手のひらにおさまる一帖の写本
成田山仏教図書館が所蔵する『住吉物語』は、縦およそ16センチ、横およそ15センチのほぼ正方形をした、小さな一帖の冊子である。文様を織り出した和紙で表紙をしつらえ、専用の漆塗りの外箱に納められている。見た目の大きさはささやかだが、その内容が国文学史上に占める位置は小さくない。書写されたのは鎌倉時代の末、十四世紀の初め頃と考えられ、現存する『住吉物語』の写本のなかで最も古い一本とされている。
物語そのものは、この写本よりもさらに古い。平安時代の宮廷では数多くの物語が書かれ、『住吉物語』の名は清少納言の『枕草子』や紫式部の『源氏物語』のなかにも見える。つまり平安期にはすでに同名の作品が読まれていた。ただしその平安期の原本は失われており、いま読むことができるのは、後の鎌倉時代に古い文体を意識して書き直された本文である。
継母にしいたげられた姫君と、長谷観音の夢告
筋立ては、継子いじめという古くからの主題に拠っている。母を亡くした姫君が、父の後妻である継母に憎まれ、害されそうになる。その企てを察した姫君は都を離れ、現在の大阪、住吉の地に身を寄せる。この逃避行の場面が全編の山場をなすため、作品には「住吉」の名が冠せられたといわれる。
姫君を救うのは、信仰の働きである。姫君に恋いこがれていた三位中将は、その行方を知ることができずにいたが、長谷寺の観音、すなわち長谷観音が夢のなかで居場所を告げる。中将は住吉へ赴いて姫君を探しあて、二人は結ばれて都へ帰る。やがて姫君は父と再会し、悪計をめぐらせた継母は没落していく。善が報われ悪がしりぞけられる勧善懲悪の筋に、観音の利生が結びついた構成である。
国文学では、この本文を擬古物語に分類する。鎌倉時代の作者たちは、過ぎ去った平安の宮廷文化への憧れから、二百年ほど前の風俗や語彙、恋の作法をまねた物語を新たに書いた。『住吉物語』はそうした作品のなかでも趣向に工夫が見られる一作で、継子いじめの筋は後世にも好まれ、絵巻や奈良絵本としても繰り返し作られていった。
一帖の写本が国の重要文化財となった理由
この写本は、昭和43年(1968年)4月25日に重要文化財に指定された。評価の根拠は、装飾の美しさよりもむしろ本文としての古さにある。平安期の原本が失われ、鎌倉期の書き直し本も限られた写本でしか残っていない以上、どの写本がより古い段階の本文を伝えているかは、作品を研究するうえで決定的に重要となる。成田山仏教図書館本は、書き直された物語が成立して間もない時期に写されたとみられ、その系統の先頭に立つ。
この一本は、研究者のあいだで「成田本」と呼ばれる。徳川家にかつて伝わった写本や、京都国立博物館が所蔵する写本などと区別するための呼称で、なかでも成田本は基礎資料としての重みをもつ。装訂は粘葉装で、二つ折りにした料紙を折り目の側で貼り合わせる古い形式をとり、葉の文様をあしらった表紙でくるまれている。長く保存することを前提とした、丁寧なつくりの一帖である。
記録の上で一点、念のため触れておきたい。指定の年月日について、文化庁の国指定文化財等データベースと千葉県の一覧はいずれも昭和43年(1968年)とするが、成田市の文化財紹介ページは異なる年月日を挙げている。本稿は一次資料である文化庁データベースの記載に従った。
成田山仏教図書館と、その周辺
この写本は、一般には公開されていない。所蔵するのは成田山仏教図書館で、公益財団法人成田山文化財団が運営する閉架式の図書館である。利用者の求めに応じて職員が資料を出納する方式をとり、仏教書を中心に約32万冊を所蔵する。入館も閲覧も無料だが、ここは調べものや研究のための場所であり、『住吉物語』そのものは保管されたままなので、訪れて得られるのは書物の現物との対面よりも、落ち着いた学びの空気のほうである。
もっとも、その立地は関東でも指折りに賑わう一画にある。図書館が建つのは成田山新勝寺の境内で、新勝寺は天慶3年(940年)の開創と伝わる真言宗の大寺であり、初詣には全国から数百万の参拝者が集まる。JR成田駅や京成成田駅から続く表参道には、うなぎや漬物を商う古い店が軒を連ね、その先に大本堂や三重塔、背後の成田山公園の緑が広がる。成田は国際空港にも近く、日本に着いた最初の日、あるいは発つ前の一日に立ち寄りやすい門前町でもある。
物語を絵で見たいという人には、別の手立てがある。東京国立博物館が所蔵する『住吉物語絵巻』は、この物語を描いた現存最古の絵巻で、成田の写本とは別の作品ながら、同じ姫君の姿に出会える。その図像は、同館のe国宝(e-Museum)のサイトを通じて閲覧することができる。
Q&A
- 『住吉物語』の写本は展示で見られますか。
- いいえ。この写本は成田山仏教図書館に保管されており、公開されていません。同館は閉架式の研究図書館で、閲覧室を利用することはできますが、指定された冊子そのものは一般には展示されていません。
- 物語の成立と、この写本の書写はいつ頃ですか。
- 同名の『住吉物語』は平安時代に存在し、『枕草子』や『源氏物語』にもその名が見えますが、平安期の原本は失われています。現在読まれる本文は鎌倉時代の書き直しで、この成田本はそのなかでも鎌倉末期に写された、現存最古の写本とされています。
- なぜ「住吉物語」という題名なのですか。
- 継母から逃れた姫君が、現在の大阪にあたる住吉の地に身を寄せる場面が物語の山場となっているためです。この逃避の地が、そのまま作品の題名になったといわれています。
- 図書館へはどう行けばよいですか。
- 成田山新勝寺の境内にあり、JR成田駅または京成成田駅から表参道を15分ほど歩いた先です。成田は成田国際空港から電車で約10分の距離にあり、到着日や出発日の予定にも組み込みやすい立地です。
- 物語を絵で見られる場所はありますか。
- あります。東京国立博物館が、この物語を描いた現存最古の絵巻『住吉物語絵巻』を所蔵しており、その図像は同館のe国宝のサイトで見ることができます。成田の写本とは別の作品ですが、同じ物語を描いたものです。
基本情報
| 名称 | 住吉物語(すみよしものがたり)/通称「成田本」 |
|---|---|
| 指定区分 | 重要文化財(書跡・典籍) |
| 指定年月日 | 昭和43年(1968年)4月25日(文化庁データベースによる) |
| 員数 | 1帖(粘葉装、縦約16センチ・横約15センチ) |
| 時代 | 鎌倉時代末期/現存最古の写本 |
| 所有者 | 成田山仏教図書館(公益財団法人成田山文化財団) |
| 所在地 | 〒286-0024 千葉県成田市田町312 |
| 公開状況 | 非公開。図書館の入館・閲覧は無料(閉架式) |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「住吉物語」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/8731
- 成田市 指定文化財「住吉物語」
- https://www.city.narita.chiba.jp/shisei/page0152_00057.html
- 成田山仏教図書館 公式サイト
- https://www.naritasanlib.jp/
- 国文学研究資料館「書物で見る 日本古典文学史」住吉物語
- https://www.nijl.ac.jp/etenji/bungakushi/contents/detail/detail03-01_004.html
- e国宝(東京国立博物館)「住吉物語絵巻」
- https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100256
最終更新日: 2026.06.20