爲三郎記念館雪隠 ― 誰も使わないために建てられた、茶庭の小さな便所

建築面積はわずか1.8平方メートル。大人が二人並んで立つこともできない。しかも、建てた者の意図からして、ここで用を足すことは初めから想定されていなかった。名古屋の庭園の奥にひっそりと建つ杉皮葺の小さな建物は、書類のうえでは便所である。それでも国は2018年11月、この建物を登録有形文化財として登録した。

この雪隠は、映画興行で財をなした収集家の旧邸、爲三郎記念館の一画にある。物置ほどの広さしかない一室の便所がなぜ国の登録を受けたのか。その答えは、これがどういう種類の便所なのかにある。

砂雪隠とは何のためのものか

これは砂雪隠(すなせっちん)と呼ばれる。茶庭、すなわち露地に置かれる便所の一種で、茶の湯の作法のなかでも少々変わった慣わしのひとつである。茶人は茶室へ至る道筋を、客が席入りの前に心を静めるための一続きの空間として設えた。その道沿いに、慣例として二つの雪隠が置かれることがある。外露地の下腹雪隠は、いざというときには実際に使える。一方、内露地の砂雪隠は使わない。床には清められた砂が敷かれ、塵ひとつなく保たれ、入るためではなく眺められるために据えられている。

露地を歩く客は、足を止めてこれを拝見することもあった。役に立つかどうかが要点なのではない。誰も乱さない清浄な便所は、客が普段なら意識もしない隅々にまで亭主が心を配っていることのあらわれだった。俗世の塵を離れる場として露地をとらえる茶の湯の考え方のなかでは、便所さえもが清らかさと心配りについての小さな主張となったのである。

やがて砂雪隠は、建前のうえでは貴人のためのものとして扱われるようになった。内部には、立つ位置を示す役石が名を与えられて据えられ、蕨箒などの道具が用意されることもあった。爲三郎記念館の雪隠は、大寄せの茶の家元のためではなく、一私邸のために設けられた、この伝統のつつましい一例である。

便所が文化財になった理由

この雪隠は登録有形文化財である。よく知られた国宝や重要文化財よりも一段低い区分にあたる。登録制度は、傑作とまでは言えなくとも土地の景観をかたちづくってきた、おもに近代以降の膨大な数の建物を守るための仕組みである。登録は2018年(平成30年)11月2日付、登録番号は23-0520。登録の基準として挙げられているのは「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という一項だ。

単独で登録されたわけではない。同じ日、敷地内の六棟がまとめて登録されている。正門、東門、数寄屋造りの母屋である爲春亭、茶室知足庵、待合、そしてこの雪隠である。六棟をひとまとまりとして見れば、茶事のために客を迎えるべく整えられた昭和初期の庭園住宅が、欠けることなく残っていることになる。雪隠はその構成のなかでもっとも小さく、もっとも見過ごされやすい一棟だ。だからこそ、それが失われずに残ったことに意味がある。

建立は昭和前期、母屋が建った1934年(昭和9年)前後と記録され、邸宅が初めて公開された1995年(平成7年)に改修が施されている。員数は一棟である。

見どころ

雪隠は敷地の北辺、待合のすぐ西側に建つ。この二棟が並ぶことで、庭の後方の落ち着いた一景がかたちづくられている。桁行一間、梁間一間。屋根は片流れで、杉皮を重ねて葺き、入口の上には招屋根の小さな庇が差し掛けられている。

近づいて軒下を見上げてほしい。天井は張らず、丸太の垂木に木舞を打った化粧屋根裏としてあらわしにしてある。荒削りな自然の素材を隠さず、むしろ美の対象として扱う茶室と同じ、軽やかで正直な造作だ。

二つの窓も一見の価値がある。東面と、庭に向いた南面の中央に穿たれているのは下地窓。壁の下地である小舞を塗り残し、そのまま開口とした窓である。戸口は西面にある。これほど小さな建物でも、それぞれの開口が庭の道からどう見えるかを考えて配されている。

実用上の注意をひとつ。雪隠は中に入るのではなく庭の一部として眺めるものであり、現役の手洗いではない。用を足すための設備は敷地の別の場所にある。

雪隠を囲む邸宅と庭

雪隠の存在は、敷地の残りを歩いてみて初めて腑に落ちる。爲三郎記念館は、古川爲三郎(1890〜1993)の住まいだった。爲三郎は中部地方で映画・娯楽の事業を築き、103歳まで生きた人物である。母屋の爲春亭は1934年、茶事をもてなすための数寄屋として竣工した。斜面を生かして建てられており、入口側からは平屋に見えるが、庭側の下から仰ぐと懸造になっていることがわかる。茶室は山の斜面に組み込まれている。地元ではこの一体感を庭屋一如と言いあらわす。

庭は数本の大きな椎の木に覆われ、土地の高低差を生かした流れが通り、縁先には重い石の手水鉢が据えられている。爲三郎の没後、愛した住まいを人々の憩いの場にという遺志を受けて、邸宅は1995年(平成7年)11月、古川美術館の分館として公開された。本館は爲三郎が集めた近代日本画や陶磁器などを展示している。母屋のなかのカフェでは、爲三郎が長寿の秘訣とした抹茶が供され、入館料を飲食にあてることができる。

行き方は難しくない。敷地は地下鉄東山線の池下駅から歩いて二分ほど、名古屋の中心から数駅の距離にある。本館の建物もそこから一、二分のところだ。雪隠を見るということは、この邸宅全体を訪ねるということでもある。それが正しい見方でもある。来訪者の歩みをゆるめるために設えられた庭の、いちばん奥に置かれた静かで意図的な細部として眺めるのがよい。

Q&A

Q雪隠の中に入ることはできますか。
A入れません。これははじめから使うことを想定しない観賞用の砂雪隠で、現在は登録建造物のひとつとして庭の道から眺めるかたちになっています。用を足すための設備は敷地の別の場所にあります。
Q有名な寺社や城と同じ格の文化財なのですか。
A少し異なります。区分は登録有形文化財で、国宝や重要文化財より一段低い扱いです。登録制度は、土地の歴史的な景観をかたちづくる建物を幅広く守るための仕組みで、より日常的な建築も多く含みます。
Q爲三郎記念館へはどう行けばよいですか。
A地下鉄東山線の池下駅が最寄りで、そこから歩いて二分ほどです。古川美術館の本館はさらに一、二分の場所にあります。
Q雪隠のほかに見るべきものはありますか。
Aあります。雪隠は登録された六棟のひとつで、ほかに1934年竣工の数寄屋の母屋爲春亭、斜面に組み込まれた茶室、二つの門、待合があります。庭園と館内のカフェだけでも訪れる価値があります。
Qなぜ茶庭には使わない便所があったのですか。
A塵ひとつなく砂を敷いた便所は、客が普段は気にもとめない場所にまで亭主が支度を行き届かせていることを示しました。露地は俗事を離れるための道だという茶の湯の考え方のなかで、この細部もまた清らかさともてなしの意味を担っていたのです。

基本情報

名称爲三郎記念館雪隠(ためさぶろうきねんかんせっちん)
所在地愛知県名古屋市千種区掘割町一丁目9
指定区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日2018年(平成30年)11月2日(登録番号 23-0520)
登録基準国土の歴史的景観に寄与しているもの
時代・年代昭和前期(母屋竣工の1934年前後/1995年改修)
員数1棟
構造・形式木造平屋建、杉皮葺、片流れ・招屋根付、建築面積約1.8平方メートル
所有者公益財団法人古川知足会
アクセス地下鉄東山線 池下駅から徒歩約2分
公開状況古川美術館分館 爲三郎記念館の庭園内で観賞可能(入館料が必要)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「爲三郎記念館雪隠」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012549
古川美術館「爲三郎記念館(旧古川爲三郎邸)」
https://www.furukawa-museum.or.jp/hall/memorial
名古屋コンシェルジュ(名古屋市公式観光情報)「古川美術館・分館 爲三郎記念館」
https://www.nagoya-info.jp/spot/detail/51/
Aichi Now(愛知県公式観光サイト)「古川美術館(分館 爲三郎記念館)」
https://aichinow.pref.aichi.jp/spots/detail/2224/

最終更新日: 2026.06.17