鳥海山北麓の獅子舞番楽
八月の盆の頃、鳥海山のふもとの集落で、獅子頭がゆっくりと左右に振られ、木の歯がカチリと打ち鳴らされる。動きは速くない。跳ねるように舞う各地の獅子舞とは趣が異なり、静かに練られていく。秋田県由利本荘市とにかほ市の八つの集落に受け継がれてきた「鳥海山北麓獅子舞番楽」である。
令和八年(二〇二六年)三月二十四日、この八集落の芸能がまとめて国の重要無形民俗文化財に指定された。同年一月、文化審議会が文部科学大臣に答申したことを受けた指定である。これにより秋田県内の重要無形民俗文化財は十八件となり、都道府県別で全国最多をさらに更新した。八団体は平成二十四年(二〇一二年)に記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されており、平成三十一年(二〇一九年)には由利本荘市・にかほ市の両教育委員会による調査報告書が刊行されている。
「番楽」は山岳信仰を背景とする面をつけた舞の総称、「獅子舞」は字のとおり獅子の舞をさす。演者たちは普段これを単に「番楽」「獅子舞」と呼ぶ。見せるための舞台芸能ではなく、山の神に捧げる神楽として続いてきた点が、この芸能の根にある。
山から下りてきた系譜
八つの集落は、鳥海山にまつわる共通の由来をもつ。標高二二三六メートル、秋田と山形の境にそびえるこの火山を背景に、寛永年間(一六二四〜一六四四)、京都・醍醐寺三宝院に属する修験者の本海行人が、ふもとの村々に獅子舞と番楽を伝授したと言い伝えられている。その系統を本海流と呼び、由利本荘市鳥海町に残る親元の「本海獅子舞番楽」は、平成二十三年(二〇一一年)に重要無形民俗文化財に指定されている。
由来の語り口は集落ごとに少しずつ違う。屋敷集落では、天明三年(一七八三年)の由利地方の大飢饉で多くの人が亡くなったのち、村人が荒沢村(現在の矢島町荒沢)に出向いて本海ゆかりの獅子舞を習い、五穀豊穣と悪疫退散を祈ったのが始まりとされる。坂之下では、藩政期に矢島藩の御用番楽として庇護を受け、盆と正月には御殿に参上して舞ったと伝えられている。濁川は演目数こそ少ないが、七月八日の「木境大物忌神社虫除け祭り」(秋田県指定無形民俗文化財)に獅子舞を奉納し、祭りの中心的な役割を担ってきた。
指定にあたって評価されたのも、この土地ごとの分かれ方そのものだった。一つの源流が三百年のうちに八つの集落の舞へと枝分かれした過程は、東北における神楽の変遷を考えるうえで貴重だと判断された。
見どころ
どの集落でも獅子舞が中心に据えられ、その性格が最初に目に入る。動作は穏やかで、重い獅子頭の振りも歯打ちもゆっくりと運ばれる。見せ場というより祈りに近い。その核を囲むように、各集落はおよそ二十番前後の演目を保ってきた。神を招く式舞、神舞、古い物語に取材した武士舞などを、太鼓と笛に合わせて一人・二人・三人で舞う。
演目名をたどると土地の記憶が見えてくる。屋敷には合戦譚から取った「弁慶」「熊谷」、鳥の舞「鳥舞」、能と通じる「翁」がある。坂之下には源平の弓の名手を題材にした「那須与市」が伝わり、棒を手にした舞い手が空の臼を打ち鳴らす「空臼舞(からうすまい)」で番組を締めることがある。場を清め神を送るこの舞は、鳥海山系の番楽を特徴づける一つの型である。
これらは生きた祭りの一部であり、求めに応じていつでも演じられるものではない。集落内の家々を獅子が回り、各戸の神棚の前で舞を奉納する「門獅子」を続ける地区もある。台所の土間で獅子が頭を下げ、家族が部屋の隅からそれを見守る。外から訪れる者がめったに目にしない光景に出会うこともある。
訪ねるために
舞を確実に見られるのは、八月の盆の時期と、地元の神社の春秋の祭礼である。屋敷では八月十六日と二十六日に春日神社へ奉納し、その後に集落内の舞楽堂で公開、二十七・二十八日には門獅子で家々を回る。坂之下は熊野神社の祭典で奉納し、八月十四日の夏祭りのあとに会館前で盆公演を行う。日取りは年によって前後するため、訪問前に市役所へ確認しておきたい。
手がかりとして便利なのが、由利本荘市鳥海町にある民俗芸能伝承館「まいーれ」である。この地域の獅子舞や番楽の資料を集め、年間を通して上演も行っているため、祭礼の日程に合わせにくい場合の見学先として頼りになる。そこから少し足を延ばせば、にかほ市の海辺には、十七世紀に芭蕉が訪れた潟跡と小島の風景で知られる象潟が、同じ鳥海山のふもとに広がっている。
このあたりへはJR羽越本線が通じる。由利本荘市の玄関口は羽後本荘駅、にかほ市は象潟駅で、晴れた日にはどちらからも鳥海山が望める。舞が行われる内陸の集落へ向かうには、車があると動きやすい。
Q&A
- これは一つの舞ですか、それとも複数ですか。
- 由利本荘市の屋敷・坂之下・濁川、にかほ市の伊勢居地・釜ケ台・冬師・小滝・横岡という八つの集落の芸能を、一つの名称でまとめて指定したものです。共通の由来と中心の獅子舞をもちながら、演目や祭りの日程は集落ごとに異なります。
- いつ見られますか。
- 多くは八月の盆の時期と地元の神社祭礼で演じられます。日取りは集落と年により変わります。由利本荘市の伝承館「まいーれ」でも上演が行われるため、訪問の予定が立てやすい見学先になります。
- 獅子舞の特徴は何ですか。
- 動作の遅さです。獅子頭の振りや木の歯打ちが、ゆったりと穏やかに運ばれます。他地域に多い速く軽快な獅子舞とは対照的で、山の神への奉納という性格がこの所作に表れています。
- どのくらい古い芸能ですか。
- 言い伝えでは寛永年間(一六二四〜一六四四)の修験者・本海行人にさかのぼります。各集落が取り入れた時期はさまざまで、たとえば屋敷では天明三年(一七八三年)、飢饉のさなかに習い覚えたとされています。
- ほかの指定文化財とつながりはありますか。
- あります。親元にあたる鳥海町の「本海獅子舞番楽」が、平成二十三年(二〇一一年)に重要無形民俗文化財に指定されています。北麓の八集落はいずれも同じ本海流の流れをくみます。
基本情報
| 名称 | 鳥海山北麓獅子舞番楽(鳥海山北麓の獅子舞番楽) |
|---|---|
| 所在地 | 秋田県由利本荘市・にかほ市 |
| 構成集落 | 屋敷・坂之下・濁川(由利本荘市)/伊勢居地・釜ケ台・冬師・小滝・横岡(にかほ市) |
| 指定区分 | 重要無形民俗文化財(令和八年〔二〇二六年〕三月二十四日指定) |
| 分類 | 民俗芸能(神楽・獅子舞) |
| 保護団体 | 鳥海山北麓獅子舞番楽由利本荘市保存協議会/同にかほ市保存協議会 |
| 上演時期 | 八月の盆の時期・地元の神社祭礼(集落により異なる) |
| 見学 | 各集落の祭礼のほか、由利本荘市民俗芸能伝承館「まいーれ」でも上演 |
| 最寄駅 | 羽後本荘駅(由利本荘市)/象潟駅(にかほ市)、JR羽越本線 |
参考文献
- 秋田県 — 文化財の国指定(無形民俗文化財)について『鳥海山北麓獅子舞番楽』
- https://www.pref.akita.lg.jp/pages/archive/93447
- まいーれ(由利本荘市民俗芸能伝承館) — 鳥海山北麓の獅子舞番楽
- https://mai-re.jp/yurihonjo/kiroku/hokuroku/
- 文化庁 — 国指定文化財等データベース
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/00000913
- 重要無形民俗文化財 — ウィキペディア
- https://ja.wikipedia.org/wiki/重要無形民俗文化財
最終更新日: 2026.06.03