屋形古墳群 ― 舟と鳥が描かれた、うきはの装飾古墳
福岡県うきは市、耳納山地のふもとに広がる台地の縁に、6世紀につくられた4基の円墳が南北に並んでいる。珍敷塚(めずらしづか)古墳、原(はる)古墳、鳥船塚(とりふねづか)古墳、古畑(ふるはた)古墳。この4基をまとめて屋形古墳群と呼ぶ。いずれも横穴式石室をもつ装飾古墳で、石室の壁に赤と青の顔料で絵が描かれている。現在、墳丘がはっきり残るのは原古墳と古畑古墳の2基で、ほかの2基は壁画の一部を中心に遺存している。
装飾古墳とは、石室の壁に彩色や線刻で文様や絵を施した古墳をさす。日本各地の古墳の多くは内部が無装飾だが、北部九州にはこうした装飾をもつ古墳が集中している。屋形古墳群の壁画は、幾何学文様だけでなく、舟・鳥・靫(ゆぎ)・盾・人物・同心円といった具体的な図像を組み合わせている点に特徴がある。
採土工事での発見から国史跡へ
この古墳群が世に知られるきっかけは、偶然の発見だった。昭和25年(1950年)、採土工事の最中に、群の北端にあたる珍敷塚古墳の彩色された石室が姿をあらわした。発見は大きな注目を集め、昭和28年(1953年)3月31日、「珍敷塚古墳 附鳥船塚古墳 古畑古墳」の名称で国の史跡に指定された。史跡名勝天然記念物のうち史跡にあたり、指定基準は「貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡」である。
名称が変わったのは昭和61年(1986年)2月25日のことだ。この日、指定名称が「屋形古墳群 珍敷塚古墳 鳥船塚古墳 古畑古墳 原古墳」に改められ、4基目を含めるかたちで指定地が広げられた。その後、平成15年(2003年)と平成27年(2015年)にも追加指定が行われている。4基はもともと同じ台地上の一群の墓域に属していたとみられ、名称の変更はその実態に記録を合わせる措置でもあった。
4基の古墳とその壁画
珍敷塚古墳は群の北端、県道のすぐ南側に位置する。石室は古い時期に壊されており、絵のある奥壁と腰石が残る。奥壁の絵は赤と青の顔料を用い、岩の地肌を生かして三色の色合いで構成されている。中央には弓矢の入った靫を3個並べ、左と中央の靫の間に大きなワラビ手文様が立ちあがる。靫の左上には同心円文、その下にはゴンドラ形の舟があり、舳先には鳥が止まり、冠をかぶった人物が櫂をとる。右側には盾を持つ人物、その下には2匹の蟾蜍(センジョ、ヒキガエル)が描かれる。蟾蜍は古代中国で月に住む動物とされた。被葬者が太陽の世界から月の世界へ、鳥が導く舟で現世から来世へ渡ろうとする姿を表したもの、と解釈されている。
原古墳は珍敷塚古墳の南約110メートル、径約12.4メートル・高さ約3.5メートルの円墳である。内部主体は西に開口する全長約8.9メートルの単室の横穴式石室で、奥壁の腰石と側壁の一部に赤色の壁画が残る。中央に準構造船のような大型の舟が描かれ、右が船首、大きな櫂が2本のびる。船上には弓を持つ人物と櫂を操る人物が乗り、馬あるいは遺体を納めた屋形とみられる図、船尾近くに3個の靫もある。奥壁の石は採石のため一度抜き取られ、戻すときに反対向きに置かれたため、壁画が外を向いた状態で保存されている。
鳥船塚古墳は原古墳の南約135メートルにある。石室は破壊され、奥壁の腰石2段が残るのみだが、その絵がこの古墳の名の由来になっている。1段目には同心円文と舟、2個の靫、2段目には大きな盾。舟は人物を乗せ、帆を張る柱を2か所に立て、大きな櫂をもつ大型の船で、舳先と艫にそれぞれ鳥が1羽ずつ止まっている。
古畑古墳は鳥船塚古墳の南約200メートル、径約20メートル・高さ約3メートルと群中で最も大きい。墳丘は2段築成で、段の面に円筒埴輪が並んでいた。内部主体は南西に開口する副室の横穴式石室。奥壁の鏡石には赤色で同心円文・三角文・人物が描かれている。
壁画が貴重とされる理由
装飾古墳そのものが数少なく、なかでも筑後川中流域は全国有数の集中地域として知られる。屋形古墳群が注目されるのは、その絵が単なる幾何学文様にとどまらない点にある。舟・鳥・靫・同心円といった図像が繰り返し組み合わされ、世界と世界のあいだの移動を描いているように読み取れる。絵師は赤と青を中心とした限られた顔料を用い、花崗岩の黄褐色の地肌を第三の色として使って、描線を赤、地塗りを青で配している。
これほど古い顔料が残ること自体がまれである。一度埋もれ、掘り出され、保存施設に守られたという経緯があってはじめて、舟や鳥の絵は今も見ることができる。湿度や光を管理するために壁画は保存施設に収められており、これが見学を限定する理由にもなっている。
見学と周辺の見どころ
石室は傷みやすく、いつでも公開されているわけではない。珍敷塚古墳をはじめとする壁画は、原則として月に一度、土曜日に公開され、見学には数日前までの事前予約が必要となる。問い合わせや申し込みは、うきは市および吉井歴史民俗資料館が窓口になっている。秋には、近隣の市町にある装飾古墳が同じ日に一斉公開される催しに合わせて公開されることも多い。内部を見たい場合は、出かける前に最新の公開日程を確認しておきたい。
周辺にも見どころが多い。すぐ近くの若宮八幡宮の境内には、全長約74メートルの前方後円墳・日岡(ひのおか)古墳がある。6世紀前半の装飾古墳で、奥壁を中心に赤・白・緑などの色を使い分け、同心円文・三角文・ワラビ手文といった幾何学文に加え、武具・舟・馬・魚・獣などが描かれる。福岡県を代表する装飾古墳の一つで、若宮古墳群を構成する。うきは市はこのほか、吉井の白壁の町並みやつづら棚田、季節ごとの果樹園でも知られる。鉄道ではJR久大本線の筑後吉井駅が最寄りで、町並みや古墳のいくつかは徒歩や車で回れる範囲にある。
Q&A
- 装飾古墳とは何ですか。
- 石室の壁に彩色や線刻で文様や絵を施した古墳のことです。古墳の多くは内部が無装飾ですが、北部九州には装飾をもつものが集中しており、屋形古墳群はその代表的な一群です。
- 中に入って見学できますか。
- 自由には入れません。壁画は保存施設に収められ、原則として月に一度、事前予約制で公開されます。うきは市または吉井歴史民俗資料館に問い合わせ、最新の公開日を確認してから訪ねてください。
- 舟や鳥の絵にはどんな意味があるのですか。
- 被葬者があの世へ旅立つ場面を表したもの、と解釈されています。鳥が導く舟に乗り、太陽の世界から月にかかわる世界へ移るという見方です。文字記録ではなく、図像からの読み取りである点に留意してください。
- いつごろの古墳ですか。
- 古墳時代後期、6世紀のものです。この地域では、この時期に装飾古墳が数多くつくられました。
- あわせて訪ねたい場所はありますか。
- 若宮八幡宮境内の日岡古墳は、色鮮やかな壁画で知られるもう一つの装飾古墳です。吉井の白壁の町並みも近く、周辺は果樹園や棚田の景観で親しまれています。
基本情報
| 名称 | 屋形古墳群 珍敷塚古墳 鳥船塚古墳 古畑古墳 原古墳 |
|---|---|
| 所在地 | 福岡県うきは市吉井町富永 |
| 指定区分 | 国指定史跡(史跡名勝天然記念物) |
| 指定年月日 | 昭和28年(1953年)3月31日指定/昭和61年(1986年)2月25日 名称変更・追加指定/平成15年・平成27年 追加指定 |
| 時代 | 古墳時代後期(6世紀) |
| 構成 | 円墳4基。うち3基に壁画。墳丘が残るのは原古墳・古畑古墳 |
| 管理団体 | うきは市 |
| アクセス | JR久大本線 筑後吉井駅から。石室内部は事前予約制で公開日のみ見学可 |
References
- 国指定文化財等データベース(屋形古墳群 珍敷塚古墳 鳥船塚古墳 古畑古墳 原古墳)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/2643
- 文化遺産オンライン(屋形古墳群 珍敷塚古墳 鳥船塚古墳 古畑古墳 原古墳)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/139717
- うきは市 屋形古墳群(珍敷塚・原・鳥船塚・古畑)
- https://www.city.ukiha.fukuoka.jp/kiji0035103/index.html
- うきは観光サイト 珍敷塚古墳
- https://ukihalove.jp/contents/medurashidukakofun/
最終更新日: 2026.05.28