美術館が白川公園内にあり、徒歩圏内です。織田信長の父・信秀ゆかりの万松寺も近くにあります。また、地下鉄で数駅の名古屋城は名古屋観光の定番スポットです。
Q&A
- 漢書食貨志第四の実物を見ることはできますか?
- 現在は名古屋市博物館に寄託されており、通常は非公開です。特別展や企画展で展示されることがありますが、頻度は非常に低く、十年単位になることもあります。名古屋市博物館の展示情報を事前にご確認ください。
- 大須観音へのアクセス方法は?
- 名古屋市営地下鉄鶴舞線「大須観音駅」2番出口から徒歩約3分です。名古屋駅からは東山線で伏見駅へ、鶴舞線に乗り換えて1駅で到着します。
- この写本の何が世界的に貴重なのですか?
- 奈良時代から平安時代初期(8〜9世紀頃)に書写された、顔師古注付きの『漢書』写本として世界最古級のものです。古代日本の国家機関「式部省」の印が残されており、日中文化交流の歴史を物語る一級の史料でもあります。
- 大須観音にはほかにどんな国宝がありますか?
- 本写本のほかに、現存最古の『古事記』写本(南北朝時代、賢瑜筆)、『琱玉集』巻第十二・第十四(天平19年書写奥書)、『論語(正始本)』残巻の計4件の国宝を所蔵しています。
基本情報
| 名称 | 漢書食貨志第四(かんじょしょくかしだいよん) |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(書跡・典籍) |
| 指定年月日 | 1951年(昭和26年)6月9日 |
| 時代 | 奈良時代〜平安時代初期(8〜9世紀頃) |
| 形態 | 巻子本 1巻 |
| 法量 | 縦27cm、全長約13m11cm |
| 料紙 | 黄麻紙 20枚 |
| 紙背 | 阿弥陀経義疏(聰肇法師撰)、嘉保二年(1095年)書写奥書あり |
| 所有者 | 宝生院(大須観音 / 北野山真福寺宝生院) |
| 所在地 | 愛知県名古屋市中区大須2丁目21-47 |
| 寄託先 | 名古屋市博物館 |
| アクセス | 名古屋市営地下鉄鶴舞線「大須観音駅」2番出口より徒歩約3分 |
| 拝観料 | 境内自由(博物館は展覧会により異なる) |
参考文献
- 国宝 漢書食貨志第四 — WANDER 国宝
- https://wanderkokuho.com/201-00572/
- 国宝漢書食貨志第四 — 愛知県教育委員会 文化財ナビ
- https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/shoseki/kunisitei/0612.html
- 大須観音について — 大須観音公式サイト
- https://www.osu-kannon.jp/about/bunko.html
- 大須観音(真福寺宝生院) — 名古屋コンシェルジュ
- https://www.nagoya-info.jp/spot/detail/13/
- 古事記1300年 大須観音展 — 名古屋市博物館
- https://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/special/past/tenji121201.html
- 大須観音 — Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%A0%88%E8%A6%B3%E9%9F%B3
- Shihuo zhi 食貨志 — ChinaKnowledge.de
- http://www.chinaknowledge.de/Literature/Historiography/shihuozhi.html
最終更新日: 2026.03.18