昭和二十七年まで一冊にまとまっていた古今集

名古屋の旧家に、『古今和歌集』の上巻が一冊の冊子としてほぼ完全な形で受け継がれていた。多くの古写本がすでに細かく切り分けられていた近代にあって、この本は完本のまま二十世紀まで残った。昭和二十七年(一九五二)三月、重要文化財に指定される。その後まもなく一部が分割され、各地の所蔵者の手に渡った。現在の指定対象は、こうして残った一帖である。

この残巻は「筋切(すじぎれ)」と呼ばれ、平安時代の古筆のなかでも評価の高い一群に属する。名称の由来、料紙の装飾、そして筆跡。この三つを順に見ていくと、十一世紀の歌集の数枚がなぜ重要文化財に数えられるのかが見えてくる。

『古今和歌集』という書物

『古今和歌集』は、三十一文字の和歌を集めた日本最初の勅撰集である。延喜五年(九〇五)頃、醍醐天皇の命により、紀貫之を中心とする四人の撰者が編纂した。貫之は漢文ではなく仮名で序文(仮名序)を記し、和歌そのものの価値を説いている。全二十巻、約千百首を四季・恋・羇旅・離別などの部立てに整理したこの集は、以後の和歌の規範となり、歌集編纂の手本となった。

本文が重んじられたため、平安期から後世にかけて美しい写本が繰り返し作られた。やがてその多くは、茶席や鑑賞のために掛軸や手鑑へ仕立てるべく小さく分割され、「古筆切(こひつぎれ)」と総称される断簡群を生んだ。筋切も、全巻をそろえた一具の豪華な写本から切り出された古筆である。

指定の理由

この残巻には二つの意義が重なる。平安後期の宮廷で『古今集』がどのように読まれ書写されたかを示す本文資料であること。そして、当時もっとも尊ばれた料紙装飾と仮名書の高い達成を示すこと。この両者をこれほどの水準で兼ね備える古写本は多くない。

評価を高めているのは、同筆とされる作例の顔ぶれでもある。元永三年(一一二〇)の奥書をもつ元永本『古今集』や、西本願寺本三十六人家集の書などが同じ手と認められている。こうした一群に連なる断簡は、平安宮廷の書の大きな達成の一片をなす。昭和二十七年の指定は、名古屋に残った冊子をその達成の一部として位置づけたものである。

見どころ

筋切は、時間をかけて眺めるほど発見がある。ふつうの古写本と一線を画すのは、書かれた料紙と、その上を走った筆である。

本来の用途を転用した料紙

料紙は無地ではない。漉(す)きの段階で文様が込められており、藍や紫の雲形に染め分けた飛雲(とびくも)や、細かな織目状の羅紋(らもん)が認められる。その上に金銀の揉箔(もみはく)を撒き、銀泥(ぎんでい)で下絵を施す。さらに銀泥の界線が引かれ、この線が細い筋のように見えることが「筋切」という名の由来となった。

この界線には小さな謎がある。料紙はもともと別の目的のために、横向きに五本の銀の線を引いて歌合用に整えられていた。それを『古今集』の冊子に仕立てる際、九十度回転させて竪(たて)に用いたため、横に走るはずだった線が縦方向に並ぶことになった。同じ料紙の裏面には篩(ふるい)に似た粗い布目があり、その裏面に書かれた断簡は「通切(とおしぎれ)」と呼ばれる。筋切と通切は、一冊の本の表と裏という関係にある。

能書家に擬されてきた筆

筆跡は長く藤原佐理(すけまさ)の手とされてきた。佐理は天慶七年(九四四)から長徳四年(九九八)まで生き、平安の三蹟に数えられる能書である。しかし後の研究で、書風が佐理自身の筆跡とは異なることが明らかになった。現在は、おおむね十一世紀末から十二世紀初頭にかけて活動した藤原定実(さだざね)の筆と推定されている。定実は世尊寺流の能書で、名筆として知られた藤原行成の曾孫にあたる。やや縦長で軽やかな運筆、漢字と仮名の調和に長け、和歌一首を二行から三行に収める書きぶりが特徴である。

筋切と、その仲間を見るには

指定品は個人蔵で、常時公開はされていない。訪ねて拝観できる性質のものではない。ただ、もとの冊子が大部で、多くの断簡に分かれたため、筋切や通切の関連葉は各地の主要な美術館・博物館に収まっている。東京国立博物館、京都国立博物館、五島美術館、出光美術館、藤田美術館などがその例で、古筆の展示替えの巡り合わせによっては一葉を見られることがある。

指定品にもっとも近い所蔵先として、同じ愛知県の小牧市にあるメナード美術館が筋切の断簡を収蔵している。光に弱い紙の作品を扱う多くの館と同様、こうした品は特定の展覧会の折にのみ公開される。拝観を望む場合は、出かける前にその時々の展示内容を確認しておきたい。

名古屋・小牧をめぐる

筋切が長く名古屋と関わってきたことから、名古屋は拠点に向く。市内の徳川美術館は尾張徳川家の蔵品を伝え、関戸本『古今和歌集』を所蔵する。これは同じ勅撰集の別系統の名高い断簡で、筆跡を異にし、かつて筋切を蔵していた同じ名古屋の旧家の名を冠している。両者が同時に展示される機会があれば、一つの古典がいかに多様に書き写されたかを知る得難い場となる。

名古屋の北に位置する小牧でも、半日を過ごせる。小牧山には、織田信長が永禄六年(一五六三)に築いた城の跡が残り、平野を見渡す短い登りが楽しめる。メナード美術館はその徒歩圏にある。いずれも名鉄小牧線の沿線にあり、名古屋中心部とは一時間足らずで結ばれている。

Q&A

Q指定品の筋切を直接見ることはできますか。
A原則として見られません。指定された残巻は個人蔵で、常時の公開はされていません。同じ冊子に由来する関連の断簡は、いくつかの公立美術館・博物館が所蔵し、古筆の展示替えに合わせて折々公開されています。
Qなぜ「筋切」と呼ばれるのですか。
A料紙に引かれた銀泥の界線が細い筋のように見えるためです。この写本から切り出された断簡が、その線にちなんで名づけられました。同じ料紙の布目のある裏面に書かれた断簡は「通切」と呼ばれます。
Q実際に書いたのは誰ですか。
A古くは平安の能書藤原佐理の筆と伝えられてきましたが、書風が佐理のものと異なります。現在は、十一世紀末から十二世紀初頭に活動した世尊寺流の藤原定実の筆と推定されています。
Q和歌そのものと、この写本とでは年代が違うのですか。
A『古今和歌集』の成立は延喜五年(九〇五)頃です。この写本は平安後期に作られた清書本で、勅撰集が編まれてからおよそ二世紀後の書写にあたります。
Q名古屋の近くで関連する古今集の写本を見られますか。
A名古屋の徳川美術館が関戸本『古今和歌集』を、近隣の小牧市にあるメナード美術館が筋切の一葉を所蔵しています。いずれも収蔵品を入れ替えて展示するため、訪ねる前に当該の展示内容をご確認ください。

基本情報

名称古今和歌集残巻〈(筋切本)〉
指定区分重要文化財(書跡・典籍)
指定年月日昭和二十七年(一九五二)三月二十九日/指定番号 01528
時代平安時代
員数一帖
伝称筆者伝藤原佐理。現在は藤原定実筆と推定
所在地愛知県
所有者個人
公開状況常時公開なし。関連断簡を公立館が所蔵

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/8177
文化遺産オンライン 古今和歌集巻第十一断簡(筋切)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/482889
文化遺産オンライン 古今和歌集 巻第四巻首(筋切)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/521785
文化遺産オンライン 古今和歌集断簡 筋切「おもふといふ」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/519964
メナード美術館
https://museum.menard.co.jp/
徳川美術館 関戸本古今和歌集切
https://www.tokugawa-art-museum.jp/
古今和歌集(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/古今和歌集

最終更新日: 2026.06.01