現存最古の『古事記』写本
縦およそ23センチ、横15センチほどの小さな冊子が三帖。これが、いま伝わる『古事記』の写本のうち最も古いものである。書き写したのは賢瑜という僧で、応安4年から5年(1371〜1372)にかけて、名古屋・大須観音の名で知られる真福寺で筆をとった。『古事記』そのものは和銅5年(712)に成立したが、原本はとうに失われている。賢瑜が写したこの三帖は、その失われた本文の姿を、現存するどの写本よりもよく残している。
正式な指定名称は「古事記〈賢瑜筆〉」。昭和26年(1951)に国宝へ指定された。研究の場では、所蔵してきた寺の名をとって「真福寺本」と呼ばれることが多い。
『古事記』とは何を記した書か
『古事記』は、日本の成り立ちを神話と系譜の形で記した、現存する最古の歴史書である。国土の誕生と神々の時代に始まり、7世紀初めの推古天皇までを収める。伝承では、天武天皇が稗田阿礼に帝紀と旧辞を誦習させ、天武の没後、元明天皇の命を受けた太安万侶が筆録して712年に完成させたという。
神話的な内容が多く、史実としては慎重に扱うべき部分もあるが、日本の神々と初期の王統を語る基礎資料であることに変わりはない。国語学の上でも重い意味を持つ。安万侶は日本語の音を漢字で写す万葉仮名を用いており、ここに残された読みは、8年後に成った『日本書紀』よりも古い。『古事記』と『日本書紀』は記紀と並び称され、日本の書き言葉の出発点として読み継がれてきた。
なぜこの写本が重んじられるのか
『古事記』には、8世紀に近い時期の写本が一つも残っていない。本文は写しに写しを重ねて中世へ伝わり、その過程で系統がいくつかに分かれた。真福寺本は、そのうち伊勢本系統で最も古く、全三巻がそろう写本としても現存最古である。
奥書には、賢瑜が用いた底本の出どころが記される。上巻と下巻は大中臣定世の本、中巻は藤原通雅の本を写したとある。同じ伊勢本系統では、応永年間などに作られた三本(1381年・1424年・1426年)が知られるが、いずれも一部しか残らない。上中下の三帖をこの早い段階でそろって伝えるのは真福寺本だけで、現在の校訂本も、これを底本として作られている。
三帖そのものを見る
装丁は粘葉装。糸で綴じず、二つ折りにした紙の折り目を糊で貼り合わせる方式で、当時の仏典によく用いられた。賢瑜は、真福寺2世の信瑜のもとで学んだ僧で、信瑜は開山・能信の法を受け継ぐ流れにあった。賢瑜が筆をとったのも、師である信瑜の命によるものだった。
見た目を飾るための写本ではない。筆致は地味で落ち着いており、正確な本文を残そうとした学僧の手であって、技巧を競う能筆家のそれではない。その素っ気なさこそが価値の一つになっている。賢瑜が字形や読みの注記まで忠実に写したために、より自由な書き手なら現代風に直してしまいかねない古い読みが、14世紀の冊子の中にそのまま伝わった。公開の機会には、小さな文字がびっしりと並ぶ紙面と、ところどころに添えられた書き入れに、しばらく目を留めたい。
どこで見られるか
この写本を所有するのは、大須観音の通称で親しまれる宝生院である。ただし保存のため東京国立博物館に寄託されており、目にできるのは特別展などの限られた機会に限られる。2022年には里帰り展示として一時大須へ戻り、それ以前にも名古屋・奈良・福岡の展覧会に出ている。原本を見たい場合は、常設で出ていると考えず、博物館の開催情報を確かめてから足を運ぶのがよい。
大須観音そのものは年中無休で、境内は無料で入れる。寺の経蔵「大須文庫」には、平安から室町にかけての古典籍が約15,000点伝わり、その中には国宝4件と数十件の重要文化財が含まれる。寺院が守り伝える中世典籍の集まりとしては、国内でも有数の規模である。蔵書が常時公開されているわけではないが、境内と、その背後にある歴史をたどることはたやすい。
大須のまち
大須観音は、名古屋でも指折りのにぎわう一帯の西寄りに建つ。寺がこの地に移ったのは慶長17年(1612)、徳川家康の命により、名古屋城下町の建設にあわせて木曽三川のほとりから動かされた。山門の周りに育った商店街は、いまでは数ブロックにわたって続き、中古電器や古着の店、食べ歩きの屋台、小さな飲食店でにぎわう。
毎月18日と28日には、境内に骨董市が立つ。古い陶磁器や版画、さまざまな道具を並べる商人が集まる。現在の本堂は昭和45年(1970)の再建で、戦災で焼けた旧本堂に代わるものである。参拝と商店街歩きは、半日あれば無理なく一緒に回れる。
Q&A
- 大須観音で実物を見られますか。
- いいえ。原本は東京国立博物館に寄託されており、特別展などの限られた機会にだけ公開されます。境内は毎日入れますが、写本がどこかで常時展示されているわけではありません。
- 『古事記』と『日本書紀』はどう違うのですか。
- どちらも8世紀初めの成立です。『古事記』は漢字を音に当てる和風の文体で書かれ、神話や歌謡に重きがあります。『日本書紀』は正格の漢文で編まれた、年月を追う公式の歴史書です。
- 『古事記』は712年成立なのに、なぜ14世紀の写本が重要なのですか。
- それより古い写本が一つも残っていないからです。原本も初期の写しもすべて失われており、1371〜1372年の真福寺本が本文に最も近い現存資料であり、現代の校訂本の基準になっています。
- 大須観音の拝観は無料ですか。
- 無料です。境内と本堂への参拝に料金はかからず、本堂は6時から19時まで開いています。最寄りは地下鉄鶴舞線「大須観音」駅で、山門まで徒歩数分です。
- 指定名称の「賢瑜筆」とは何を指すのですか。
- 書き写した人を示します。賢瑜は本文を写した僧で、文化財の名称では、書写した人物が判明していて重要な場合に、このように筆者名を添えることがあります。
基本データ
| 名称 | 古事記〈賢瑜筆〉(真福寺本) |
|---|---|
| 所有者 | 宝生院(大須観音)/真言宗智山派 |
| 所在地 | 愛知県名古屋市中区大須2-21-47 |
| 指定区分 | 国宝(書跡・典籍) |
| 指定年月日 | 昭和26年(1951)6月9日 |
| 時代 | 南北朝時代・応安4〜5年(1371〜1372)書写 |
| 筆者 | 僧・賢瑜 |
| 員数 | 3帖(上・中・下) |
| 寸法 | 縦約23.3センチ・横約14.7センチ |
| 装丁 | 粘葉装 |
| 現在の保管 | 東京国立博物館に寄託。公開は特別展などに限られる |
| 拝観 | 境内無料・本堂は6時〜19時 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/574
- 大須観音(北野山真福寺寶生院)公式ホームページ
- https://www.osu-kannon.jp/
- 名古屋市博物館「古事記1300年 大須観音展」過去の展覧会紹介
- https://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/special/past/tenji121201.html
- 古事記 : 国宝真福寺本(国立国会図書館サーチ)
- https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000698640
最終更新日: 2026.06.05