純金の鈴五個が変えた古墳の名

昭和二十五年(一九五〇)七月三十一日、木更津で進められていた発掘調査の最終日のことである。盗掘を受けていない石室の床面に達した調査員の手によって、五個の小さな鈴が取り上げられた。いずれも高さ約一センチ、径九ミリ、重さわずか一・二五グラムの純金製で、地中で千四百年近い時を経てなお、その輝きを失っていなかった。この発見は古墳そのものの呼び名を改めさせた。それまで二子塚古墳と呼ばれていた墳墓は、金の鈴にちなんで金鈴塚古墳となった。

金の鈴は、いま一括して国の文化財に登載されている膨大な副葬品の象徴的な存在である。「千葉県金鈴塚古墳出土品」と総称されるこの一群には、大刀、馬具、鏡、甲冑、玉類、銅鋺、土器までが含まれ、いずれも一つの埋葬から取り上げられた。その大半は木更津市郷土博物館金のすずで展示されている。「金のすず」という館の愛称は、この五個の鈴に由来する。一部は佐倉市の国立歴史民俗博物館に収められている。

前方後円墳の時代の終わりに築かれた墓

金鈴塚古墳は、円い後円部と方形の前方部を組み合わせた前方後円墳で、木更津市長須賀に位置する。五世紀前半から七世紀半ばにかけて墳墓が築かれ続けた祇園・長須賀古墳群に属し、墳丘の全長はおよそ九十から百メートルと見積もられている。現在は後円部の一部が住宅地の中に残るのみで、かつて約六メートルあった墳丘高も、現存部分は三・五メートルほどである。

副葬品の内容から、築造は六世紀末から七世紀初頭と考えられる。この年代には意味がある。三百年にわたって列島各地の有力者の墓を特徴づけてきた前方後円墳という形式は、このころほぼ全国で営まれなくなっていた。関東地方を除けば、百メートルを超える前方後円墳は一部の大王陵を別にしてほとんど姿を消す。金鈴塚古墳は、その最終世代の前方後円墳としては屈指の規模を保ち、しかも以前の古墳に並べられた埴輪を伴わずに築かれた。一つの伝統が終わりに差しかかった時期の所産といえる。

誰が葬られたのかについては、なお議論がある。墳丘の規模と副葬品の豊かさから、小櫃川流域を治めた首長と見るのが大方の理解である。被葬者を、ヤマト王権に認められた地方の支配者である馬来田国造に結びつける説も古くからあるが、確定はしていない。石室内には複数の埋葬が確認されており、一人の人物ではなく一族の墓として用いられた。

なぜ重要文化財に指定されたのか

出土品は昭和三十四年(一九五九)六月二十七日に重要文化財に指定され、令和二年(二〇二〇)九月三十日にはさらに対象品目が追加された。この一群を際立たせている点は二つある。第一は、その完全さである。石室が盗掘を免れていたため、古墳時代後期の高位の人物がどのように来世への装いを整えられたのか、きわめて豊かな手がかりが得られた。第二は、金属工芸の質の高さである。

その好例が装飾付大刀である。この埋葬からは、形式の異なる飾大刀が二十口近く取り上げられた。これほど多様な大刀がひとつの遺跡から出土する例は、国内でもまれである。なかには双龍を向き合わせて鋳出した環頭大刀をはじめ、頭椎や圭頭の柄頭をもつ大刀が含まれる。金銅製の鞍金具や馬具の飾り、馬鐸、二面の銅鏡、鉄製の冑、挂甲の小札、承台のついた銅製の蓋鋺、瑪瑙・水晶・琥珀・ガラスの玉類が、これに加わる。これらをあわせて見ると、東国の物質文化がヤマト王権の交流網と深く結びついていたことが読み取れる。

博物館での見どころ

五個の金鈴には専用の展示室が設けられている。実物を前にすると、多くの来館者が意外に思う。写真では量感のあるものに見えるが、ケースの中では指先より小さい。その小ささこそが見どころでもある。鋳上がりの肌や、鈴ごとに付された吊り手の細工を間近で確かめたい。

装飾付大刀は、時間をかけて眺める価値がある。列に沿って通り過ぎるのではなく、柄頭を見比べてほしい。環頭大刀の向き合う双龍、別の大刀の丸い頭椎、金と銀を使い分けて身分や格式を示した手法がわかる。馬具からは、地方の有力者にとって騎馬とその誇示がいかに重んじられたかがうかがえる。博物館は金鈴塚の資料を木更津の歴史全体の中に位置づけており、金や金銅の品々は、後世の製塩や海苔養殖、上総掘りの技術を扱った展示と並ぶ。ひとつの土地が幾世紀にもわたってどう変わってきたかを感じ取れる構成である。

博物館の周辺

博物館は、木更津駅の東に位置する太田山公園の中にある。春の桜の名所として知られる一帯である。少し歩くときみさらずタワーが建つ。これは英雄ヤマトタケルとその妃オトタチバナヒメの伝承に結びつく展望地で、木更津という地名そのものがこの物語に由来すると地元では語り継がれている。同じ公園内では、市指定の古民家である旧安西家住宅も見学できる。

古墳そのものは長須賀の住宅地に少し離れて残るが、墳丘の一部が家並みの間に見えるだけである。発見の経緯が生き生きと伝わるのは、現地ではなく博物館の方である。木更津は東京湾アクアラインを介して都心から行きやすく、首都圏に滞在する旅行者にとっては半日で訪ねられる範囲にある。

Q&A

Q金の鈴や出土品はどこで見られますか。
A五個の金鈴を含む大半は、太田山公園内の木更津市郷土博物館金のすずで展示されています。一部は佐倉市の国立歴史民俗博物館が所蔵します。歴博の展示は入れ替わることがあるため、目的の品があれば事前に確認すると安心です。
Q入館料はかかりますか。
A木更津市郷土博物館金のすずの常設展示は、令和六年度からどなたでも無料になりました。特別展の期間中は別途、一人につき千円以内の観覧料が設定されることがあります。開館は九時から十七時(入館は十六時半まで)で、月曜日と年末年始は休館です。
Q鈴はどのくらい古く、なぜ貴重なのですか。
A六世紀末から七世紀初頭、およそ千四百年前のものです。純金製の鈴が古墳から出土する例は国内でもきわめて少なく、加えて埋葬全体が盗掘を受けずに残っていたことから、古墳時代後期の有力者の文化を知る重要な資料となっています。
Q金鈴塚古墳そのものを訪ねられますか。
A後円部の一部が長須賀の住宅地に残るのみで、博物館の展示と比べると見られるものは多くありません。多くの来訪者は博物館を中心に巡ります。出土品とその経緯がまとまって紹介されているのは博物館です。
Q東京から木更津へはどう行きますか。
AJR内房線、または東京湾アクアラインを通る高速バスで木更津に着きます。アクアライン経由は速くて直行できます。木更津駅東口から博物館までは、丘を上って徒歩二十分ほどです。

基本情報

名称千葉県金鈴塚古墳出土品
種別考古資料(重要文化財)
指定区分重要文化財、昭和三十四年(一九五九)六月二十七日指定、令和二年(二〇二〇)九月三十日に品目追加
員数一括(大刀、馬具、鏡、甲冑、玉類、銅鋺、土器ほか)
時代古墳時代、六世紀末から七世紀初頭
所有者木更津市
保管施設木更津市郷土博物館金のすず(千葉県木更津市太田二-一六-二)、一部は国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市城内町一一七)
開館時間九時から十七時(入館は十六時半まで)、月曜日および十二月二十八日から一月四日は休館
観覧料常設展示は無料(令和六年度から)、特別展は一人につき千円以内
交通JR内房線木更津駅東口から徒歩約二十分、東京湾アクアライン袖ケ浦インターチェンジから車で約十五分

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/9796
文化遺産オンライン(文化庁)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/201953
木更津市郷土博物館金のすず(公式サイト)
https://www.city.kisarazu.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkai/kyodohakubutsukankinnosuzu/1/2742.html
金鈴塚古墳(千葉県)
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/p411-014.html

最終更新日: 2026.06.20