徳雲寺とは
徳雲寺は、愛知県西尾市吉良町吉田にある浄土宗の寺院で、尼僧颯田本真の開いた寺として知られ、明治16年(1883年)建築の本堂と大正7年(1918年)建築の弁天堂が令和3年(2021年)2月4日に登録有形文化財(建造物)として登録された。
寺地は三河湾を干拓してできた平地にある。丘も坂もない。周囲は田と住宅が続き、遠くを見わたす視線をさえぎるものが少ない。
境内の中心は東を向いて建つ本堂で、北側に玄関棟が付く。本堂の東方には池があり、その端の基壇の上に小さな弁天堂が南を向いて建つ。本堂の所在地は吉良町吉田伝蔵荒子19、弁天堂は吉田八ツ田45で、地番は分かれるが同じ境内の建物である。
「布施の行者」と呼ばれた尼僧が開いた寺
徳雲寺を開いたのは颯田本真(さった ほんしん)という尼僧である。弘化2年(1845年)、三河国幡豆郡吉田村、いまの西尾市吉良町に生まれた。颯田清左衛門の長女で、幼名をりつといった。兄弟12人のうち6人が出家した家である。
安政3年(1856年)に貞照院の天然のもとで得度し、叔母にあたる真珠庵の本乗尼について修行した。本乗の師である慈本尼の遺徳を慕い、3年間横にならずに念仏を修めたと伝わる。明治14年(1881年)には京都の金戒光明寺で獅子吼観定から浄土宗の宗戒両脈を相承し、明治18年(1885年)には貞照院の戒幢から形同沙弥戒を受けている。
生地の吉田村に建てた慈教庵が、のちの徳雲寺である。ここで100人を超える尼僧を育てた。神奈川県鵠沼にも同じ名の慈教庵を開いており、そちらは現在の本真寺にあたる。
後半生は救済にあてられた。明治23年(1890年)の三河地方の大海嘯から大正12年(1923年)の藤沢の震災まで、35年をかけて23県150余町村をまわり、衣類や金銭を配っている。救助した戸数は6万余、巡教は10万余戸に及んだ。この行脚から「布施の行者」と呼ばれた。昭和3年(1928年)8月8日に没している。
徳雲寺本堂が建った明治16年(1883年)は、その救済行が本格化するより少し前にあたる。境内の弁天堂は、颯田本真に帰依した信徒の泉谷儀三郎が大正7年(1918年)に寄進したもので、開山への信仰の厚さを伝えている。
拝観とアクセス
名鉄西尾線・蒲郡線の吉良吉田駅から西へ徒歩10分ほど。駅を出て住宅と田の間の道を進むと、徳雲寺の境内に着く。
境内は道路から続いており、本堂と弁天堂の外観は近くから見ることができる。拝観時間や拝観料の案内は、西尾市の文化財ページにも寺の側にも出ていない。現役の寺院であり、堂の内部は常時公開されていない。内部を見たい場合は、当日に頼むのではなく事前に寺へ連絡してほしい。
撮影は外観であれば問題になりにくい。法要が行われている時間帯は控えるのが礼儀である。境内は平坦で、段差はほとんどない。
参考文献
- 国指定文化財等データベース 徳雲寺本堂(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00013555
- 国指定文化財等データベース 徳雲寺弁天堂(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00013556
- 西尾市「徳雲寺本堂」
- https://www.city.nishio.aichi.jp/sportskanko/bunkazai/1001485/1001611/1006377/1006379.html
- 西尾市「徳雲寺弁天堂」
- https://www.city.nishio.aichi.jp/sportskanko/bunkazai/1001485/1001611/1006380/1006381.html
- 新纂浄土宗大辞典「颯田本真」
- https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%A2%AF%E7%94%B0%E6%9C%AC%E7%9C%9F
最終更新日: 2026.10.01
基本情報
| 名称 | 徳雲寺 |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県西尾市吉良町吉田伝蔵荒子19 |
| 所有者 | 宗教法人徳雲寺 |
| 指定 | 登録有形文化財 2件 |
| 座標 | 34.79457, 137.06533 |