十四行だけが切り取られた平安の巻子

古今和歌集巻第九断簡(蝋牋)〈伝俊頼筆〉は、『古今和歌集』巻第九の一部を蝋牋(ろうせん)に墨書した平安時代の古筆切で、昭和34年(1959年)12月18日に重要文化財に指定され、現在は愛知県内の個人が所有する。縦25.8センチ、横44センチの掛幅装1幅、指定番号01975、枝番00。本文は十四行である。

十四行というのは、指定物件としては短い。ただし、そこに何が書かれているか、そしてこの一枚が何の半分であるかを知ると、短さの意味は変わってくる。

旅の歌が二首

台帳は本文の書き出しと末尾を記録している。書出は「甲斐国に罷侍りける時」、末尾は「ふたみのうらはあけてこそみめ」。この二つで内容は特定できる。

巻第九は羈旅歌、全十六首の巻である。書出は406番から数えて十一首目、416番の詞書にあたる。作者は凡河内躬恒、『古今集』撰者四人のひとりである。歌は「夜を寒み置く初霜をはらひつつ草の枕にあまた旅寝ぬ」。甲斐国へ下る道中の作で、初霜という語から季は秋。「あまた旅寝ぬ」は「あまたたび」に「旅寝」を掛ける。

末尾は417番の下の句である。作者は藤原兼輔(877年から933年)、堤中納言と呼ばれた人で、紫式部の曽祖父にあたる。詞書は状況を具体的に語る。但馬国の湯へ向かう途中、二見の浦という所に泊まり、夕餉の乾飯(かれいい)を食べていたところ、同行の人々が歌を詠み始めたので、そのついでに詠んだ。歌は「夕月夜おぼつかなきを玉くしげふたみのうらはあけてこそ見め」。

掛詞の密度が高い。「玉くしげ」は櫛箱の美称で、その「蓋(ふた)」から地名「二見」を引き出す。「あけて」は箱を開けるのと夜が明けるのを重ねる。夕月ではよく見えないのだから、二見の浦は明けてから見よう、という運びになる。但馬の湯は城崎温泉と考えられているが、二見の浦の比定地は定まっていない。明石の二見とする説と、城崎近辺とする説が並んでいる。

つまりこの断簡には、撰者が甲斐へ下る寒い道と、貴族が名も定まらぬ浦で乾飯を食べる夕暮れとが、詞書ごと収まっている。十四行の分量に、平安の旅の歌の質感がそのまま入っている。

料紙が本体である

台帳の品質・形状欄は、他の物件に比べて具体的である。蝋牋墨書二枚継ぎ、第一紙黄色、第二紙朱色、各紙人物下絵あり、掛幅装。

蝋牋は中国渡来の加工紙である。紙の下に版木を置き、墨を用いずに文様を空刷りして凹凸を出し、表面に蝋質の光沢をもたせる。文様は斜めから光を当てたときにだけ浮かぶ。北宋期の工房が作り、平安の貴族はこれを舶載品として珍重した。使われるのは、それに値する書に限られた。

人物の下絵は珍しい。蝋牋の文様は牡丹唐草や宝相華、幾何文が普通である。大倉集古館の研究紀要は、本断簡の朱色の紙に刷り出された図像を、后とそれに従う貴婦人らの姿と読んだ。そして対をなす料紙が、同館蔵の国宝「古今和歌集序」のなかにある。そちらには、中国の宮廷と思われる場所にいる王と重臣らの姿が刷られている。二枚を並べると背景の建物の線がつながり、両者が向かい合う一つの構図になるという。

愛知の個人蔵の断簡と、東京の美術館の国宝が、料紙の水準では同じ一枚の絵の左右である。

巻子本古今集と、切断の理由

親本は「巻子本古今和歌集」と呼ばれる。12世紀初めの制作で、二十巻の歌に仮名序を加えた二十一巻の揃いだったとみられる。首尾完存するのは仮名序のみで、これが大倉集古館蔵の国宝である。料紙は白・濃朱・薄朱・藍・縹・草・黄と色を替えた唐紙三十三枚を継ぎ合わせている。巻第十三は残巻として伝わり、それ以外は断簡として散らばった。

散逸は偶然ではない。桃山期以降、茶の湯の広まりとともに、床に懸けるための短い古筆が求められるようになった。巻子一巻から掛物が十数点取れる。この需要が古筆切という分野を生み、同時に写本そのものを解体した。本写本の断簡は現在、東京国立博物館、京都国立博物館、畠山記念館、常盤山文庫、陽明文庫、前田育徳会などに分蔵されている。

伝称筆者の源俊頼(1055年から1129年)は、『金葉和歌集』の撰者で『俊頼髄脳』の著者として知られる歌人である。ただし「伝」の一字が示すとおり、これは署名ではなく古筆家による極めである。近年の研究は藤原定実(1077年から1119年)を筆者とする見方に傾いており、文化遺産オンラインは、同じ写本から出た巻第十六の断簡について定実筆と明記している。定実は藤原行成の曾孫にあたる。

名称についてひとつ補足しておく。国指定文化財等データベースでは「蝋」の字が表示できず、名称欄に置き換え記号が入っている。品質・形状欄に「蝋牋墨書」とあるとおり、正しくは蝋牋である。検索の際に名称欄の文字列がそのまま使えない点に注意したい。

見学の可否と、関連作を見る手立て

本断簡は非公開である。愛知県内の個人が所有し、展示施設はなく、台帳にも所在地の記載がない。撮影も不可である。書跡や料紙装飾をテーマとする展覧会に個人蔵の掛幅が出品されることはあるが、事前に確認できる予定表は存在しない。

同じ写本を実見したいなら、僚巻・僚紙のほうに道がある。大倉集古館(東京都港区虎ノ門)は仮名序を国宝として所蔵し、随時公開している。同館の所蔵は国宝3件、重要文化財13件を含む約2500件で、常設展示は重要美術品「獅子」のみとされているため、訪問前に現在の展覧会内容を確認する必要がある。文化遺産オンラインには、巻第四断簡と巻第十六断簡の項目が図版付きで公開されている。この料紙とこの書風がどのようなものかを確かめる最短の手段になる。

歌そのものを読むだけなら、どこへ行く必要もない。『古今和歌集』巻第九は十六首の短い巻で、注釈書も翻刻も容易に手に入る。416番と417番を続けて読むのに一分もかからない。本断簡を前にする前に、その一分を使っておく価値はある。書かれているのが何かを知っていると、十四行の見え方が変わる。

Q&A

Q古今和歌集巻第九断簡(蝋牋)は一般公開されていますか。見学や撮影はできますか。
A公開されていません。愛知県内の個人が所有し、展示施設を持たず、台帳にも所在地の記載がないため、訪問も撮影もできません。展覧会への貸出はあり得ますが、確認できる公開予定はありません。
Q古今和歌集巻第九断簡には、具体的にどの歌が書かれていますか。
A巻第九・羈旅歌の416番と417番が、詞書を含めて十四行に書かれています。416番は凡河内躬恒が甲斐国へ下る道中で詠んだ歌、417番は藤原兼輔が但馬の湯へ向かう途中、二見の浦で詠んだ歌です。
Q古今和歌集巻第九断簡の「蝋牋」とはどのような料紙ですか。
A紙の下に版木を置いて墨を使わずに文様を空刷りし、蝋質の光沢をもたせた中国渡来の加工紙です。本断簡は黄色の紙と朱色の紙を二枚継ぎとし、双方に人物の下絵が刷られている点が珍しいとされます。
Q古今和歌集巻第九断簡の筆者は誰ですか。「伝俊頼筆」とはどういう意味ですか。
A伝称筆者は源俊頼(1055年から1129年)ですが、「伝」は古筆家の極めによる伝承を示し、署名ではありません。同じ写本については、近年は藤原定実(1077年から1119年)を筆者とする見方が有力です。
Q古今和歌集巻第九断簡と同じ写本の書は、どこで見られますか。
A大倉集古館(東京都港区虎ノ門)が同じ写本の仮名序を国宝として所蔵し、随時公開しています。文化遺産オンラインでは巻第四断簡と巻第十六断簡が図版付きで参照できます。

基本データ

名称古今和歌集巻第九断簡(蝋牋)〈伝俊頼筆/(甲斐国に)〉(こきんわかしゅうまきだいきゅうだんかん)
所在地愛知県(個人所有のため所在地非公開)
指定区分重要文化財(書跡・典籍)/指定番号 01975-00
指定年昭和34年(1959年)12月18日
員数1幅
寸法縦25.8センチ、横44センチ/蝋牋墨書二枚継ぎ(第一紙黄色、第二紙朱色、各紙人物下絵あり)・掛幅装
所有者個人
公開状況非公開。展示施設なし。撮影不可

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)古今和歌集巻第九断簡
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/8546
文化遺産オンライン 彩牋墨書古今集巻四断簡〈(伝俊頼筆)/(題不知)〉
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/284399
文化遺産オンライン 古今和歌集断簡(巻子本)藤原定実筆
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/538059
公益財団法人大倉文化財団 大倉集古館 コレクション
https://www.shukokan.org/collection/

最終更新日: 2026.08.29