津島神社の天王祭——五百年を越える川の祭礼と、半円に並ぶ三百六十五の提灯

七月第四土曜日の夕刻、愛知県津島市の天王川公園・丸池に、五艘の平底舟が静かに進み出る。各舟の中央には一本の真柱(しんばしら)が立ち、そのまわりに半円を描くように三百六十五個の提灯が据え付けられている。やがて如意点火(にょいてんか)と呼ばれる点火の儀が始まると、提灯が一つずつ灯され、池の水面に橙色の光がゆらめき広がる。これが、津島神社の天王祭——「尾張津島天王祭」の宵祭の始まりである。

祭礼は津島市と愛西市の二市にまたがり、津島神社と地元の町衆、そして愛西市佐屋地区の市江車組によって共同で営まれてきた。現在は新暦の七月第四土曜日と翌日曜日に行われるが、旧暦六月の祇園祭系の御霊会(ごりょうえ)に淵源を持ち、現存史料の一つ「大祭筏場車記録」によれば大永2年(1522年)にはすでに車楽舟(だんじりぶね)の置物人形に関する記述が見える。創始の時期は確定できないものの、十五〜十六世紀には都市祭礼として成熟していたと考えられている。

無形民俗文化財としての選択と指定

本件「津島神社の天王祭」は、昭和42年(1967年)3月に、記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として国に選択された。翌昭和43年6月には愛知県教育委員会が『津島祭・無形の民俗資料記録』を作成し、行事の構成・舟の構造・装束・楽器・所作などが詳しく記録されている。

その後、昭和55年(1980年)1月28日には、祭の中核をなす車楽舟行事の部分が「尾張津島天王祭の車楽舟行事」として重要無形民俗文化財に指定。さらに平成28年(2016年)12月1日、ユネスコの無形文化遺産代表一覧表に「山・鉾・屋台行事」(全国33件のうちの一つ)として記載された。一つの祭礼が、国の選択・国の指定・ユネスコ登録という三段階を経て国際的に認知された事例であり、近世都市祭礼の研究上でも欠かせない位置を占めている。

評価の根拠となっているのは、車楽舟の構造、提灯の配置法、津島笛と称される独自の囃子、能装束を模した人形の意匠、布鉾を奉じて川に飛び込む十人の所作——これら一連の所作・道具・音楽が、近世以来の形を比較的よくとどめている点である。

宵祭——半円に組まれた提灯の意味

宵祭の主役は、五艘の巻藁舟(まきわらぶね)である。二艘の平底舟を横に連結し、その中央に高い真柱を据える。真柱には十二個の提灯が縦に並ぶ。これは一年の十二の月をあらわす。さらに真柱から半円形に張り出した骨組みに、三百六十五個の提灯が配置される。一日一灯、つまり一年三百六十五日を象ったものとされる。

午後六時半頃、車河戸(くるまこうど)と呼ばれる船着き場で、如意点火が始まる。提灯は内側から順に灯され、最後の一個が点くまで約一時間半。八時十五分頃、五艘の巻藁舟は津島笛の音にあわせて御旅所のある対岸へとゆっくりと漕ぎ出る。水面に映る光の半円が、舟の動きにしたがって伸び縮みする様子は、津島の夏の象徴的な情景となっている。

花火を打ち上げるわけでも、賑やかな掛け声があるわけでもない。提灯と笛と水音だけで成立する祭礼であり、宵祭の魅力はその静謐さにある。

朝祭——市江車の鉾持と能人形

翌朝、舞台は一転する。津島五艘の巻藁舟は夜のうちに提灯を外し、車楽舟(だんじりぶね)へと飾り替えられる。屋台の最上部には能装束をまとった人形——いわゆる「能人形」——が据えられ、当番車には必ず「高砂」が乗る。残る四艘には毎年異なる能の演目から人形が選ばれる。

そこに、愛西市佐屋地区から市江車が先頭に加わり、合計六艘の車楽舟が天王川の旧河道——現在の丸池を漕ぎ進む。古楽が奏でられるなか、市江車の舳先に立った十人の若者が締め込み姿で布鉾を抱え、次々と水中に飛び込む。彼らは川を泳ぎ渡って岸に着き、布鉾を手に津島神社まで走り、神前に奉納する。

装束を整えた人形と、裸身で水に飛び込む鉾持。豪華さと素朴さが同時に並ぶこの構成こそが、朝祭が江戸期の風俗画や屏風絵にしばしば描かれてきた理由でもある。

かつての天王川、いまの丸池

祭の舞台となる丸池は、もとは天王川(津島川)と呼ばれる本流の一部であった。江戸時代、津島は伊勢と尾張を結ぶ湊町として栄え、天王川には全長およそ百二十メートルとされる天王橋が架かっていた。伝承では、隣接する勝幡(しょばた)城を本拠としていた若き日の織田信長が、この橋上から天王祭を観覧したという。

木曽川に御囲堤が築かれ、下流の佐屋川の河床が上昇したことで天王川は水害をたびたび起こすようになり、天明5年(1785年)に津島神社付近で築留めが行われた。明治期の木曽三川分流工事で佐屋川が廃川となり、楕円形の入江だけが残った。これが現在の丸池である。祭の規模は、川の規模に比べれば縮小しているといえるが、橋の遺構や御旅所の位置関係には、かつての河川祭礼の構造が読み取れる。

津島神社と門前町

祭の主宰社である津島神社は、八坂神社と並ぶ牛頭天王信仰の総本社として知られる。社伝では欽明天皇元年(540年)の創建とされるが、確実な史料に現れるのは十二世紀以降である。明治の神仏分離で「牛頭天王」の称号は外され、現在の主祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)となっているが、地元では今も「お天王さま」と親しみをこめて呼ばれる。

境内には、慶長10年(1605年)に清洲城主・松平忠吉の正室政子の方が寄進した本殿(重要文化財)や、天正19年(1591年)に豊臣秀吉が寄進した楼門(重要文化財)が残る。祭礼を訪れる際は、池畔の喧噪を離れて拝殿へ向かい、織豊期の建築をあわせて見るとよい。

訪れる際のポイント

会場の天王川公園へは、名鉄津島線・津島駅から徒歩約15分。名鉄名古屋駅から特急でおよそ30分の距離にある。祭礼期間中は周辺道路の交通規制が広範囲に及び、駐車場も非常に限られるため、公共交通機関の利用がほぼ前提となる。

有料の桟敷席(屋形桟敷・観光桟敷)と観覧席、観覧舟は津島市観光協会で事前販売される。例年、宵祭の人気席は早期に売り切れる。無料観覧の場合、丸池周辺の堤防上が候補となるが、宵祭では夕方には場所取りが終わっていることが多い。日中行われる朝祭は、宵祭に比べれば視認性がよく、初めての来訪なら一日目の宵祭で雰囲気を、二日目の朝祭で動きを見るのが順当だろう。

Q&A

Qいつ開催されますか。
A毎年7月の第4土曜日に宵祭、翌日曜日に朝祭が行われます。これは祭の中核となる二日間で、関連する祭事や神事は朝祭から数えて約75日にわたる長期構成です。
Q京都の祇園祭との違いは。
Aどちらも牛頭天王(祇園天神)を祀る御霊会を起源とし、夏の疫病退散を祈る祭礼という点では共通します。違いは舞台で、祇園祭が陸上を山鉾で進むのに対し、津島は川(現在は丸池)に舟を浮かべて行います。津島がかつて伊勢と尾張をつなぐ湊町だったことに由来します。
Q巻藁舟と車楽舟の違いは何ですか。
A同じ舟を、宵祭用と朝祭用で飾り直したものです。宵祭では真柱と提灯を組んだ「巻藁舟」、朝祭では能人形を据えた「車楽舟(だんじりぶね)」と呼びます。一晩のうちに装いが完全に変わる点が、この祭の構造的な特徴です。
Q有料席は必要ですか。
A必須ではありませんが、宵祭の点灯のクライマックスを正面から観覧したい場合は屋形桟敷席か観光桟敷席の確保をおすすめします。津島市観光協会で事前予約制で販売されており、人気席は早期に完売します。
Q雨天の場合はどうなりますか。
A基本的に少雨決行ですが、悪天候時の対応は年や状況によって異なります。公式情報は津島市観光協会のサイトと公式SNSで随時更新されるため、当日の天候が不安な場合は出発前にご確認ください。

基本情報

名称津島神社の天王祭(つしまじんじゃのてんのうさい)
通称尾張津島天王祭
文化財区分(昭和42年)記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択/昭和42年(1967年)3月
文化財区分(昭和55年)重要無形民俗文化財「尾張津島天王祭の車楽舟行事」に指定/昭和55年(1980年)1月28日
ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」の一件として代表一覧表に記載/平成28年(2016年)12月1日
保護団体尾張津島天王祭協賛会
開催日毎年7月第4土曜日(宵祭)および翌日曜日(朝祭)
主な会場天王川公園・丸池および津島神社(愛知県津島市)
アクセス名鉄津島線・津島駅から徒歩約15分/名鉄名古屋駅から特急で約30分
有料観覧席津島市観光協会で事前販売(屋形桟敷・観光桟敷・観覧舟など)

参考文献

文化遺産オンライン「津島神社の天王祭」(文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/170445
文化遺産オンライン「尾張津島天王祭の車楽舟行事」
https://bunka.nii.ac.jp/special_content/intangible/210013
津島市観光協会「天王祭について」
https://tsushima-kankou.com/tenno/about_tenno/
津島市公式サイト「尾張津島天王祭」
https://www.city.tsushima.lg.jp/shokai/matsurikyoudo/tennnoumaturi/tennoumatsuri.html
津島神社 公式サイト
https://tsushimajinja.or.jp/

最終更新日: 2026.05.18