旧数山家住宅
建築年がはっきりしている民家は、それほど多くない。旧数山家住宅は、座敷の押入れから墨書が見つかったことで、天保13年(1842年)という年代が確かめられた。江戸時代も終わりに近づいた頃の建築である。福岡県田川郡添田町の津野地区、英彦山へ向かう旧参道のすぐわきに、この農家は建っている。
背後は山がすぐに迫り、敷地は南北に細長い。そのため主屋の南側に前庭を取り、日当たりを確保している。桁行は21メートルを超え、寄棟造の茅葺屋根が裏山を背に長く伸びる姿は、二百年近く前からほとんど変わっていない。
英彦山詣での道に建つ農家
英彦山は、出羽三山・熊野とならぶ修験道の一大霊場として知られてきた。山伏や参詣者が幾世代にもわたって登拝し、その往来が麓の集落のかたちをつくった。
英彦山に詣でる人々は、郡境・国境にあたる七つの入口、いわゆる英彦山七口のいずれかを通った。数山家が建つ津野口は、北の豊前方面から山に向かう人が越えた口にあたる。これだけの規模の農家が参道沿いに構えられていたことから、数山家は当初から相応の財力をもつ農家であったと考えられている。周囲の田畑を耕しながら、戸口の前を絶え間なく参詣者が行き交う、そういう暮らしであった。
なぜ重要文化財なのか
日本の民家には地域ごとの類型がある。数山家住宅は、一棟の長方形にまとめた「直屋(すごや)」と呼ばれる形式で、別の地方に見られるL字形の「曲屋」とは対照的だ。直屋は北部九州の有力な農家がとった標準的な形であり、福岡県内で良好に残る例は数少ない。
文化庁は昭和53年(1978年)1月21日、この建物を重要文化財に指定した。福岡県を代表する直屋の農家という点が評価されている。天井や部屋の仕切りといった内部の細部が当初の姿をよく保ち、後世の改造で性格を失った古民家が多いなかで、改変の少なさが際立っていた。昭和54年(1979年)の解体修理によって、建築当初の姿に復原されている。
見どころ
間口は21.3メートルにおよぶ。この幅広い正面が、寄棟造・茅葺の屋根に堂々とした量感を与えている。前庭に立つと、裏山の緑を背景に、一続きの茅葺が大きく横に広がって見える。
東の壁に目を向けてほしい。この面は軒が短く、雨が壁に当たる。そこで土壁を守るため、壁面いっぱいに割竹を張っている。農家らしい実用本位の手当てだが、これほど完全な形で残る例は珍しい。ほかの壁は土壁のままで、見せるための家ではなく働くための家であったことがうかがえる。
内部は東西にきれいに分かれる。西半分は広い土間で、屋内の農作業をこなす場であった。土間の南隅には馬屋を置き、その奥に蔵を構える。東半分は居室で、整形六間取と呼ばれる六室の配置をとる。土間に近い「ひろま」「ちゃのま」は竹床のままで、多くの農家で畳に先立って用いられた素朴な床である。その奥に「なかのま」「なんど」が続き、上手には接客の座敷と奥納戸が配される。年代を記した墨書が見つかったのは、この座敷の押入れであった。室内には当時の農具が展示され、人のいない部屋に、かつての営みの気配を添えている。
見学情報と周辺
建物は無料で公開され、見学時間はおおむね10時から17時まで、月曜日と年末年始は休みとなる。専用の駐車場はほとんどないため、多くの人は車で近くに停めるか、添田町コミュニティバスの津野線を使い、宮元バス停から数分歩いて訪れる。
最寄りの添田駅までは車でおよそ20分。添田駅は、JR日田彦山線と、2017年の豪雨被害を受けて南側区間に代わって運行されるBRTひこぼしラインとが接続する駅でもある。
多くの来訪者は、英彦山とあわせてこの家を訪れる。山上には、元和2年(1616年)に小倉藩主細川忠興が再建した英彦山神宮奉幣殿や、寛永14年(1637年)の銅鳥居があり、いずれも重要文化財に指定されている。かつての山伏坊舎を活用した添田町歴史民俗資料館(財蔵坊)では、数山家の戸口の前を通っていった修験道の世界に、より近づくことができる。
Q&A
- 建築年がはっきりわかっているのはなぜですか。
- 座敷の押入れから見つかった墨書に、天保13年(1842年)と記されていたためです。木造建築の年代を知る手がかりとして墨書は最も確かなもので、この記録は昭和54年(1979年)の解体修理の際に確認されました。
- 「直屋」とは何ですか。
- 一棟の長方形にまとめた民家のことで、別棟が突き出すL字形の「曲屋」と対をなす呼び方です。北部九州の有力な農家に多く見られた形式で、数山家住宅は福岡県内に残る直屋の好例として評価されています。
- 中に入って見学できますか。
- はい。入館は無料で、内部も公開されています。見学時間はおおむね10時から17時まで、月曜日と年末年始は休みです。小規模な施設のため公開状況が変わることもあり、事前に添田町へ確認しておくと安心です。
- 東側の壁が竹で覆われているのはなぜですか。
- 東面は軒が短く、雨が壁に当たります。下地の土壁を守るために、壁面いっぱいに割竹を張りました。農家ならではの実用的な工夫で、これほどよく残る例は多くありません。
- 周辺にはほかに何がありますか。
- この家は英彦山への参道沿いに位置します。山上には重要文化財の英彦山神宮奉幣殿と銅鳥居があり、添田町歴史民俗資料館(財蔵坊)では、この谷一帯をかたちづくった修験道の歴史にふれられます。
基本情報
| 名称 | 旧数山家住宅(きゅうすやまけじゅうたく) |
|---|---|
| 所在地 | 福岡県田川郡添田町大字津野1788番地 |
| 指定区分 | 重要文化財(昭和53年〈1978年〉1月21日指定) |
| 年代 | 天保13年(1842年)/江戸末期 |
| 構造・形式 | 1棟。桁行21.3メートル、梁間7.9メートル、寄棟造・茅葺、整形六間取の直屋 |
| 所有者 | 添田町 |
| 見学 | おおむね10時〜17時。月曜日・年末年始休(入館無料) |
| アクセス | JR日田彦山線 添田駅から車で約20分/添田町コミュニティバス津野線 宮元バス停下車、徒歩約3分 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/3501
- 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/147198
- 旧数山家住宅(きゅうすやまけじゅうたく)|添田町公式ホームページ
- https://www.town.soeda.fukuoka.jp/site/siteibunkazai/1240.html
- 旧数山家住宅|福岡県の文化財
- https://www.fukuoka-bunkazai.jp/frmDetail.aspx?db=1&id=183
最終更新日: 2026.06.04