地輪に刻まれた治承五年
福島県石川郡玉川村、岩法寺と呼ばれる集落の一角に、覆堂に守られた一基の石塔がある。高さおよそ180センチ。最上部の宝珠を失い、地・水・火・風の四輪を残すのみとなった石造五輪塔だが、最下段の地輪には紀年銘がはっきりと刻まれている。「治承五年(1181)丁子十一月日、私恩弟弁阿」――この一行が、本塔をただの古い供養塔から、日本の石造工芸史を語るうえで欠かすことのできない一基へと押し上げている。
銘の差出人「弁阿」は、塔の上部・風輪に「弁阿弥陀仏」と刻まれているのと同じ人物と考えられる。発願者の法名と造立年が同一塔に明示される例は、12世紀の石造遺品にあって極めて稀である。
材は安山岩。重量感のある水輪、丸みを残したまま緩やかに立ち上がる火輪。後の鎌倉期に整えられる鋭利で華やかな輪郭とは異なり、輪郭線はどこか躊躇いを含んでいる。五輪塔という形式そのものが、まだ確立の途上にあった時代の作だからである。
被葬者 源基光と陸奥石川氏
本塔は、陸奥石川氏二代目の領主・源基光(みなもとのもとみつ)の墓塔として造立されたと伝わる。基光の父・有光(ありみつ)は、永承六年(1051)に父頼遠とともに源頼義に従って奥州に下向。前九年の役で頼遠が厨川柵に戦死すると有光が軍を継ぎ、康平六年(1063)の戦功によって従五位下安芸守に叙され、石川郡六十余郷を与えられた。有光は泉郷――現在のJR水郡線「泉郷駅」がその地名を伝える――を拠点として三芦城を構え、それより石川氏を称した。
この有光の子が基光である。注目したいのは、基光の母が藤原清衡の娘だったと『常州古内静音寺蔵書 佐竹幷諸家系図』に記される点である。清衡は奥州藤原氏の祖にして、平泉中尊寺を建立した人物である。基光の代の石川氏は、平泉の文化圏と縁戚関係で直接につながっていたことになる。
1181年という造立年代は、奥州藤原氏三代秀衡の時代に重なる。平泉の中尊寺釈尊院五輪塔(仁安四年・1169年)からわずか12年後、奥州藤原氏が文治五年(1189)に滅亡する八年前。本塔は、平泉文化の余光が阿武隈山地に届いていたことを示す数少ない物証のひとつなのである。
指定の根拠と石造美術史上の位置
本塔は昭和13年(1938)7月4日、国の重要文化財に指定された。指定の根拠は、年銘の確実性、塔形の貴重さ、そして造立背景の明確さに集約される。
在銘の石造五輪塔として、本塔より古い実例は限られる。岩手県平泉町中尊寺釈尊院五輪塔(仁安四年・1169年)、大分県臼杵市の中尾五輪塔(嘉応元年・1170年)に次ぐ古例であり、玉川村観光協会が「国内三番目に古い五輪塔」と紹介するのはこの系譜に拠るものである。立体の石造遺品としては、確実な紀年銘を持つ12世紀の五輪塔は片手で数えられるほどしか現存しない。
もう一つの価値は、塔形の過渡的性格にある。五輪塔という形式が日本で成立し、本格的な石造化が進むのは、ちょうど平安末期である。本塔は、後の鎌倉期に流通する整った「鎌倉型」より前の段階に位置し、火輪の勾配の緩さ、各輪表面の梵字を持たない簡素さに、形式が固まる以前の姿を留めている。
銘文が地輪と風輪の両方に及び、発願者・年月日・被葬者を結びうる情報が揃っている点も希少である。年銘・銘記・伝承の三つが揃って残る12世紀の石塔は、東国においては本塔のほかに数例を見出せるかどうかという水準である。
覆堂の前で見るべきこと
覆堂の前に立ったら、まず地輪の四面に目を寄せたい。右側に「治承五年(1181)丁子十一月日、私恩弟弁阿」、左側には「弁阿弥陀仏」の刻銘がある。風化は当然進んでいるが、輪郭の残りはなお読み取れる。年月日まで明示する地輪刻銘は、石造五輪塔の白眉と言ってよい。
水輪は球形ながらわずかに上面が削平されており、火輪を載せるための実用的な配慮が伺える。火輪は四角錐に近い緩やかな勾配を持ち、後の鎌倉型に見られる屋根の反りや厚みのある軒口は備えない。これは京都型に近い古式を示すと評される。風輪は半球状で、上端には宝珠を受けるための凹みが認められる。本来あったはずの空輪・宝珠は早くに失われたとみられる。
各輪に梵字が刻まれていないことにも注目したい。鎌倉期以降の石造五輪塔は地・水・火・風・空それぞれに「ア・ヴァ・ラ・カ・キャ」の種子を彫り込むのが通例となるが、本塔にはそれがない。形式が定型化する以前の素朴な姿が、ここに残されている。
覆堂は質素な切妻屋根の小堂で、前面は開放されている。塔の周囲は朱色の柵で仕切られ、直接の接近はできないが、四方からの観察が可能なように設えられている。
アクセスと周辺の楽しみ
最寄駅はJR水郡線「泉郷駅」で、徒歩約15分。塔の名と源有光の拠点「泉郷」が地名としてそのまま駅名に残っているのは、土地の記憶の連続性を実感させる。車の場合は東北自動車道須賀川インターまたは矢吹インターから30分前後。福島空港から1.5キロほどという位置関係も、玉川村ならではの特徴である。
覆堂は屋外にあり、年間を通して見学できる。拝観料は無料。光の入り方は午前から正午前後がもっとも良い。
立ち寄りどころとして、村の中心部にある「道の駅たまかわ こぶしの里」は地場野菜や郷土食品を扱う。村の名産・サルナシ(こくわ)の加工品はここでしか手に入らない。少し足を伸ばせば、田村市のあぶくま洞は東北を代表する鍾乳洞として知られ、半日コースで石塔と組み合わせて訪ねるのに適している。北東に向かえば須賀川市――特撮監督円谷英二の出身地で、市街には「ウルトラマン通り」がある。塔から車で30分ほどの距離だ。
Q&A
- いつでも見学できますか。
- 巌峯寺参道脇の覆堂に常時安置されており、年間を通じて屋外から拝観できます。拝観料は無料です。冬期は積雪により参道が歩きにくくなる場合があるため、晩春から秋にかけてが訪問しやすい季節です。
- なぜ最上部が欠けているのですか。
- 本塔は本来、五輪塔として地・水・火・風・空の五段で構成されていましたが、最上段の空輪(宝珠形)は早くに失われています。失われた経緯は史料上は明らかではなく、830年余りのうちに散逸したものと考えられます。残る四輪はいずれも当初の位置を保っています。
- 本塔は誰の墓塔ですか。
- 陸奥石川氏二代目の領主・源基光の墓塔として、治承五年(1181)十一月、僧弁阿によって建立されたと地輪の刻銘から読み取れます。基光の母は奥州藤原氏の祖・藤原清衡の娘と伝わり、本塔は陸奥石川氏と奥州藤原氏の縁戚関係を背景に造られた可能性が高い遺品です。
- 撮影はできますか。
- 覆堂の外側からの個人撮影は可能です。塔は柵で保護されているため直接近づくことはできません。フラッシュや三脚の使用は文化財保護の観点から控えるのが望ましいでしょう。
- 「国内3番目に古い五輪塔」とされる根拠は何ですか。
- 確実な紀年銘を持つ立体の石造五輪塔として、中尊寺釈尊院五輪塔(仁安四年・1169年)、大分県臼杵市の中尾五輪塔(嘉応元年・1170年)に次ぐ古例にあたるとされ、玉川村観光物産協会の解説に基づきます。なお保元二年(1157)銘の春日山石窟仏内蔵塔など、より古い小型・装飾的な五輪塔は別系統として存在します。
基本情報
| 名称 | 五輪塔(石造五輪塔) |
|---|---|
| 所在地 | 〒963-6311 福島県石川郡玉川村大字岩法寺字方丈147番地 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) |
| 指定年月日 | 昭和13年(1938)7月4日 |
| 時代 | 平安後期・治承五年(1181) |
| 員数 | 1基 |
| 構造・材質 | 石造(安山岩)/空輪・宝珠は失われ、現存は四輪 |
| 高さ | 約180センチメートル |
| 銘文 | 地輪右側面に「治承五年(1181)丁子十一月日、私恩弟弁阿」/風輪に「弁阿弥陀仏」 |
| 所有者 | 玉川村 |
| 安置場所 | 巌峯寺参道脇の覆堂 |
| アクセス | JR水郡線「泉郷駅」より徒歩約15分/東北自動車道須賀川IC・矢吹ICより車で約30分/福島空港より約1.5km |
| 拝観 | 常時公開・無料(覆堂屋外より見学) |
参考資料
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3362
- 文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/199159
- 玉川村公式サイト 石造五輪塔【国重要文化財指定】
- https://www.vill.tamakawa.fukushima.jp/seeing/15.html
- 玉川村観光物産協会 石造五輪塔(せきぞうごりんとう)
- https://tamakawa-kanko.jp/watch/12.html
- 河合哲雄「石仏と石塔」五輪坊墓地五輪塔
- https://kawai24.sakura.ne.jp/hukusima-gorinbou.html
- Wikipedia 陸奥石川氏/源有光
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E5%A5%A5%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E6%B0%8F
最終更新日: 2026.05.16