建治二年の銘をもつ板石塔婆

石の表面に刻まれた紀年は「建治二年三月六日」。西暦になおせば一二七六年、鎌倉時代の中ごろにあたる。福島県郡山市、郡山駅から歩いて十五分ほどの真言宗豊山派の寺院、如宝寺の境内に、この板石塔婆は立っている。員数は一基。中世の各地に広まった板碑とよばれる平たい石の供養塔の一種である。

板碑は、死者の供養や生者の追善のために建てられた、薄い板状の石の塔である。多くは梵字によって仏や菩薩を表し、刻まれる尊格は阿弥陀如来であることが少なくない。西方浄土の主、阿弥陀の本願にすがって極楽往生を願う信仰が、中世の人びとの心の中心にあった。如宝寺の塔婆は阿弥陀如来を中心とする悟りの世界を整然と刻んだもので、曼荼羅板碑とも称される。

注目したいのは、その保存状態である。中世の板碑には、折れ、埋もれ、摩耗して銘が読めなくなったものが多い。この一基は紀年がはっきりと残り、構成も大きく崩れていない。そこに価値の核がある。

指定の理由と価値

この板石塔婆が国の指定を受けたのは昭和十一年(一九三六)五月六日。当初は旧国宝保存法による旧国宝で、現在は重要文化財(考古資料)に区分される。すぐ隣に立つ承元二年(一二〇八)銘の石造笠塔婆も、同じ日に指定を受けた一対の遺品である。

評価の根拠は三つが重なっている。第一に、紀年が明確であること。年代の確かな中世の石造物は、年紀をもたない作品を位置づける基準点になる。第二に、年代が早いこと。一二七〇年代のこの種の作例は、東北では数少ない。第三に、東北地方に現存する板石塔婆のなかで最も良く整ったものとされる点である。北日本の石造供養塔を考えるうえで、参照すべき一基となっている。

石には歴史の筋道も畳み込まれている。ここに表された浄土信仰は、奥州藤原氏の本拠であった平泉の天台浄土教を経て北へと広がったものとみられる。阿弥陀を中心とする整った塔婆が郡山にまで及んでいることは、その文化が鎌倉時代後期にどこまで届いていたかを示す手がかりになる。

見どころ

まず近づいて、刻まれた線そのものを読みたい。長い年月の霜と雨に輪郭はやわらいでいるが、梵字や構成の枠取りはなお目で追え、刻まれた紀年はゆっくり眺めるだけの価値がある。二基の対比もおもしろい。承元二年の石造笠塔婆には、臨終の信者を迎えにくる阿弥陀来迎の図と四行の願文が刻まれ、供養の標が朽ちる木から残る石へと移り変わる結び目に位置している。それから六十八年を経た建治二年の板石塔婆は、同じ祈りが曼荼羅のように落ち着いた形へと熟していった姿を見せる。

境内には名高い二基のほかにも古碑が多い。文化三年(一八〇六)に改鋳された銅鐘は、通常は乳とよぶいぼ状の突起が並ぶ位置に梵字を鋳出しており、「いぼなし鐘」の通称で知られ、国の重要美術品に認定されている。また市指定にとどまるが、別の板石塔婆が一基あり、削って飲むと百日咳が治るという民間信仰のために表面が削られてきた。その傷だらけの肌は、正式な宗教というより人びとの素朴な信心の記録になっている。

急いで見るところではない。彫られた尊像と一字の梵字の違い、片や石に残る紀年、片や摩耗そのものに書き込まれた俗信。細部にこそ見るべきものがある。

周辺の楽しみ

如宝寺は堂前町にある町なかの寺で、板石塔婆や笠塔婆はガラスの内ではなく開かれた境内に立っている。日中に歩いて参詣できることが多いが、屋外の石造物は保護や囲いがなされる場合もあるため、特別に訪ねる前には寺へ確認しておくとよい。寺は仙道三十三観音霊場の第二番札所で、本尊は馬頭観音である。

一年の節目は二つの行事にある。一月六日の夜から七日にかけては、馬頭観音の祭礼「七日堂まいり」が夜通し営まれる。「馬が駆けるように願いが早くかなう」と言われ、約十万人ともいわれる人出と、だるまや縁起物を売る百軒ほどの露店でにぎわう。二月三日の節分には、四百万字におよぶ大般若経を折本のままアコーディオンのように繰って読み上げる転読が行われ、その後に豆や蜜柑がまかれて、その年の福を求める人びとが集まる。

道順はわかりやすい。郡山駅西口から徒歩十五分から二十分、車なら東北自動車道の郡山インターチェンジから三十分ほど。郡山は東北新幹線の主要な結節点なので、福島を広く巡る旅のなかに無理なく組み込める。

Q&A

Q板石塔婆とは何ですか。
A板碑とよばれる平たい石の供養塔の一種です。中世の日本で死者の供養や追善のために建てられ、多くは梵字で仏を表します。如宝寺の一基は阿弥陀如来を中心に刻んでいます。
Q一二七六年のものとどうしてわかるのですか。
A石に「建治二年三月六日」の紀年が刻まれているためです。西暦では一二七六年にあたります。年代の確かな石造物は、年紀のない作例を位置づける基準として重んじられます。
Qこの一基はなぜ重要なのですか。
A東北地方に残る板石塔婆のなかで最も良く整ったものとされ、阿弥陀を中心とする整った構成は、平泉につながる浄土信仰が鎌倉時代後期に郡山まで広まっていたことを示すからです。
Q見学はできますか。ほかに見るものはありますか。
A板石塔婆と、同じく重要文化財の承元二年(一二〇八)銘の石造笠塔婆が如宝寺の境内に立っています。重要美術品の「いぼなし鐘」もあります。見学の可否は事前に寺へご確認ください。
Q寺がもっともにぎわうのはいつですか。
A一月六日から七日にかけて夜通し営まれる馬頭観音の祭礼「七日堂まいり」のときです。百軒ほどの露店が並び、多くの参詣者が訪れます。二月三日の節分も人出の多い日です。

基本データ

名称板石塔婆(如宝寺所在)
所在地福島県郡山市堂前町 如宝寺
指定区分重要文化財(考古資料)
指定年月日昭和十一年(一九三六)五月六日 ※当初は旧国宝保存法による旧国宝
員数一基
年代鎌倉時代 建治二年(一二七六)銘
寺院高岳山如宝寺(真言宗豊山派) 本尊・大日如来
アクセスJR郡山駅西口から徒歩約十五〜二十分/東北自動車道郡山ICから車で約三十分
公開境内に立つ。見学の可否は事前に寺へ確認

References

文化庁 国指定文化財等データベース(板石塔婆)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/9629
郡山市観光協会 如宝寺
https://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail2-3-70.html
福島県 文化財のページ
https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/edu/bunkazai01.html
ふくしまの旅 如宝寺
https://www.tif.ne.jp/jp/spot.html?spot=6704
如宝寺(日本語参考概説)
https://ja.wikipedia.org/wiki/如宝寺

最終更新日: 2026.06.14