木造吉祥天立像|会津に伝わる平安9世紀の福徳の女神

福島県会津若松市の福島県立博物館の収蔵庫に、ひっそりと安置されている一躯の仏像があります。今からおよそ1200年前、平安時代9世紀に彫り出された木造吉祥天立像です。平成19年(2007年)に国の重要文化財に指定されたこの像は個人の所蔵でありながら博物館に寄託されており、その姿が公の場に現れる機会は極めて限られています。

会津といえば武家文化や漆器、白い天守閣の鶴ヶ城を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかしこの吉祥天立像は、会津という土地のもう一つの貌、すなわち「仏都会津」と称された平安時代の篤い仏教文化の深層へと、私たちを静かに誘ってくれる存在です。

吉祥天とはどのような仏様か

吉祥天は、福徳・美・繁栄をつかさどる仏教の女神です。その源流は古代インドにあり、ヒンドゥー教の女神ラクシュミーが仏教に取り入れられ、シルクロードを経て中国・朝鮮半島を渡って日本へと伝わりました。日本に到着した8世紀の奈良時代までには、唐風の貴婦人の姿に変容を遂げており、流れるような衣をまとい、手のひらに如意宝珠を載せた優美な女神として造像されるようになっていました。

奈良時代には、吉祥天を本尊として国家安寧と五穀豊穣、災厄消除を祈る大規模な法会「吉祥悔過(きちじょうけか)」が盛大に行われました。平安時代に入っても吉祥天への信仰は衰えず、毘沙門天の妻あるいは妹として、また人々を守護する優しい女神として、各地の寺院で篤く祀られ続けました。

本像の特徴と造形美

本像は平安時代9世紀の作と考えられており、ヒノキ系の木材から彫り出されています。残念ながら両手首はすでに失われていますが、その存在感はいささかも損なわれていません。面立ちは丸く、目鼻立ちは小ぶりで愛らしく、しかし表情はどこか「ムスッ」とした厳しさをたたえており、後世の柔和な吉祥天像とは一線を画す独特の趣があります。

とりわけ印象的なのが、頭上に高く結われた髪型です。多くの吉祥天像に見られる唐風の華やかな髻(もとどり)とは異なり、本像の髪は太い注連縄(しめなわ)のような束となって頭上に巻き上げられており、見る者に強い印象を残します。三枚衣を重ねて身にまとい、長い裳裾(もすそ)が足元まで流れ落ちて沓(くつ)のほとんどを覆い隠しているのも特徴です。少女のような体躯と相まって、静謐で揺るぎない気品を漂わせています。

その若々しい体形と、やや古拙さを残す彫りの線は、力強い奈良風の様式から、より洗練された平安風の様式へと移り変わる過渡期の表現を物語っており、美術史的にも極めて貴重な作例です。

なぜ国の重要文化財に指定されたのか

本像が国の重要文化財に指定されたのは平成19年(2007年)6月8日のことです。指定の背景には、いくつかの重要な理由があります。

第一に、9世紀の木彫吉祥天像が現存すること自体が、日本全国を見渡してもきわめて希少です。平安時代の女神像の多くは火災や戦乱、長い歳月による損耗のために失われており、本像のように作品の本体が今日まで伝わっていること自体が驚嘆すべきことなのです。第二に、本像の様式は、大陸由来の表現が日本独自の感性へと翻案されていく重要な転換期に位置しており、日本彫刻史を考える上で欠くことのできない作例とされています。

そして第三に、おそらく最も意義深い点として、本像は会津という地域に根づいた仏教文化の遺産であり、奈良・興福寺の高僧であった徳一菩薩が会津へもたらした仏教の伝播を物語る、貴重な物的証拠となっているのです。

「仏都会津」の物語と徳一菩薩

徳一菩薩の足跡

本像の意義を語るうえで、避けて通れないのが徳一菩薩という人物です。徳一は法相宗の高僧で、平安時代初期に奈良の興福寺・東大寺で学び、修円という学僧から法相唯識の教えを受けたと伝えられています。最澄との間で繰り広げられた長期にわたる教義論争(三一権実諍論)でも知られ、空海とも書簡を交わすなど、当代を代表する学僧の一人でした。

大同元年(806年)、磐梯山が大噴火を起こして会津地方に甚大な被害を与えたことを契機に、徳一は翌大同2年(807年)、磐梯山の麓に慧日寺を開創。さらに会津の各地、ひいては東北・常陸の広範な地域に多くの寺院を建立しました。一説には、その数は実に160を数えるとも伝えられています。

会津に根づいた仏教文化

徳一が会津にもたらした仏教は、この地に深く根を下ろしました。やがて会津は「仏都会津」と称される一大仏教文化圏となり、平安時代以来の傑出した仏像や伽藍が今も各地に伝わっています。湯川村・勝常寺の国宝木造薬師如来及両脇侍像、磐梯町の慧日寺跡、そして福島県立博物館に集まる数々の仏教美術は、いずれもこの伝統の証言者です。木造吉祥天立像もまた、徳一の活動とちょうど同じ世紀に造立され、長い歳月を個人の手によって守り伝えられてきた、まさにこの系譜のなかにある一躯なのです。

魅力と見どころ

めったに目にすることのできない秘仏的存在

本像は個人所蔵であるため、博物館の常設展示室で常時拝観することはできません。長い時を、所蔵者の堂宇のなかで人目に触れることなく安置されてきた像でもあります。広く一般に公開されたのは、平成31年(2019年)に福島県立博物館で開催された「福島復興祈念展 興福寺と会津 徳一がつないだ西と東」が初めてのことでした。この展覧会は東日本大震災からの復興を祈念して企画されたもので、奈良・興福寺の寺宝と会津の仏教美術を一堂に集めるという、極めて意義深い試みでした。

特別展のスケジュールに注目

本像をご覧になりたい方は、福島県立博物館の特別展や企画展の開催情報に注目されるのがよいでしょう。会津の仏教美術や平安彫刻をテーマとする展覧会で、稀に出陳されることがあります。たとえ本像を直接拝観できない場合でも、博物館の常設展示には会津の仏教美術を語る豊かな資料が並んでおり、本像が生まれた精神的世界を理解する手がかりとなります。

鶴ヶ城公園という場所

福島県立博物館は会津若松城(鶴ヶ城)公園内に位置しており、博物館と城を一日で巡れば、平安時代の仏教文化から幕末の武家文化まで、千年以上にわたる会津の重層的な歴史を一度に味わうことができます。

周辺の見どころ

鶴ヶ城(会津若松城)

博物館から徒歩圏内に立つ白亜の天守閣は会津のシンボル。再建された天守内部は会津藩の歴史を伝える郷土博物館となっており、最上層からは会津盆地を一望することができます。

茶室麟閣

城内には、千利休の子・少庵が利休の死後にかくまわれたと伝えられる茶室麟閣が静かに佇みます。簡素ながら気品ある茶室は、城の壮麗さに対する穏やかな対比をなしています。

飯盛山と白虎隊

博物館から数キロ北東に位置する飯盛山は、戊辰戦争のさなか、白虎隊の少年たちが自刃した悲劇の地として知られています。隊士の墓所のほか、寛政9年(1796年)に造られた螺旋構造の特異な木造建築・さざえ堂も必見です。

慧日寺跡(磐梯町)

徳一菩薩の足跡をより直接にたどりたい方には、会津若松から車で約1時間の磐梯町にある慧日寺跡をおすすめします。徳一が大同2年(807年)に開いた古刹の遺構で、復元された金堂や、徳一の墓と伝えられる五重の石塔が残されています。

勝常寺(湯川村)

徳一の創建と伝わる勝常寺には、国宝の木造薬師如来及両脇侍像(薬師三尊像)が安置されています。会津仏教彫刻の最高峰と称される名品で、9世紀の会津の造像水準を物語る基準作です。

Q&A

Q木造吉祥天立像を実際に拝観することはできますか。
A残念ながら、常時拝観することはできません。本像は個人所蔵で、福島県立博物館に寄託されていますが、常設展示には含まれていません。会津の仏教美術や平安彫刻をテーマとする特別展に際して、ごく稀に出陳されます。事前に福島県立博物館の公式ホームページで展覧会情報をご確認のうえご来館ください。
Q吉祥天とはどのような仏様で、なぜ会津で信仰されたのですか。
A吉祥天は古代インドの女神ラクシュミーに起源を持つ仏教の女神で、福徳・美・繁栄をつかさどります。奈良・平安時代には五穀豊穣や災厄消除を祈る対象として広く信仰されました。会津では、平安時代初期に徳一菩薩がもたらした仏教文化のなかで、吉祥天信仰もまた根づいたと考えられています。
Q本像はほかの吉祥天像と比べて、どのような点で特異なのですか。
A何より9世紀の制作という早い年代が特筆されます。平安初期の木彫吉祥天像は全国でも極めて希少で、東北地方にはほとんど類例がありません。また太い注連縄状の髻、丸顔ながらやや厳しい面相、長い裳裾が沓を覆う独特の佇まいなど、奈良様式から平安様式への過渡期を伝える造形上の特徴も見逃せない見どころです。
Q奈良・興福寺との関係はどのようなものですか。
A直接の関係をたどると、興福寺で法相宗を学んだ徳一菩薩が9世紀初頭に会津へ渡り、慧日寺をはじめとする多くの寺院を開いたことに行き着きます。徳一は興福寺の教学とそれに付随する造像伝統を会津へともたらしました。本像はちょうど同じ時代に造立された遺品であり、奈良の影響を会津の地に伝える物的な証言者でもあるのです。
Q福島県立博物館を訪ねるおすすめの季節はありますか。
A博物館は鶴ヶ城公園内に位置するため、桜の季節(4月下旬)や紅葉の季節(10月下旬から11月上旬)が特に美しくおすすめです。休館日は月曜日(祝日の場合は翌火曜日)、祝日の翌日(土日を除く)、年末年始(12月28日~1月5日)です。臨時休館もありますので、お出かけ前に公式サイトでのご確認をお勧めします。

基本情報

名称 木造吉祥天立像(もくぞうきちじょうてんりゅうぞう)
指定区分 国指定重要文化財(彫刻)
指定年月日 平成19年(2007年)6月8日
時代 平安時代・9世紀
材質・形状 木造、1躯。両手首は欠失
所有者 個人
寄託先 福島県立博物館(〒965-0807 福島県会津若松市城東町1-25)
アクセス JR会津若松駅からタクシーで約10分/まちなか周遊バス「博物館前」下車すぐ
開館時間 9:30〜17:00(観覧チケット販売は16:30まで)
休館日 月曜日(祝日の場合は翌火曜日)/祝日の翌日(土日を除く)/12月28日〜1月5日 ※臨時休館あり
常設展観覧料 一般・大学生 280円(20名以上の団体 220円)/高校生以下 無料 ※企画展は別途
電話 0242-28-6000
公開状況 常設展示なし。特別展・企画展で稀に出陳

参考文献

福島県公式ホームページ「ふくしまの文化財情報」国・県指定等文化財一覧
https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/686209.pdf
福島県立博物館 公式サイト
https://general-museum.fcs.ed.jp/
福島県立博物館「興福寺と会津 徳一がつないだ西と東」展(2019年)
https://general-museum.fcs.ed.jp/page_exhibition/special/2019summer
文化遺産オンライン(文化庁)
https://online.bunka.go.jp/
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/
「仏都会津」への道 / 美術展ナビ
https://artexhibition.jp/topics/features/20190731-AEJ94290/
知られざる名僧・徳一菩薩とは?/ ORICON NEWS
https://www.oricon.co.jp/article/890337/
ふくしまの旅「史跡慧日寺跡」
https://www.tif.ne.jp/jp/entry/article.html?spot=913
Wikipedia「徳一」
https://ja.wikipedia.org/wiki/徳一

最終更新日: 2026.04.27