掌におさまる阿吽の一対

神社の参道を守る狛犬は、石や木でつくられ、人の背丈ほどの大きさを持つものが多い。ところが千葉県の香取神宮に伝わる一対は、その常識からいくつもの点で外れている。素材は陶磁で、高さはいずれも二十センチに満たず、表面は朽葉色をした透明感のある釉に覆われている。口を開いた阿形が高さ十七・六センチ、口を閉じた吽形が十七・九センチ。どちらも手びねりで成形され、粘土が磁器に近い硬さへ焼き締まるほどの高い火度で焼かれた。

これが、昭和二十八年(一九五三年)に重要文化財へ指定された古瀬戸黄釉狛犬である。これほど古い陶製の狛犬は全国でも数例しか確認されておらず、その希少さがこの一対の価値を際立たせている。

瀬戸の窯から生まれて

古瀬戸という名は、つくられた場所を指している。現在の愛知県瀬戸市、香取神宮からは西へ数百キロ離れた窯場である。瀬戸は中世日本を代表する陶業地のひとつで、いわゆる古窯のなかでも特別な位置を占めていた。各地の窯が釉をかけない焼締の器を生産していたのに対し、瀬戸の工房は輸入された中国陶磁にならって光沢のある釉を施していた。古瀬戸とは、鎌倉から室町にかけてこの窯で焼かれた施釉陶を指す言葉である。

この狛犬にかかる釉は灰釉の一種で、焼成によって温かみのある透明な飴色に発色した。釉の下の素地は、淡い灰白色をした硬い半磁質と説明される。両像とも底裏だけは釉をかけず素地のままで、これは焼くときに像を据えた面を示す小さな手がかりでもある。釉の表面には荒い貫入が網の目状に走る。釉と素地が冷えるときの収縮の差で生じる細かなひびである。焼成温度は摂氏千三百度を超えると推定され、ふつうの粘土を磁器の領域へ近づけるほどの高温だった。

指定の意味

狛犬は阿吽の一対で据えられる。梵字に由来する習わしで、口を開いて発する最初の音「あ」と、口を閉じて結ぶ最後の音「うん」を表す。二つで始まりと終わり、ひと息のうちに収まる存在の全体を象徴する。この姿勢の守護獣は日本中に見られるが、中世の施釉陶でつくられた例となると話は別である。

文化庁が昭和二十八年三月にこの一対を指定したとき、評価されたのは希少さと出来栄えの両方だった。古瀬戸の狛犬として知られるものは、瀬戸の深川神社や東京の根津美術館などごくわずかにとどまる。香取の一対はそのなかでも優品に数えられる。神宮の説明によれば、阿像は二百五十円の通常切手の図案にも採用され、中世の狛犬が広く人々の手もとに届くことになった。

細部に目をこらす

小さな像だが、ゆっくり眺めるほど見どころが増える。陶工は型に押し込むのではなく一体ずつ手で立ち上げており、その痕跡が表面に残っている。たてがみの隆起や眉の線は、やわらかい粘土に篦で素早く引かれ、わずかに不規則な筆致を見せる。体躯は痩せぎみで、表情は愛嬌よりも鋭さが勝つ。後世の狛犬がときに様式化されておとなしく見えるのに対し、この二体は野性的な気配を保ち、つくり手が仕上げの整いよりも勢いを重んじたことがうかがえる。

飴色の釉はくぼみにやや厚くたまり、盛り上がったたてがみの上では薄くなる。そのため像の上を視線が移るにつれ、色が濃くなったり淡くなったりする。貫入の線が光を細く受けとめる。間近に見ると、一対は揃いの飾りというより、一方が吠え、一方が息をのむ、二頭の獣として立ちあらわれる。

狛犬を守る社

香取神宮は、全国に約四百社を数える香取神社の総本社であり、下総国の一宮である。明治以前に神宮の称号を許されたのは、伊勢・鹿島・香取の三社だけだった。祭神は刀剣と武勇の神とされる経津主大神で、武人と朝廷の崇敬を千年以上にわたって集めてきた。

現在の朱塗りの楼門と黒漆塗りの本殿は、いずれも元禄十三年(一七〇〇年)に五代将軍徳川綱吉の手で造営されたもので、それぞれが重要文化財に指定されている。境内は香取の森と呼ばれる丘陵に広がり、老杉が茂る。樹齢千年ほどと伝わる巨杉もそびえる。社殿の近くには要石がある。地中の大鯰を押さえ、地震を鎮めると伝わる、半ば埋もれた石である。香取神宮は、利根川を挟んだ鹿島神宮、息栖神社とともに東国三社のひとつに数えられる。

神宮最大の宝物は、実はこの狛犬ではなく一面の銅鏡である。唐代中国に由来する海獣葡萄鏡で、日本三名鏡のひとつに数えられ、千葉県の工芸品としては唯一の国宝でもある。狛犬はこの鏡とともに、神宮の宝物館に収められてきた。

周辺と拝観

狛犬は通常、拝殿に近い宝物館に収められている。昭和四十二年(一九六七年)に開館した小さな館で、鏡や古文書、神宝の品々を収める。ただし、この一対を目当てに訪ねる人には注意がいる。宝物館は長期の改修のため休館しており、開館しているときでも展示は入れ替わり、名高い海獣葡萄鏡が複製で出されていた時期もあった。陶器を目当てに日程を組むなら、事前に神宮の公式サイトで状況を確かめておきたい。

香取神宮は、少し足を延ばした佐原と組み合わせやすい。小江戸とも呼ばれる商家の町で、川沿いの蔵や江戸時代の町家が歴史的な町並みを残している。千葉県の文化財をめぐる人は、利根川の対岸にある鹿島神宮と合わせて、東国三社の古い巡拝路をたどることも多い。陶器そのものに関心があるなら、瀬戸の深川神社や東京の根津美術館に伝わる同類の古瀬戸狛犬が、この稀少な作例に出会う別の機会になる。

Q&A

Q狛犬はいつでも見られますか。
A常時見られるとは限らない。一対は香取神宮の宝物館に属しており、その宝物館は長期の改修で休館している。開館時でも展示は入れ替わるため、実際に見たい場合は神宮へ最新の状況を確認するとよい。
Qどれくらいの大きさですか。
Aかなり小さい。阿形が高さ十七・六センチ、吽形が十七・九センチで、茶碗ほどの背丈にすぎない。多くの狛犬がはるかに大きいだけに、その小ささが初めて見る人を驚かせる。
Q「古瀬戸」とは何ですか。
A「古い瀬戸」を意味し、鎌倉から室町にかけて瀬戸で焼かれた施釉陶を指す。現在の愛知県にあたる瀬戸は、中世日本で中国陶磁にならって釉をかけた、ほぼ唯一の窯場だった。
Qなぜ陶製の狛犬がそれほど貴重なのですか。
Aほとんど現存しないからである。守護の狛犬は通常、石か木でつくられた。中世の施釉陶の作例は全国でも数か所でしか確認されておらず、香取の一対はそのなかでも屈指の出来とされる。だからこそ昭和二十八年に重要文化財へ指定された。
Q香取神宮では他に何を見るとよいですか。
A元禄十三年(一七〇〇年)の楼門と本殿(ともに重要文化財)、老杉の森と地震伝承の要石、そして日本三名鏡のひとつである唐代の銅鏡(国宝)が見どころとなる。

基本情報

名称古瀬戸黄釉狛犬(こせときゆうこまいぬ)
所在地千葉県香取市香取(香取神宮)
所有者香取神宮
指定区分重要文化財(工芸品)
指定年月日昭和二十八年(一九五三年)三月三十一日
員数一対(阿形・吽形)
寸法阿形(口を開く)高さ十七・六センチ、吽形(口を閉じる)高さ十七・九センチ
時代鎌倉時代後期~室町時代初期(瀬戸古窯の作)
通常の収蔵先香取神宮宝物館(現在は改修のため休館中。拝観前に要確認)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/5534
文化遺産オンライン(国立文化財機構)
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/155091
宝物・文化財(香取神宮 公式サイト)
https://katori-jingu.or.jp/about/treasure/
古瀬戸黄釉狛犬(千葉県 文化財)
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/n141-003.html
文化財一覧(香取市ウェブサイト)
https://www.city.katori.lg.jp/culture_sport/bunkazai/ichiran.html

最終更新日: 2026.06.20