チガヤで組んだ馬を、川へ流す

愛知県一宮市の浅野水法地区では、毎年九月になると、刈り取ったチガヤを束ねて馬の形に組み上げる作業が朝から行われる。出来上がる芝馬は子どもの背丈を超え、胴に草を詰め終えるころには人ひとり分ほどの重さになる。目はナスにほおずきの実と唐辛子をあしらい、トウモロコシとナスで体の各部を表す。昼を過ぎて馬が完成すると、白山社の氏子の子どもたちが縄を握り、町内を引いて回る。行列は町のはずれにたどり着き、馬はそこで水に放たれて流れ去っていく。

これが「水法の芝馬祭」である。無病息災と厄除けを願う行事で、手づくりの馬を川へ送り出すという中心の所作が、この地で代々くり返されてきた。昭和五十五年(一九八〇年)に国が記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として選択し、昭和五十九年(一九八四年)には愛知県が無形民俗文化財に指定している。

蒙古襲来に起源を求める祭り

地元の伝えによれば、祭りの起こりは弘安四年(一二八一年)の元寇、いわゆる弘安の役にさかのぼる。北九州に攻め寄せた蒙古軍を迎え撃つため各地から戦士と軍馬が徴集され、この尾張の地で育てられた軍馬はとりわけ功を立てたと語り継がれている。突如の暴風によって蒙古の軍船の多くが漂流・水没したとき、人々はその難を逃れたのを神々の働きと受けとめた。軍馬の戦功をたたえ、神風を起こして国難を救った神々を迎えるため、草で神馬を作ったのが芝馬祭の始まりとされる。

どこまでが史実でどこからが伝承かを見定めることはできず、保存会もこの由来をあくまで言い伝えとして示している。確かなのは、この祭りが、飾り立てた馬を社寺に奉納する尾張・三河の馬の習俗の系譜に連なること、そして草の馬を川へ送るというその独特の形が、民俗学の関心を引いてきたことである。

文化財としての位置づけ

この祭りは二つの公的な位置づけを持つ。国の段階では、文化庁が昭和五十五年十二月十二日に、記録を残すべき習俗として選択した。これを受けて平成六年には愛知県教育委員会による映像記録も作られている。県の段階では、昭和五十九年三月三十日に愛知県の無形民俗文化財に指定された。

いずれの判断も同じ価値を指している。芝馬祭は、社の周囲で採れる材料だけを用いて一連の儀礼を完結させ、年齢ごとに子どもの役割をはっきりと定めて、説明ではなく参加によって受け継いでいく。チガヤ、藤づる、樫、畑の野菜に頼り、最後に馬を流れる水に解いてしまうという所作は、自らの田畑や草地が与えるもので季節の節目を画してきた農村の姿を、今に残す一例といえる。

芝馬はどう作られるか

支度は祭りの当日より前に始まる。馬に使う藤づるとチガヤはあらかじめ刈り取られ、乾いてもろくならないよう川に沈めておく。当日の朝には材料が社へ集められ、お清めをして、一日が無事に運ぶよう祈とうが行われる。差配にあたるのは年番と呼ばれる持ち回りの世話役で、その年の運営の責めを負う。

作業の手順は決まっている。長さをそろえたチガヤを束ね、縄と裂いた藤づるで締めていく。三枚によったチガヤがそれぞれ上あご、下あご、舌となり、重ね合わせて顔ができ、そこから胴を組み上げる。足には太い樫の木が四本あてられる。一頭に使うチガヤはおよそ七十から八十キロにのぼる。縛りはすべて自然の材で、藤づるを裂いて縄の代わりとし、顔にこしらえる「より」は先端からおよそ七回ひねるという。目をはじめとする飾りは最後に付けられ、馬は昼過ぎに仕上がる。昭和の終わりごろからは尾もつけるようになり、細い草やキビなどで作られる。

なぜチガヤなのかと関係者に尋ねると、答えは素朴な農の暮らしへ向かう。チガヤはこの地に多く生え、馬の飼料にされてきた。実際の馬をその草で養った人々にとって、祭りの馬を同じ草で組むのは自然なことだったのだろう。

子どもたちの引き回し

引き回しは、一日のうちで子どもたちのための時間であり、役割は学年で分けられる。小学一年から三年の年少組は、馬の後ろで縄を握って歩く。四年と五年は前にまわって縄を引く。六年生の二人にはいちばん難しい役が回る。胴の中ほどを片手で支え、胴を縛る藤づるが切れないように最後まで持ち上げ続けるのである。

道が舗装される前、荷を楽にする台車を使う前の様子を、年配の住民は今よりにぎやかだったと語る。チガヤは道のあちこちに抜け落ち、子どもの数は道いっぱいになって、車はただ待つほかなかった。行き着く先は昔も今も同じで、かつて水法川と呼ばれた、町の東を流れる現在の新般若用水である。馬はそこで放たれ、無病息災の願いとともに流れていく。

今、祭りを見るには

水法の芝馬祭は、浅野水法地区の白山社を中心に営まれる。記録に残るかぎり長らく旧暦八月一日の八朔に行われてきたが、平成三十年(二〇一八年)、より多くの家が参加できるようにと、保存会の判断で九月の第一土曜日に改められた。午後には馬が出立する前に社で神事が営まれ、引き回しはその後に用水へと向かう。

これは入場券を売る催しではなく地域の行事なので、見物する人は道端から静かに眺め、世話役の案内に従いたい。開始の時刻や経路は年によって変わりうるため、出かける前に一宮市へ最新の日程を確かめておくとよい。社は一宮の市街から近く、祭りとあわせて市内の名所をめぐる一日が組みやすい。

一宮をめぐる

一宮の名は、尾張国の一宮である真清田神社に由来する。主要駅にほど近い広い社で、夏の七夕まつりの時期にはまわりの通りが露店でにぎわう一方、人出の少ない日には鯉の泳ぐ池のある境内を静かに歩ける。市の南手では、妙興寺の寺域に隣り合って一宮市博物館が建ち、考古から長くこの地を支えた繊維の生業まで、地域の歴史をよく整理して見せている。朝に馬が形をなすのを見届けたあと、一日を市内で過ごすなら、この二か所は自然な組み合わせになる。

Q&A

Q水法の芝馬祭はいつ行われますか。
A平成三十年(二〇一八年)からは九月の第一土曜日に行われています。それ以前は旧暦八月一日の八朔でした。主な行事は午後で、白山社での神事から始まります。
Q芝馬は何で作られていますか。
A胴と頭はチガヤを束ねて作り、裂いた藤づるで縛り、足には樫の木を四本あてます。飾りには畑の作物を使い、目はナスにほおずきの実と唐辛子、ほかの部分にはトウモロコシとナスをあしらいます。一頭でおよそ七十から八十キロのチガヤを使います。
Qなぜ馬を川に流すのですか。
A流れる水に馬を放つことで、病や災いを送り出すためです。祭り全体が、地区の家々の無病息災と厄除けを願う祈りになっています。
Q白山社へはどう行きますか。
AJR尾張一宮駅または名鉄一宮駅から岩倉行きのバスに乗り、水法バス停で下車、徒歩約五分です。出かける前に一宮市へ開催の日程を確かめてください。
Q誰でも見学できますか。
Aできます。公道で行われる無料の地域行事です。道端から見物し、子どもと馬の進路を妨げないようにし、世話役の指示に従ってください。

基本情報

名称水法の芝馬祭(みずのりのしばうままつり)
所在地愛知県一宮市浅野 白山社
国の区分記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(選択) 昭和五十五年十二月十二日選択
県の区分愛知県指定無形民俗文化財 昭和五十九年三月三十日指定
種別風俗習慣(民俗行事)
保護団体浅野水法芝馬祭り保存会
開催日九月第一土曜日(かつては旧暦八月一日の八朔)
アクセスJR尾張一宮駅・名鉄一宮駅から岩倉行きバス、水法下車、徒歩約五分

参考文献

文化遺産オンライン(文化庁) 水法の芝馬祭
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/159618
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/312/394
芝馬祭保存会(水法白山社) 起源と由来
http://www.shibauma.org/kigen.html
一宮市 県指定文化財「水法の芝馬祭」開催のお知らせ
https://www.city.ichinomiya.aichi.jp/shisei/houdouhappyo/1064263/1067043/1067686.html
一宮市観光ナビ 芝馬祭
https://www.138ss.com/event/detail/22/

最終更新日: 2026.06.01