四年に一度だけ動き出す祭り

房総半島の東南端、千葉県南房総市千倉町の白間津地区に、四年目ごとの夏にだけおこなわれる祭りがある。地元でオオマチ(大祭)と呼ばれるこの行事は、白間津の氏神である日枝神社の祭礼で、三日間にわたって地区がほぼ総出で支える。白間津は戸数二百三十ほどの小さな海辺の集落で、住民は古くから内陸の畑作と太平洋での漁とを半ばずつ生業としてきた。その半農半漁の暮らしが、祭りの中身そのものに通っている。

平成四年(一九九二年)、この行事は「白間津のオオマチ(大祭)行事」の名で国の重要無形民俗文化財に指定された。単独の儀礼ではなく、日枝神社の祭礼と、オオナワタシと呼ばれる勇壮な行事とが組み合わさった重層的な構成をもつ。祭りの始まりは延喜元年(九〇一年)と伝えられるが、これは記録によるものではなく、地区に残る言い伝えである。

三日それぞれの名と役割

祭りの日取りは時代とともに移ってきた。かつては旧暦六月十四・十五・十六日の三日間であったが、現在は七月二十三日から二十五日を基本とし、近年は前後の日に調整して営まれることもある。訪れる際は、事前に開催日を確認しておきたい。

三日間にはそれぞれ呼び名がある。初日はヨミヤあるいはヨイマツリと呼ばれる宵の日。二日目はナカビまたはホンマチといい、祭りの中心をなす。この日、日枝神社の神は行列を組んで山裾から海辺の仮宮へと下る。これをお浜下りといい、午後にはオオナワタシの行事が続く。三日目はアトマチ、あるいはオノボリ・オカエリと呼ばれ、神輿が還御して神はもとの社へ戻る。

祭りは全体が行列として進む。役割ごとの集団が連れ立って歩き、要所要所で踊りを奉納する。この振り込みと呼ばれる進行の積み重ねが、三日間を一つにまとめている。

神に擬される二人の少年

オオマチでとりわけ注目されるのが、ナカダチと呼ばれる役である。これは満十二歳になった氏子の少年の中から選ばれる二人で、選定の条件は細かい。長男であること、学業に優れること、両親や家族が健康であること、そして身の回りの世話のできる老人のいる家であること。身につける飾りから、二人はニッテン(日天)・ガッテン(月天)とも呼ばれる。

祭りに先立つ約五十日間、ナカダチは厳しい精進潔斎の生活を送る。家の通常の煮炊きとは別の火で調理した食事をとる別火の習わしを守り、毎日未明に起きて裸足で海岸へ向かう。潮水のかかった砂を採って神社に供えるこの日課はショゴリトリと呼ばれ、今も指定当時のまま固く守られている。

祭りの間、ナカダチはササラ踊りの中心に立つ。祭典の折には神座のかたわらに侍し、参拝者の拝礼を受ける。三日間、村は十二歳の少年二人を神そのものに擬して遇するのである。

なぜ重要無形民俗文化財なのか

文化庁がこの行事を指定した理由は、一つの祭りに複数の貴重な要素が重なって残っている点にある。ナカダチをめぐる精進潔斎の習俗が固く守られていること。芸能の担い手が性別と年齢によってはっきりと集団分けされ、その区分が今も生きていること。オオノボリの形態に、かつて各地の祭りで見られた山鉾の古い姿をうかがえること。

さらにオオナワタシには、その年の天候や作柄を占う年占の要素があり、陸(農業)と海(漁業)との対比意識が明確にあらわれる。こうした特色が一つの地区の祭りに集約されている点が高く評価された。なお、ここで踊られるササラ踊りは、それに先立つ昭和四十六年(一九七一年)に「白間津のささら踊」として、記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されている。

日天と月天のオオノボリ

オオナワタシの主役は、オオノボリと呼ばれる一対の巨大な幟である。一方が日天、もう一方が月天をあらわす。高さは資料によって幅があり、おおむね十メートルから十二メートルほどとされる。幟は初日の早朝に神社の参道に立てられ、二日目の早朝にオオナワタシの会場へ移される。会場では根元を二十俵の土俵で固め、カジボウという二本の棒で左右を支える。

そこから先は、力と歓声の行事である。大勢の青年が太綱を取り、仮宮をめざして幟を競い曳く。これは単なる力比べではない。かつては曳く時間の長短でその年を占い、長く曳けるほど良い年が来るとされた。そして幟の倒れ方もまた注視された。日天を陸、月天を海とする意識があったため、日天が先に倒れれば日照りを、月天が先に倒れればアマドシ(雨年)や時化を予兆すると考えられたのである。

オオナワタシの周囲では、奉納の芸能が繰り広げられる。ササラ踊りは全十二曲におよび、二人のナカダチを中心に少女たちが舞う。あわせてトヒイライ、エンヤボウ、そして酒樽を組んだ酒樽萬燈といった芸能が奉納される。それぞれを特定の年齢集団が担うため、祭りに加わること自体が、白間津に生きる者の人生の段階を示している。

訪れる前に

旅行者にとって最も受け止めにくい事実は、オオマチが四年に一度しかおこなわれないことだろう。近年では平成二十七年(二〇一五年)と令和元年(二〇一九年)に営まれた。一方、令和五年(二〇二三年)に予定されていた祭りは、地区に伝わる限り初めて中止となった。芸能を担う子ども、とりわけナカダチの人員がそろわなかったためである。数百戸の集落に少子化がもたらす負荷が、ここにはっきりと見てとれる。次回のオオマチを目指す場合は、出かける前に南房総市教育委員会へ開催予定を確認しておきたい。

白間津は千倉の海沿いに位置する。最寄り駅はJR内房線の千倉駅で、そこから海側へタクシーやバスで向かう。祭りの舞台は海に近く、七月下旬のこの海辺は日差しが強い。一日見物するなら、日除けと水分の備えがあると安心である。

白間津の周辺

祭りの年でなくとも、千倉の海岸は訪ねる価値がある。この一帯は花の産地として千葉県内に知られ、寒い季節には花畑が咲きそろい、切り花が各地へ送り出される。海沿いの道は房総フラワーラインとも呼ばれる。少し足をのばせば、日本では珍しい料理の神を祀る高家神社があり、年に数回、庖丁式が執りおこなわれる。半島南端の野島埼灯台からは太平洋が大きく見渡せ、周辺の海は、白間津を古くから養ってきた魚介を地元の食卓へ運んでいる。

Q&A

Q白間津のオオマチはどのくらいの頻度で開催されますか。
A四年に一度、七月下旬の三日間にわたって開催されます。もとは旧暦六月の行事で、現在は新暦にもとづくため、正確な日程は訪問前に地元へ確認してください。
Qオオナワタシとはどのような行事ですか。
A一対の巨大な幟を太綱で曳く行事です。日天と月天をあらわす高さ十メートル前後の幟を、青年たちが仮宮をめざして競い曳きます。かつてはその様子から、その年の作柄や天候を占いました。
Qナカダチとは何ですか。
A祭りの中心となる二人の少年で、ニッテン・ガッテンとも呼ばれます。満十二歳の氏子から選ばれ、約五十日間の精進潔斎を経て、祭りの間は神座のかたわらで拝礼を受けるなど、神に擬した扱いを受けます。
Q一般の見学はできますか。
A見学できます。近年は担い手不足を補うため、地区外からの参加者を募ることもあります。開催が稀で日程も変わりうるため、訪問前に必ず予定を確かめてください。
Q祭りはこれからも続きますか。
A先行きは不透明です。令和五年の祭りは担い手の子どもが集まらず初めて中止となりました。保存会は後継者の育成と参加者の勧誘を続け、伝統の継承に努めています。

基本情報

名称白間津のオオマチ(大祭)行事
所在地千葉県南房総市千倉町白間津
指定区分重要無形民俗文化財(国指定)
指定年月日平成四年(一九九二年)三月十一日
種別風俗慣習/祭礼(信仰)
保護団体白間津区
開催四年に一度、七月下旬の三日間(日枝神社の祭礼)
主な構成日枝神社の祭礼、お浜下り、オオナワタシ
関連事項ササラ踊りは昭和四十六年に「白間津のささら踊」として記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/41
文化遺産オンライン 白間津のオオマチ(大祭)行事
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/199716
千葉県 白間津のオオマチ(大祭)行事
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/n321-002.html
白間津オオマチ(大祭)保存会(南房総市民活動団体)
https://civil.mboso-etoko.jp/group/detail.asp?id=131

最終更新日: 2026.05.26