範永宅歌合・越中守頼家歌合――平安王朝の歌合を伝える一巻

愛知県蒲郡市の港町に、平安時代の貴族文化の香りを今に伝える一巻の古写本が静かに守り伝えられています。重要文化財「範永宅歌合・越中守頼家歌合」は、約千年前に開かれた二つの歌合(うたあわせ)の記録を一巻に収めた、紙本墨書の貴重な遺品です。昭和34年(1959年)に国の重要文化財に指定されたこの巻物は、和歌をめぐる平安貴族たちの研ぎ澄まされた感性と、地方と都を結ぶ文芸の往還を今に伝えています。

歌合とは何か

歌合とは、平安時代に貴族の間で盛んに行われた文芸の催しです。歌人たちを左方(さかた)と右方(うかた)の二組に分け、与えられた題に従って和歌を一首ずつ詠み、判者(はんざ)と呼ばれる審判役が左右の歌の優劣を一番ごとに判定するという、知性と教養を競う公の場でした。判定の言葉である判詞(はんし)は、やがて文学批評や歌論として独立した重みを持つようになり、後代の和歌史に大きな影響を残しました。

記録に残る最古の歌合は、仁和元年(885年)の在民部卿行平家歌合とされ、9世紀末以降、しだいに盛んとなりました。12世紀初め、堀河天皇の命を受けて編纂が始まり、元永・大治年間(1118〜1131年頃)に成立したとされる『類聚歌合』二十巻本は、200回を超える歌合を集成した古典的な大冊です。本作品は、その二十巻本のうち二つの歌合各十番、料紙六枚分が残された、まさに古典中の古典の断片といえます。

収められた二つの歌合

越中守頼家歌合(天喜元年・1053年)

巻中の一つは、天喜元年(1053年)八月に越中守源頼家が任国で催した歌合です。源頼家は、源頼光の子で、平安中期に活躍した受領層の歌人集団「和歌六人党」の一人。備中守・越中守・筑前守などを歴任し、『後拾遺和歌集』以下の勅撰集に九首が入集しています。この歌合は、春・夏・秋・冬・恋・祝の各題二題ずつ、計十番で構成されていますが、方人(かたうど)や判者の名は伝わらず、頼家自身による「自歌合(じかうたあわせ)」ではないかとも推定されています。注目すべきは、ここに詠み込まれた越中の地名――立島・鹿汲川・無景水・櫛田杜・三島・木葉郷・渋谷浦・石西渡・名子続橋・二神山など――が、奈良時代に越中守として赴任した大伴家持以来の歌枕として、平安期の都人の想像力を刺激し続けていたことを物語る点です。

範永宅歌合(天喜六年・1058年)

もう一つは、天喜六年(1058年)八月に成立した「範永宅歌合」です。別名を「丹後守公基朝臣歌合」とも称し、主催者は公基、判者は和歌六人党の指導的存在であった藤原範永が務めました。秋の十題、十番からなる、洗練された都の歌合の姿を今に伝えています。藤原範永は、『後拾遺和歌集』に十四首入集するなど勅撰集に計三十首を残し、家集『範永朝臣集』も伝わる、平安中期の代表的歌人の一人です。

重要文化財に指定された理由

本巻が国の重要文化財として位置づけられている理由は、複数の層に重なっています。第一に、『類聚歌合』二十巻本の伝本そのものがきわめて稀少であり、その中でも本巻は平安期の書写と認められる貴重な遺存例であること。第二に、ここに収録された二つの歌合は他に確実な伝本がほとんどなく、本巻なくしては平安中期の地方歌壇および和歌六人党の活動の具体像を知ることができないという、文献学的・歌学史的価値を持つこと。第三に、料紙六枚を継いだ縦25.5センチ、全長268センチに及ぶ巻子本そのものが、平安時代の書のあり方を伝える美術工芸品として優れた価値を持つこと。これら三つの価値が相まって、昭和34年(1959年)6月27日付で重要文化財に指定されました。

魅力と見どころ

本作品の魅力は、その物理的な姿だけでなく、そこに保存された想像世界の広がりにこそあります。とりわけ越中守頼家歌合は、都から遠く離れた越中の任地で、頼家が、かつて家持が眺めた同じ海辺や山々を見つめながら歌に託した――そしてその記録が、現在は太平洋側の蒲郡という、まったく別の海辺の町に静かに伝わっているという、地理と時間を超えた往還の物語そのものです。

一方の範永宅歌合は、秋という季節を題にとり、都の貴族たちの繊細な美意識――月、紅葉、虫の音、別離――を凝縮した一場の文芸劇を映し出します。地方の内省と都の華やかさ。二つの歌合が一巻に並んでいることで、平安中期の和歌文化の二つの側面を同時に味わうことができるのです。

なお、本巻は民間企業の所有となっており、紙質保護の観点からも常時の一般公開はされていません。実物の展示機会を待つことになりますが、関連する歌合や平安期の古筆を体感したい方には、後述の関連施設の訪問をおすすめします。

蒲郡周辺と関連の文化施設

所在地の蒲郡市は、三河湾に面した風光明媚な港町で、観光地としても見どころの多い場所です。市のシンボルともいえる竹島は、本土と橋で結ばれた小さな緑の島で、島内には縁結びで知られる八百富神社が鎮座しています。三河湾沿いには温泉地、海の幸を楽しめる料理宿、静かな寺院などが点在し、名古屋から電車でおよそ一時間という好アクセスです。

越中守頼家歌合の舞台となった越中国の歌枕世界に触れたい方は、富山県高岡市の高岡市万葉歴史館を訪れるのがおすすめです。大伴家持と越中万葉の世界を多角的に紹介する専門館です。名古屋市内では、徳川美術館が平安・中世の古筆名品を多数所蔵しています。さらに東京国立博物館でも、『類聚歌合』をはじめとする平安期の和歌関係古典籍の断簡が、書跡部門の展示替えで折々公開されます。

Q&A

Q実物を見学することはできますか。
A本巻は蒲郡市内の民間企業の所蔵で、常時の一般公開は行われていません。関連する平安期の和歌・古筆資料については、徳川美術館や東京国立博物館の書跡関係の展示でご覧いただける機会があります。
Q越中で開かれた歌合の記録が、なぜ愛知県に伝わっているのですか。
A日本の古典籍は、長い歳月の中で多くの人々の手を経て伝わってきました。本巻の現所蔵地が蒲郡市であるのは、そうした伝来の歴史の積み重ねの結果であり、こうして大切に保管されてきたからこそ今日まで残されているといえます。
Q普通の和歌集と歌合の記録は、どこが違うのですか。
A和歌集が題別・作者別に和歌を整理した文献であるのに対し、歌合の記録は、一回の催しを再現する形で、左右に分けた歌のペア、方人や判者の名前、判詞などを記したものです。文学作品であると同時に、ある日の文化的出来事の歴史的記録でもある点が特徴です。
Qこの源頼家は、鎌倉幕府の二代将軍と同じ人物ですか。
Aいいえ、別人です。本巻の源頼家は11世紀の平安時代の歌人で、源頼光の子、和歌六人党の一人です。鎌倉幕府の二代将軍源頼家は13世紀初頭の人物で、約150年後の同名の別人物です。
Q和歌の専門家ではない人にとって、この作品の意義は何ですか。
Aこの巻は、文学が個人の表現であると同時に、地方と都を結ぶ社交の儀礼でもあった時代の様子を伝えています。日本人の自然観や季節感、土地への思いがどのように形作られてきたのかを知る、文化史的に大切な手がかりといえます。

基本情報

名称 範永宅歌合・越中守頼家歌合(のりながたくのうたあわせ・えっちゅうのかみよりいえうたあわせ)
指定区分 重要文化財(書跡・典籍)
指定年月日 昭和34年(1959年)6月27日
時代 平安時代
品質形状 紙本墨書 巻子装 料紙6枚
法量 縦25.5センチ/全長268センチ
内容 『類聚歌合』二十巻本のうち、両歌合各十番
所有者 音羽産業株式会社
所在地 愛知県蒲郡市港町
一般公開 常時の公開なし(民間所蔵)

参考文献

文化財ナビ愛知「範永宅歌合・越中守頼家歌合」(愛知県)
https://jmapps.ne.jp/aichi_bunkazai/det.html?data_id=1510
類聚歌合(ウィキペディア日本語版)
https://ja.wikipedia.org/wiki/類聚歌合
歌合(ウィキペディア日本語版)
https://ja.wikipedia.org/wiki/歌合
藤原範永(ウィキペディア日本語版)
https://ja.wikipedia.org/wiki/藤原範永
越中万葉歌の継承とその展開について――歌枕を視点に――(富山県博物館協会)
http://museums.toyamaken.jp/documents/documents018/
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index

最終更新日: 2026.04.30