大宰府の縁辺に残る古代の土塁
福岡県筑紫野市の南部、若江・筑紫の丘陵に、土を積み上げて築いた古代の長大な土手が残る。前畑遺跡の土塁状遺構である。平成27年(2015年)、筑紫駅西口の土地区画整理に伴う発掘調査で姿を現し、令和7年(2025年)3月10日、国の史跡に指定された。
土塁状遺構は、背振山地から東へ延びる丘陵の尾根筋を南北に走る。平地を横切るのではなく、自然の地形に沿って断続的に築かれた。確認された総延長は558メートルにおよび、下端の幅は14〜15メートル、現存する高さは2.5〜3.5メートルで、二段に積み上げる構造をとる。指定範囲はそのうち約320メートルである。
築造のきっかけ──663年とその後
この土塁の背景には、天智2年(663年)の白村江の戦いがある。百済救援に向かった倭国の水軍が唐・新羅連合軍に大敗し、朝廷は大陸からの侵攻という現実に直面した。以後、大陸に最も近い北部九州の防備が急がれていく。
その中枢に置かれたのが大宰府である。九州全域の民政・軍事・外交を統括した古代の役所で、周囲には水城、大野城、基肄城といった防御施設が次々に築かれた。大野城や基肄城には、百済からの渡来人がもたらした築城技術が用いられている。前畑遺跡の土塁は、大宰府政庁跡の南東約7キロ、基肄城と阿志岐山城という二つの古代山城を結ぶ線上に位置する。
国史跡に指定された理由
調査で注目されたのは、その築造法である。まず地面を階段状に削り出したり平坦にならしたりして基礎をつくり、その上に異なる土を薄く層状に積み、一層ごとに突き固めていく。版築と呼ばれるこの工法は、東アジアの城壁や築堤に広く用いられた。
ところが前畑遺跡には、国内の他の土塁では確認されていない工法が含まれていた。当時の土木技術が一様ではなく、複数の系譜が併存していたことをうかがわせる。
これほどの規模となれば、地域だけの事業ではなく、国家的な関与が想定される。水城、大野城、基肄城、阿志岐山城、さらに関屋土塁やとうれぎ土塁などと連動し、大宰府を囲む外郭線の一部を構成していた可能性が指摘される。大宰府の防衛構造を考えるうえで、前畑遺跡は新たな手がかりとなった。
土塁を読み解く──発掘が明らかにしたもの
年代を絞り込んだのは、二つの墓である。土塁東側の丘陵頂部では7世紀中頃の小規模な円墳が、現存する土塁の東約4メートル、本来は土塁が延びていたとみられる位置では9世紀後半の土坑墓が見つかった。これらが、土塁の築かれ機能した時期の手がかりとなった。築造は7世紀中頃前後で、使用された時期については、主に8世紀後半までとする見方と、9世紀後半に及ぶとする見方がある。
発掘で最も印象的な記録は、土塁を断ち割った断面だろう。突き固められた土が縞模様となって現れ、一層一層を積み重ねた手間がそのまま見てとれる。草に覆われた現在の尾根からは想像しにくい築造の手順が、トレンチの壁面写真にはっきりと刻まれている。
訪問について、そして足を運びたい場所
訪問を考える前に一つ。前畑遺跡は現在、公開されていない。敷地に個人の土地が含まれるため、市は現地の公開や案内を行っていない。標識や見学路、展望台なども整備されていない。
代わりに足を運びたいのが、この土塁が属した防衛網の各所である。筑紫野市歴史博物館では発掘調査報告書や指定関連の資料を閲覧でき、遺跡を理解する出発点となる。北へ向かえば、古代大宰府を守った施設が今も残る。谷を横切る水城跡の土堤、大宰府政庁跡を見下ろす四王寺山の大野城跡、県境の基山にまたがる基肄城跡。礎石が並ぶ大宰府政庁跡そのものも、この一帯の歴史の中心にある。
Q&A
- 前畑遺跡は見学できますか。
- 現在は公開されていません。敷地に個人の土地が含まれるため、市による現地公開や案内は行われていません。筑紫野市歴史博物館で関連資料を見ることができます。
- 何が見つかったのですか。
- 丘陵に築かれた長大な土塁状遺構です。異なる土を層状に積んで突き固めたもので、断続的に確認された総延長は558メートル以上、現存する高さは最大約3.5メートル、二段に積み上げられています。
- なぜ土の構造物が国史跡になるのですか。
- 規模から国家的な関与が想定されること、古代大宰府を囲む防御施設の配置に合致すること、国内に他例のない工法を含むことが評価されました。大宰府の外郭線を考え直す手がかりとなります。
- いつ頃のものですか。
- 663年の白村江の戦いののち、7世紀中頃に築かれたと考えられています。使用された期間については見解が分かれ、国の登録では9世紀後半までの幅をとります。
- 周辺の遺跡とどうつながりますか。
- 水城、大野城、基肄城、阿志岐山城などと一連の防御施設を構成します。土塁は基肄城と阿志岐山城を結ぶ線上にあり、大宰府を守る外郭線の一部を担った可能性があります。
基本データ
| 名称 | 前畑遺跡(まえはたいせき) |
|---|---|
| 所在地 | 福岡県筑紫野市(大字若江・筑紫) |
| 指定区分 | 国史跡(令和7年〔2025年〕3月10日指定、告示番号23) |
| 時代 | 7世紀中葉〜9世紀後半 |
| 種類 | 土塁状遺構(版築による築造) |
| 規模 | 確認総延長558メートル以上、指定範囲約320メートル、下端幅14〜15メートル、現存高2.5〜3.5メートル、二段築成 |
| 指定面積 | 9,535.92平方メートル |
| 管理団体 | 筑紫野市 |
| 公開状況 | 非公開(個人の土地を含むため) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)── 前畑遺跡
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00004219
- 文化遺産オンライン ── 前畑遺跡
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/623139
- 筑紫野市ホームページ ── 前畑遺跡(国史跡)[筑紫・若江]
- https://www.city.chikushino.fukuoka.jp/soshiki/38/45425.html
- 筑紫野市ホームページ ── 前畑遺跡が国史跡に指定されました
- https://www.city.chikushino.fukuoka.jp/soshiki/38/40588.html
最終更新日: 2026.05.29