額田寺伽籃並条里図(麻布)— 麻布に描かれた奈良時代の大地

千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館の静かな収蔵庫に、世界の地図史においても類を見ない一品が大切に守られています。奈良時代後期、8世紀なかばに作られた「額田寺伽籃並条里図(がくでんじがらんならびにじょうりず)」は、4枚の麻布を横に継ぎ合わせた画面に、大和国平群郡の条里と、そこに営まれた額田寺の壮大な伽藍をあわせて描いた巨大な絵図です。1977年に国宝に指定されたこの絵図は、東大寺以外の寺院に伝来した唯一の麻布製条里図として、日本古代の土地制度と仏教建築を今に伝える、またとない一次資料となっています。

縦およそ1.4メートル、横は上辺70センチ弱・下辺約72センチの、食卓ほどもある布の画面。そこに奈良時代の人々が自らの手で測り、描き、記した「実在の風景」が広がっています。古代日本のランドスケープを、直接のぞき込むことのできる、世界でも稀な文化遺産です。

歴史的背景 — 額田部氏の氏寺と律令国家の大地

絵図が描き出すのは、現在の奈良盆地の一角、初瀬川と佐保川が合流する水運の要衝にあたる土地です。古代、この地は難波津から大和へ遡る舟運の結節点であり、外交使節や物資が行き交う重要な回廊でした。ここに氏寺を構えていたのが、古代豪族「額田部氏」です。額田寺(ぬかたでら)は、その額田部氏が氏の繁栄を祈り、また一族の拠り所として営んだ寺院でした。

絵図そのものの製作時期は、余白の墨書注記に登場する人名などから、天平宝字年間(757〜765年)に程近い頃と推定されています。ちょうど東大寺大仏や正倉院宝物が生み出された、古代日本文化の絶頂期にあたります。しかも本図は、鑑賞のために作られた絵画ではなく、あくまで寺領の境界と地目を確かめ、寺の財政基盤を守るための実用的な法的文書でした。朱印が全面に押されていることも、公的な効力を持たせる必要があったことを示しています。

額田寺は、中世を通じて衰退しましたが、現在も奈良県大和郡山市額田部寺町に「額安寺(かくあんじ)」として受け継がれ、当地の豪族「額田部氏」の氏寺としての記憶を今に伝えています。絵図は、額田寺がなお壮麗であった奈良時代の姿を、千二百数十年の時を超えて現代に伝えてくれる、かけがえのない歴史の証言者といえるでしょう。

国宝指定の理由と価値

本図は1977年(昭和52年)6月11日、国宝(古文書)に指定されました。数ある古代絵図のなかで、本図だけが持つ価値は次のような点にまとめられます。

  • 東大寺以外の寺院に伝来した麻布条里図として、現存する唯一の例であり、古代日本の地図学を学ぶうえで他に替えのきかない独立した基準点を提供する。
  • 大和国平群郡の九条三里(一九〜三六坪)・四里(一〜一八坪)、十条三里(二一〜三六坪)・四里(一〜一六坪)の条里を、千鳥式坪並で精緻に描写しており、古代の土地区画の具体像が一目でわかる。
  • 中央下部には、大安寺式伽藍配置をとる額田寺の堂塔、諸門、雑舎などが朱墨を交えて比較的詳細に描かれ、失われた奈良時代の地方寺院伽藍の姿を知る第一級の史料となっている。
  • 寺領の要所には結界石が描き込まれ、地目や面積を記した注記も残されており、本図が寺領境界の法的証拠として実際に用いられた絵図であることがうかがえる。
  • 画面全体に「大和國印」の朱印が捺されており、国衙によって公認された公的文書であったことを物語っている。

魅力と見どころ

本図と向き合うとき——現品は保存上の理由から常時公開されてはいませんが、館内の原寸大復原複製や高精細デジタル画像を通じて——ぜひ注目していただきたい見どころをいくつかご紹介します。

碁盤の目のような「条里」の風景

画面の大半を覆っている方眼の線こそ、古代日本の土地区画制度「条里」です。一辺六町(約650メートル)の大きな区画を基本単位とし、南北方向を「条」、東西方向を「里」と数え、さらに内側を36の坪に分けました。日本の水田風景の原型が、ここに書き込まれています。

画面中央下の額田寺伽藍

十条三里の三五・三六坪、十条四里の一・二坪にまたがる領域に、額田寺の堂塔が小さくも精確な立面で描かれています。金堂と塔を回廊で囲む大安寺式の配置で、朱の彩色が周囲の墨線と鮮やかなコントラストをなします。

山河と結界石

条里の外縁には、丘陵や河川が象徴的に描かれ、要所には寺領の境界を示す「結界石」がぽつぽつと記されています。日本における結界石の図像表現としては最古級のものと考えられます。

全面を彩る朱の大和國印

画面全体に規則正しく押された朱の四角は、「大和國印」の印影です。その一つひとつが、本図を単なる風景画ではなく、国家によって裏付けられた法的文書へと変えています。

ご来館の情報

国立歴史民俗博物館(愛称「歴博」)は、千葉県佐倉市の佐倉城址の一角に位置し、東京都心から約1時間で訪れることのできる国内最大級の歴史博物館です。国宝「額田寺伽籃並条里図」の実物は、古代の麻布という極めて繊細な素材であるため、通常は温湿度管理された収蔵庫に保管され、特別展の折などに限定的に公開されます。日常的には、館内の原寸大復元複製や、ウェブギャラリーに公開されている高精細デジタル画像により、細部にわたってその姿を体感いただけます。

この一点にとどまらず、歴博の総合展示は先史・古代から現代までを六つの展示室で辿る構成になっており、日本史を一日で俯瞰したい方にも満足いただける内容です。

開館時間

3月〜9月は9時30分から17時まで、10月〜2月は9時30分から16時30分まで開館しています。いずれも入館は閉館30分前までです。休館日は毎週月曜日(祝日の場合は開館し翌平日休館)、および年末年始(12月27日〜1月4日)です。

入館料

総合展示の入館料は、一般900円、大学生500円(学生証提示)、高校生以下は無料です。障がい者手帳等をお持ちの方は、介助者一名とともに無料でご入館いただけます。企画展示は別料金となります。

アクセス

東京駅からJR総武本線快速で佐倉駅まで約60分、駅からバスで約15分です。京成上野駅からは京成本線特急で京成佐倉駅まで約55分、徒歩約15分またはバス約5分で到着します。お車でお越しの場合は、無料の大駐車場をご利用いただけます。

周辺の見どころ

歴博のある佐倉城址公園は、春の桜と冬から早春にかけての梅林が美しい、江戸時代の城郭遺構が良好に残る名所です。徒歩圏内には、江戸時代の佐倉藩士の住まいがそのまま保存された「佐倉武家屋敷」があり、城下町の暮らしを偲ぶことができます。静寂のなかで抹茶を味わえる三逕亭、また近現代美術の優れたコレクションで知られるDIC川村記念美術館も車で少し走れば訪れられます。さらに、絵図が描き出した風景の原点である奈良県大和郡山市の額安寺は、いまも聖徳太子ゆかりの古刹として参拝でき、奈良時代の物語を現地で追体験したい方にお勧めしたい訪問先です。

Q&A

Q実物の麻布の絵図は、いつでも見ることができますか。
A基本的には常設公開されておりません。麻布という素材と千年以上経た古絵図という性格上、光や湿度に極めて弱いため、通常は収蔵庫で保管され、特別展の折などに限定的に公開されています。館内の原寸大復元複製と高精細デジタル画像は常時ご覧いただけますので、最新の公開情報は事前に公式ウェブサイトでご確認ください。
Qなぜ紙ではなく麻布に描かれているのですか。
A奈良時代の大型の法的・測量文書には、広幅で耐久性に富む麻布がしばしば用いられました。寺領の境界証拠として長く伝える必要のあった本図には、紙よりも丈夫な麻布がふさわしかったと考えられます。
Q「条里」とはどのような制度ですか。
A中国を範とし、7世紀以降の律令国家のもとで整備された土地区画制度です。一辺六町(約650メートル)の方形の大区画を基本単位とし、さらに36の坪に細分して、課税や班田収授の基盤としました。本図には大和国平群郡の条里が精密に描かれています。
Q8世紀に作られたとなぜわかるのですか。
A絵図に記された人名が天平宝字年間(757〜765年)の史料に見える人物と符合すること、描かれた伽藍の様式、大和國印の印影の形式などから、この頃の製作とみるのが通説となっています。
Q額田寺は今もあるのですか。
A奈良県大和郡山市額田部寺町の額安寺(かくあんじ)として、規模は小さくなったものの法灯は連綿と継がれています。戦乱や時代の変化で壮大な伽藍の大半は失われましたが、重要文化財の阿弥陀如来坐像なども現存し、古代以来の聖地としての静かな雰囲気を今に伝えています。

基本情報

指定名称 額田寺伽籃並条里図(麻布)
指定区分 国宝(古文書)
国宝指定年月日 1977年(昭和52年)6月11日
時代 奈良時代(8世紀中頃〜後半、天平宝字年間[757〜765年]頃)
材質・技法 麻布4枚を横継ぎにした料紙に墨書・朱書・朱印
寸法 縦(右端)140cm・(左端)112cm、横(上端)67.7cm・(下端)72.5cm
員数 1鋪
所有者 大学共同利用機関法人人間文化研究機構
所在地 国立歴史民俗博物館 千葉県佐倉市城内町117

参考文献

文化遺産オンライン「額田寺伽籃並条里図(麻布)」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/150361
国立歴史民俗博物館 WEBギャラリー「額田寺伽藍並条里図」
https://www.rekihaku.ac.jp/education_research/gallery/webgallery/nukata/index.html
国立歴史民俗博物館 公式ウェブサイト
https://www.rekihaku.ac.jp/
国立歴史民俗博物館 アクセス案内
https://www.rekihaku.ac.jp/information/access/
WANDER 国宝「額田寺 伽籃・条里図」
https://wanderkokuho.com/201-00778/
熊凝山 額安寺 公式ウェブサイト
http://kakuanji.jp/
奈良県観光公式サイト「額安寺」
http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/01shaji/02tera/02west_area/kakuanji/

最終更新日: 2026.04.24