旧宮川家住宅主屋 ― ダムに沈んだ徳山村の記憶を伝える茅葺民家
岐阜県関市の小高い丘陵に広がる「岐阜県百年公園」の一角に、静かにたたずむ一棟の茅葺民家があります。旧宮川家住宅主屋(きゅうみやがわけじゅうたくしゅおく)は、本来であればもう存在しないはずの建物です。もともと岐阜県西部の山深い徳山村に建てられていたこの民家は、村全体が日本一の貯水量を誇るダム湖の底に沈むという出来事のなかで、移築によって救い出された数少ない建物のひとつ。山の暮らしと、地図から姿を消した一つの村の記憶を、いまに静かに伝えています。
水底に消えた村 ― 徳山村のものがたり
この民家の意味を理解するには、まず「徳山村」というかつての村のことを知る必要があります。揖斐川の最上流に位置していた徳山村は、八つの集落から成り、約466世帯・1,500人ほどが暮らす山村でした。村民は世代を重ねて、茅葺の民家、棚田、紙漉きなどの手仕事に支えられた自給的な山の暮らしを築いてきました。
1950年代後半に徳山ダムの建設計画が浮上してから、村は長い補償交渉の時代に入ります。最終的に村民は離村を選び、1987年(昭和62年)には徳山村が正式に廃止され、隣の藤橋村(現・揖斐川町)に編入合併されました。2008年(平成20年)に徳山ダムが完成すると、ダム湖(徳山湖)の水位が上がり、門入集落を除く旧徳山村の可住区域はほとんどが水没しました。徳山湖は、その総貯水容量約6億6千万立方メートルで、日本一の貯水量を誇る人造湖となっています。
水没を前にして、村の茅葺民家を後世に残そうとする動きがありました。そのなかで、当時の世帯主であった宮川澄雄氏が岐阜県に主屋を寄贈し、岐阜県百年公園内に移築復元されたのが、この旧宮川家住宅主屋です。徳山村でかつて当たり前にあった山村の暮らしの形が、いまも一棟の家のなかに残されています。
美濃地方西部の山村農家の姿
建物はもともとの場所で丁寧に解体され、岐阜県関市小屋名の岐阜県百年公園に運ばれて再び組み立てられました。移築工事は1987年(昭和62年)9月17日に竣工し、同年10月7日から一般公開されています。所管は岐阜県博物館で、館外施設として整備されています。
主屋は木造平屋一部2階建、入母屋造茅葺の建物です。国の登録有形文化財データベースでは「明治/1890」とされており、明治23年頃の建築と公式に記録されていますが、地元の資料には「幕末から明治初期に建てられたと推測される」とするものもあります。いずれにせよ、美濃地方西部の山村農家の特徴を、これだけまとまった形で残している建物は、いまではきわめて貴重です。
この民家には、見るほどに納得させられる工夫がいくつもあります。入母屋造の茅葺屋根の正面中央部は切り欠かれ、そこに庇が差しかけられています。これは、イタノマの一部やネヤの上に設けられた二階部分に、光と空気を取り込むための工夫です。外壁は、半間ごとに立てられた柱の間に縦板を張った縦板張りで、土壁では持たないほど厳しい山深い徳山村の気候に合わせた、寒冷地仕様の意匠といえます。さらに、土間の隅には小さな紙漉き部屋が設けられており、長い冬を乗り越えるための家内手工業の名残を今に伝えています。
なぜ文化財に登録されたのか
本建物は、2018年(平成30年)11月2日に、国の登録有形文化財(建造物)として登録されました。正式名称は「旧宮川家住宅主屋」です。
登録の理由には、いくつもの価値が重なっています。建築としては、いまや原形のまま見つけることが極めて難しくなった山村民家の典型例を、よく保っています。広間型の平面、寒冷地に対応した縦板張りの外壁、土間に設けられた紙漉き部屋といった要素が一棟のなかにそろい、山村の暮らし方そのものを物語っています。さらに重要なのは、この民家が単なる古建築ではなく、ダム建設によって地図から消えてしまった徳山村の物理的な証言者でもあるという点です。建築的な希少性と、社会の記憶を担う重さ。その二つを兼ね備える文化財は、全国を見渡してもそう多くはありません。
訪れたときの見どころ
外から眺めると、深い軒と分厚い茅葺屋根が、美濃平野の町家とはまったく違う、山の家らしい重さを湛えています。屋根の正面中央に目をやると、茅を切り欠いて板葺の小さな庇が差し込まれた独特の形が分かります。深い茅葺の中に光を呼び込むための、素朴で機能的な解決法です。
中に入ると、まず広い土間とその設えに目を奪われます。かまどや農具などが置かれた土間は、家の中でありながら半ば外の延長のような場所でした。広間(ヒロマ)は、食事も来客の応対も寝起きも一室で兼ねる、山村の暮らしの中心。狭い梯子段で上がる二階の小部屋、土間の隅にひっそりと残された紙漉き部屋、煤で黒く光る梁——どれも、長い冬を屋内で過ごす生活の記憶を語っています。建物の中では、徳山村の歴史を紹介する展示も併設されており、建築だけでなく「失われた村」そのものに思いを馳せることができます。
周辺の百年公園そのものも、訪ねる価値のある場所です。初夏には花菖蒲園に120種・約7千株のハナショウブが咲き、秋には公園全体が紅葉に染まり、「飛騨・美濃紅葉33選」にも選ばれています。すぐ近くの岐阜県博物館の常設展示と組み合わせれば、岐阜県の自然と人文の両面を一日で味わうことができます。
あわせて巡りたい関市の見どころ
関市は、ドイツのゾーリンゲン、英国のシェフィールドと並ぶ世界三大刃物産地のひとつとして知られています。旧宮川家住宅主屋を訪れた折には、関の刃物文化に触れるスポットも合わせて巡るのがおすすめです。
- 関鍛冶伝承館:孫六兼元・和泉守兼定など、関を代表する刀工の日本刀を展示。古式日本刀鍛錬の一般公開日には、迫力ある鍛錬の実演を見学できます。
- 岐阜県刃物会館:包丁、はさみ、爪切り、彫刻刀など2,000点を超える関の刃物をメーカー直販価格で購入できる直売所。研ぎ直しや包丁研ぎ体験も人気です。
- モネの池(根道神社境内):透明度の高い池に咲く睡蓮と鯉が、まるでクロード・モネの絵画のようだと話題になった撮影スポット。
- 関市円空館:江戸時代前期の修験僧・円空ゆかりの寺である弥勒寺の近くに位置し、約30体の円空仏を展示しています。
また、徳山村そのものの物語に関心がある方には、揖斐川町の徳山湖畔にある「徳山会館」(百年公園から車で約90分)もおすすめです。旧徳山村各集落の航空写真や、写真家・増山たづ子が撮りためた村の人々の表情を紹介する展示があり、宮川家住宅と合わせて訪ねることで、村の記憶がより立体的に立ち上がってきます。
Q&A
- 旧宮川家住宅主屋は中に入って見学できますか?
- はい、入れます。長らく内部非公開でしたが、2019年から進められた整備事業を経て、2024年4月27日から一般公開が再開されました。入場は無料で、土間、ヒロマ、徳山村に関する展示などを見学できます。公開時間は百年公園の開園日の9時〜16時です。最新の公開状況は、岐阜県博物館のウェブサイトでご確認のうえお出かけください。
- 本当にダム湖に沈んだ村の家なのですか?
- はい。建物はもともと、揖斐川上流の旧徳山村にありました。徳山村は1987年に正式に廃止され、2008年の徳山ダム完成後、旧村域の多くがダム湖(徳山湖)の底に沈んでいます。水没を前に、当時の世帯主・宮川澄雄氏が主屋を岐阜県に寄贈し、百年公園内に解体・移築・復元されました。
- 茅葺屋根の正面が切り欠かれているのはなぜですか?
- 建物にはイタノマやネヤの上部に二階部分が設けられており、その採光と通気のために屋根の正面中央を切り欠き、板葺の小さな庇を差しかけています。深い茅葺の山村民家ならではの工夫で、美濃地方西部の山村農家の特徴をよく示しています。
- 外壁が板張りなのはなぜですか?
- 徳山村は雪深く寒冷な山間地で、土壁では凍結や傷みに耐えられないため、半間ごとの柱間に縦板を張る縦板張りの外壁が採用されました。地域の気候に合わせた、山村ならではの仕様です。
- アクセスはどうすればよいですか?
- お車の場合は、東海北陸自動車道「関IC」から約5分で岐阜県百年公園に到着します。駐車場は無料です。公共交通機関の場合は、JR岐阜駅または名鉄岐阜駅から岐阜バス「岐阜関線」または「岐阜美濃線」に乗車し、「小屋名」バス停下車、徒歩約15分です。
基本情報
| 名称 | 旧宮川家住宅主屋(きゅうみやがわけじゅうたくしゅおく) |
|---|---|
| 指定区分 | 国登録有形文化財(建造物)/2018年(平成30年)11月2日登録 |
| もとの所在地 | 岐阜県揖斐郡旧徳山村(現・揖斐川町) |
| 現在の所在地 | 岐阜県関市小屋名1989-4(岐阜県百年公園内/岐阜県博物館 館外施設) |
| 建築年 | 国の登録上は1890年(明治23年)。地元資料では幕末から明治初期と推定されています |
| 移築年 | 1987年(昭和62年)9月17日 移築復元竣工/同年10月7日より一般公開 |
| 構造 | 木造平屋一部2階建、入母屋造茅葺 |
| 規模 | 建築面積 約132㎡(登録データベース)/延床面積 約197㎡ |
| 所有者 | 岐阜県 |
| 観覧料 | 無料(岐阜県博物館本館の入館料とは別) |
| 公開時間 | 百年公園開園日の9時〜16時 |
| 休園日 | 毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始(12月29日〜1月3日) |
| アクセス | 東海北陸自動車道「関IC」から車で約5分/岐阜バス「小屋名」バス停から徒歩約15分 |
参考文献
- 旧宮川家住宅主屋 ― 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/446753
- 登録有形文化財(建造物) ― 岐阜県公式ホームページ(文化伝承課)
- https://www.pref.gifu.lg.jp/page/12417.html
- 国登録有形文化財旧宮川家住宅主屋の一般公開を再開します(4/27〜) ― 岐阜県博物館
- https://www.gifu-kenpaku.jp/国登録有形文化財旧宮川家住宅主屋の一般公開を/
- 「旧宮川家住宅主屋」9年ぶりの一般公開 県百年公園「徳山村を感じて」 ― 中日新聞Web
- https://www.chunichi.co.jp/article/890870
- 徳山村 (岐阜県) ― Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/徳山村_(岐阜県)
- 岐阜県博物館 ― Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/岐阜県博物館
- 岐阜県百年公園 ― 公式サイト
- https://hyakunen-kouen.jp/
最終更新日: 2026.05.14