飯野家文書 ― 八百年を継いだ宮司家の記録

ひとつの家が、八百年近くにわたって書類を持ち続けた。その結果が、東北地方でも有数の中世文書群である。飯野家文書は、福島県いわき市に鎮座する飯野八幡宮の宮司をつとめてきた飯野家に代々受け継がれてきた文書で、その数は千六百八十三通におよぶ。

この文書群のなかで最も古い一通は、元久元年(一二〇四)の年紀をもつ。八幡宮の社領であった好島庄(よしまのしょう)の田地を記した目録の注進状案であり、飯野家の祖が仕えた荘園そのものにかかわる記録である。ここを起点として、文書は鎌倉・南北朝・室町・江戸の各時代へと広がってゆく。一族が土地を治め、社を守り、訴訟を戦い、周囲の武士たちの興亡をくぐり抜けてきた過程が、紙の上に書き留められている。

国はこの一群を、平成六年(一九九四)六月二十八日に重要文化財に指定した。仏像や建築とは異なり、文書群はその価値を一通ずつ、行政上の細部を通して明らかにしてゆく。歴史家はそうした細部から、失われた時代の姿を組み立て直す。

指定の理由と史料的価値

千六百八十三通のうち、中世にさかのぼる文書は二百十通を数え、これが文書群の核をなす。地方の一族の文書がこれほどまとまった形で残るのは稀である。なかには鎌倉幕府の下知状、上位者の意を奉じて出された御教書、申状、そして武士が合戦での働きを書き上げて提出した軍忠状などが含まれる。

中世文書のおよそ三分の二は、伊賀盛光という一人の人物にかかわる。盛光は鎌倉末期から南北朝期にかけて、八幡宮とその社領を維持するために奔走した。これらの文書を年代順に読むと、政治的な動乱の数十年を一人の領主がどう生き抜いたかを追うことができる。

その中心にあった好島庄は、鎌倉幕府と結びついた関東御領で、京都に近い石清水八幡宮を本家としていた。荘園の現地を預かる預所が八幡宮の神主を兼ねるのが慣例で、土地の経営と神職とが一つの家系に重なっていた。宝治合戦(一二四七)の後、幕府政所執事であった伊賀光宗(光西)がこの兼帯の役を引き継ぎ、その子孫はやがて飯野と名乗り、この地に土着した。

とりわけ目を引く文書もある。元久元年の注進状案は、八幡宮の内部構成と社領の規模を記す。文永六年(一二六九)の一通は、幕命によって行われた鳥居造立にあたり、人手と資材の配分を定めたもので、造営の分担を示した差図を添えている。このほか、地頭であった岩城一族との相論にかかわる文書も多く、そうした争いを通して、武士の家がどのように荘園を経営したかをたどることができる。これらの文書はあわせて、関東御領と在地領主制、奥州管領の動向など、中世奥州の歴史を考えるための基本史料となっている。

一通ずつ読み解く面白さ

中世の古文書は、近づいて見るほど多くを語りかける。たとえば軍忠状は、武士が合戦での自らの働きを書き連ね、それを大将に差し出すと、大将が承認の署名をして返した文書である。兵士の申し立てと大将の裏書きとの継ぎ目が一枚の紙の上にあらわれ、忠義がどのように証明され報われたかという小さな記録になっている。

江戸時代以降の文書は、まったく趣を変える。落ち着いた時代に社がどのように社領を支配したか、神官と、かつてともに奉仕した供僧との関係、そして神仏分離が強いられた明治初年の混乱などが記されている。長く併存してきた神と仏の制度が引き裂かれた時期の様子が、ここから読み取れる。

端から端まで並べてみると、文書群は一本の連続した糸を描き出す。元久元年に田地の注進状を作成した家が、平成六年に文書が指定されたときもなお神職を守り続けていた。一つの家系がこれほど長い歳月を越えて存続する姿を見せてくれる文書群は、そう多くない。

飯野八幡宮と周辺を訪ねる

文書そのものは個人の所有であり、常時公開されてはいない。訪問者が原本を目にすることは難しい。ただし、その意味の根は、自由に訪ねられる場所にある。飯野家が代々仕えてきた、いわき市街地の飯野八幡宮である。

社は常磐線いわき駅の北西、駅から程近い高台に鎮座する。境内は無料で開かれており、建築群そのものが訪れる価値をもつ。元和二年(一六一六)に上棟された本殿をはじめ、楼門、神楽殿、唐門、土蔵造の宝蔵、いくつかの小社が、江戸前期から中期にかけての一連の造営によってつくられ、それぞれ国の重要文化財に指定されている。これらの建物に囲まれて立つと、中世文書が記す社の姿が思い描ける。

原本を見るのではなく本文を読みたい人のために、中世文書は古くから翻刻され、日本の史料集に収められてきた。研究図書館で読むことができる。広く周辺を巡るなら、いわきには国宝の白水阿弥陀堂がある。十二世紀に建てられた阿弥陀堂で、池をめぐらせた浄土庭園の中に静かにたたずむ。社の近くには磐城平城の跡も残る。九月中旬の例大祭では、長く続いてきた流鏑馬の神事が行われ、文書が八百年にわたって記録してきた伝統に、いまも生きた形で触れることができる。

Q&A

Q飯野家文書の原本を見ることはできますか。
Aできません。個人の所有であり、常時公開されていません。ただし、文書が記す飯野八幡宮そのものは自由に参拝でき、歴史ある建築群を見ることができます。
Q文書群にはどのようなものが含まれますか。
A鎌倉から江戸時代にわたる千六百八十三通からなります。うち中世文書は二百十通で、幕府の下知状、申状、武士の軍忠状などを含みます。最も古い一通は元久元年(一二〇四)の年紀をもちます。
Q飯野家とはどのような家ですか。
A飯野八幡宮の宮司を代々つとめてきた家です。十三世紀に補任された鎌倉幕府の重臣・伊賀光宗を祖とし、社領の好島庄を経営し、のちは神主職を継承して現在に至ります。
Q飯野八幡宮へはどう行けばよいですか。
Aいわき市平字八幡小路に鎮座し、JR常磐線いわき駅の北西、駅から程近い場所にあります。境内は無料で開かれています。
Q一族の古い書類が、なぜ国の文化財になるのですか。
A断片ではなく、連続したまとまりとして残るからです。中世奥州の荘園制度や在地領主制、地域支配を知るための一次史料であり、当時の生の記録は数が限られています。

基本データ

名称飯野家文書(いいのけもんじょ)
指定区分重要文化財(古文書)
指定年月日平成六年(一九九四)六月二十八日
員数千六百八十三通(うち中世文書二百十通)
時代鎌倉~江戸(最古は元久元年・一二〇四)
所有者個人(飯野家)
関連施設飯野八幡宮(福島県いわき市平字八幡小路)
公開状況文書は非公開。飯野八幡宮の境内は無料で参拝可

References

文化庁 国指定文化財等データベース「飯野家文書」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/9135
文化遺産オンライン「飯野八幡宮 宝蔵」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/148981
飯野八幡宮(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/飯野八幡宮
いわき市観光サイト「飯野八幡宮」
https://kankou-iwaki.or.jp/spot/10015

最終更新日: 2026.06.14