二十七歳の建築家が、最初に建てた建物

弘前市の在府町は、かつての武家屋敷の門や塀が今も街路の表情を決めている一角である。その古い家並みのなかに、白い鉄筋コンクリートの箱が一棟、平らな屋根を空に向けて建っている。木村産業研究所、昭和7年(1932年)の竣工。建築家・前川國男が、自分の手がけた建物として初めて実際に建ち上がるのを見た一作である。完成時、前川は二十七歳。二年間のパリ滞在から帰ったばかりだった。

その二年を、前川はル・コルビュジエのアトリエで過ごした。近代世界の建築観を塗り替えつつあったスイス出身の建築家のもとで、直接学んだ最初の日本人である。弘前からの依頼は、彼がパリで吸収したものを帰国早々にコンクリートと鉄で試す機会となった。

弘前との縁は私的なものだった。前川の母は弘前の出で、その実家は弘前藩士の家柄である。前川がこの街に生涯にわたって通い、八つもの建物を残すことになる理由のひとつが、ここにある。

海を越えて生まれた依頼

建設費を出した木村隆三は、駐仏日本大使館付の武官だった。前川とはパリで親交を結んでいる。前川の叔父にあたる外交官の紹介だったという。木村には郷里への目的があった。津軽の地場産業を強くするための研究機関を弘前に設けること。それは祖父・木村静幽が地域の産業振興に寄せた願いを引き継ぐものでもあった。

前川は帰国の長い船旅のあいだに設計を進めたと言われる。弘前に届いたのは、周囲のどれとも似ない建物だった。隣家が木と瓦と勾配屋根を見せるなかに、平らな白壁と、空をまっすぐ切る軒線と、横へ長く伸びた窓の帯が現れた。

この建物は青森の外からも注目を集めた。ドイツの建築家ブルーノ・タウトは、日本滞在中に弘前を通った際にこの研究所を実見し、自身の日本建築論のなかに書き留めている。地方の小さな依頼が、それだけの重みを持っていた早い証しである。

なぜ重要文化財になったのか

文化庁は令和3年(2021年)8月2日、木村産業研究所を重要文化財に指定した。指定基準は「歴史的価値の高いもの」。理由は明快で、ル・コルビュジエが示したモダニズム建築の原理を、日本でごく早い時期に実体として形にした建物だからである。

その原理のいくつかは、見ればわかる。建物の一部はピロティ、つまり地面から建物を持ち上げ一階を開放する細い柱に支えられている。壁には、旧来の建築のような穴あけ窓ではなく、水平に連続する窓が走る。柱は外壁から離して立てられ、壁面が荷重を負わずに済む。さらに直方体の量塊から曲面の壁がふくらみ出て、直線の連なりに変化を与えている。

指定までの道のりは段階的だった。平成15年(2003年)、前川作品として初めて登録有形文化財となる。翌平成16年(2004年)には、近代建築を選ぶDOCOMOMO Japanの選定を受けた。そして令和3年の重要文化財指定によって、国の保護建築の最上位に位置づけられた。

外と内で目に留めたいもの

通りから見ると、この建物は抑制の表情を見せる。白い面、水平の線、バルコニー、そして広いガラスを抱くスチールサッシ。ところが玄関ホールに入ると気分が変わる。天井が二層分の吹き抜けに開き、前川はそこを赤く塗った。明るいガラス張りの室内に、頭上から強い色が一点差し込む。

立ち止まって見たい細部が二つある。一階の貴賓室では、窓のサッシがゆるやかな曲線を描き、柱は角ではなく丸く整えられている。初期のコンクリート建築には珍しい柔らかさである。一階のトイレでは、ドアノブにクリスタルがあしらわれている。若い建築家の目配りが、どこまで及んでいたかがうかがえる。

その目配りは建物そのものにとどまらなかった。事務所で使う椅子、机、棚も前川自身が設計している。建物を箱と見て後から中身を入れるのではなく、空間とそこに置くものをひとまとまりとして考えていた。

今も働いている建物

この研究所は、ロープの向こうに置かれた展示物にはならなかった。現在は弘前こぎん研究所が入り、創設者が当初めざした地場産業の仕事を引き継いでいる。

こぎん刺しは、津軽地方の刺し子の一種である。その始まりには厳しさがある。江戸期、この地の農民は麻しか着ることを許されず、麻は津軽の長い冬には心もとなかった。女たちは布の粗い織り目に木綿の糸を通して暖かさと丈夫さを足していった。縦糸を一、三、五、七と奇数で数えながら刺す。その数えのなかから、緻密な幾何学模様が立ち上がる。基礎となる模様は「モドコ」と呼ばれ、およそ四十種類を組み合わせて大きな図柄をつくる。

弘前こぎん研究所は昭和17年(1942年)にホームスパンの会社として始まり、やがてこぎん刺しの研究と再興に取り組んだ。訪れれば作業場を見学し、手刺しの工程を眺め、すべて手作業の品を購入できる。コースターづくりなどの体験が催されることもあるが、休止する時期もあるため、それが目的なら事前の確認をすすめたい。

建物の周辺

弘前は近代建築に関心のある人をよく迎える街である。前川國男の歩みを、市内で年代順にたどれるからだ。この昭和7年の処女作のあとに、弘前市役所(1958年)、弘前市民会館(1964年)、弘前公園内の市立博物館(1976年)、斎場(1983年)などが続く。いずれも自転車で回れる範囲に点在し、途中でコーヒーを挟みながらゆっくり巡るのが、この街での一日の過ごし方として知られている。

研究所は弘前公園と弘前城にも近い。城は弘前で最もよく知られた見どころで、春には全国有数の桜の名所になる。建物のある在府町の界隈は、明治の言論人・陸羯南らが生まれた土地でもあり、古い街路の残る道のりが、城跡へ歩く時間そのものを楽しいものにしている。

Q&A

Q建物の中に入れますか。
A入れます。一階に弘前こぎん研究所があり、開館時間中は見学を受け入れていて、作業場や玄関ホールを見ることができます。入館は無料です。博物館ではなく現役の研究所のため、事前の連絡をおすすめします。とくに団体での見学は前もって調整してください。
Q開いているのはいつですか。
A弘前こぎん研究所は、おおむね9時から16時30分まで開いており、土曜・日曜・祝日は休みです。時間は変わることがあるので、遠方から行く前には確認してください。駐車場は5台ほどです。
Q1932年の建物が、なぜそれほど重要なのですか。
Aル・コルビュジエのモダニズム建築の考えを、日本でごく早くに形にした建物のひとつだからです。設計した前川國男は、パリのコルビュジエのアトリエで学んだ直後にこれを手がけました。前川の最初の完成作であり、日本の近代建築を方向づけた経歴の出発点にあたります。
Qこぎん刺しとは何ですか。体験できますか。
Aこぎん刺しは津軽地方に伝わる刺し子の一種で、もとは農家の女性が麻の衣を補強し暖かくするために刺したものです。研究所では短いコースターづくりの体験が催されることがありますが、実施状況は時期により変わり、休止することもあります。体験を当てにする場合は最新の情報を確かめてください。
Q弘前駅からはどう行きますか。
AJR弘前駅からタクシーでおよそ14分、徒歩なら35分ほどです。路線バスなら大学病院方面の便に乗り、病院近くの停留所で降りて数分歩きます。建物は在府町にあり、弘前大学医学部附属病院の近くです。

基本情報

名称木村産業研究所(きむらさんぎょうけんきゅうしょ)
所在地青森県弘前市在府町61
指定区分重要文化財(令和3年〔2021年〕8月2日指定/基準:歴史的価値の高いもの)
以前の評価登録有形文化財(2003年)、DOCOMOMO Japan選定(2004年)
竣工昭和7年(1932年)
設計前川國男
構造鉄筋コンクリート造、2階建、鉄板葺/建築面積 約290.87平方メートル
員数1棟
所有者一般財団法人木村産業研究所
現在の利用弘前こぎん研究所
開館時間おおむね9:00〜16:30/土・日・祝休(要事前確認)
入館料無料

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/00005354
弘前市の前川建築(弘前市)
https://www.city.hirosaki.aomori.jp/shiminkaikan/hirosakisin-no-maekawakenntiku.html
木村産業研究所(建物が語る弘前文化遺産 HIROSAKI Heritage)
https://www.hirosaki-heritage.com/kimurasangyo-kenkyujo/
弘前こぎん研究所(公式サイト)
https://tsugaru-kogin.jp/
津軽こぎん刺し体験 弘前こぎん研究所(Amazing AOMORI)
https://aomori-tourism.com/spot/detail_1608.html

最終更新日: 2026.06.03