丘の上の配水池

豊橋市の最初の水道システム、その終着点は小鷹野浄水場の東側の高台にある。多米配水場の旧配水池で、完成は昭和4年(1929年)。ろ過を終えた水はここまで送られ、いったん蓄えられてから市街へと流れ下った。配水池は標高およそ54メートルの高所にあり、ポンプを使わずとも、重力だけで下方の家々へ水を届けることができた。

配水池は鉄筋コンクリート造の有蓋・半地下式の長方形水槽で、面積はおよそ1,230平方メートル。地上に出た部分は土で覆われているため、遠目には構造物というより、芝に覆われた低い丘のように見える。この土被りは蓄えた水の温度を安定させ、水槽を保護する、素朴で長持ちする工夫だった。

尖頭アーチの小建屋

配水池に表情を与えているのは、水槽の東西両端の中央に建つ2棟の管理用の建屋である。外壁はタイル張り、扉口は尖頭アーチ風にかたどられ、水道施設というより小さな礼拝堂を思わせる瀟洒な仕上げになっている。土に覆われた緑の塚を背に、この小ぶりで整った建屋が、敷地の設計された顔として際立つ。

市営上水道全体は、東京の水道で経験を積んだ西大條覚を顧問として計画され、昭和5年(1930年)3月の通水式を経て本格的な給水を始めた。多米配水池は、この一連の流れを締めくくる施設だった。下条での取水、大江川を越える水道橋、小鷹野でのろ過と圧送、そして丘の上でのこの貯留と配水へとつながっている。

一時代の記録

この配水池は、昭和前期の浄水・配水施設の構成をおおむねそのまま残している。そこが評価された点である。他の4件とあわせて見れば、1920年代の都市が、いかにして完結した稼働する上水道を組み立て、土に埋もれた水槽にまで意匠を施したかが読み取れる。

登録有形文化財となったのは平成30年(2018年)11月2日で、豊橋市上水道施設5件のうち最後に挙げられた一件である。国土の歴史的景観への寄与が評価された。市の水道網の一部であるため自由に立ち入れる場所ではないが、土に覆われた塚とアーチ状の門屋は、豊橋東部の高台にひっそりと残る目印になっている。

Q&A

Qこの配水池は何をしていたのですか。
A処理を終えた水を高台に蓄え、重力で市街へ流し下すための施設です。豊橋市最初の市営上水道の最終段階にあたります。
Qなぜ土で覆われているのですか。
A有蓋・半地下式の水槽で、上面に土をかぶせています。土被りは蓄えた水の温度を安定させ、水槽を保護するとともに、配水池を地形になじませる役目もありました。
Q上にある小さな建物は何ですか。
A配水池の東西両端に建つ管理用の建屋で、タイル張りの外壁と尖頭アーチ風の扉口で仕上げられています。敷地のなかでもっとも目につく、装飾的な部分です。
Qいつ造られ、いつ文化財になったのですか。
A昭和4年(1929年)に完成し、平成30年(2018年)11月2日に登録有形文化財となりました。同日登録の豊橋市上水道施設5件のうち、最後に挙げられた一件です。
Q見学はできますか。
A配水場は稼働中の水道網の一部のため、一般には公開されていません。見学については、豊橋市上下水道局にお問い合わせください。

基本情報

名称豊橋市上水道施設多米配水場旧配水池(とよはししじょうすいどうしせつためはいすいじょうきゅうはいすいち)
所在地愛知県豊橋市多米町字蝉川33-149
指定区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日平成30年(2018年)11月2日(登録番号 23-0529)
年代昭和4年(1929年)
員数・構造1基/鉄筋コンクリート造、面積1,230㎡、有蓋・半地下式、土被り
所有者豊橋市上下水道局
公開状況稼働中の水道網の一部。一般非公開

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「豊橋市上水道施設多米配水場旧配水池」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012558
豊橋市上下水道局「水道の歴史」
https://www.city.toyohashi.lg.jp/3984.htm
豊橋市上下水道局「水道施設紹介」
https://www.city.toyohashi.lg.jp/3925.htm

最終更新日: 2026.06.25