建造物ではなく「関係」を守る文化財

平成26年(2014年)3月18日、岐阜市の中心部、面積331.9ヘクタールが国の重要文化的景観に選定された。名称は「長良川中流域における岐阜の文化的景観」。守られているのは、特定の社寺や建造物ではない。長良川と金華山、そしてその間で五百年近く暮らしてきた人々がともに築き上げてきた、土地と生業の関わりそのものである。

選定範囲は五つの地区で構成される。長良川そのものと河岸を含む長良川地区、標高329メートルの金華山地区、そして人の手で形づくられた三つの地区――鵜匠の家が並ぶ鵜飼屋地区、川港として発展した川原町地区、戦国期に整えられた旧城下町地区である。

長良橋の上に立って夕暮れの川面を見渡すと、選定の趣旨が腑に落ちる。山と、その頂の城と、足もとを流れる川と、古い町家の瓦屋根が、ひとつの視界に収まっている。岐阜の人々はこの眺めを「岐阜の原風景」と呼んでいる。

戦国の権力者が形づくった町

現在の岐阜の骨格は、おおむね十六世紀に定まった。当時は稲葉山と呼ばれた金華山には、長良川と濃尾平野を見下ろす城が築かれていた。美濃の国主にのし上がり「美濃の蝮(まむし)」と呼ばれた斎藤道三が山を押さえ、その麓に町の整備を進めていく。

永禄10年(1567年)、織田信長がこの城を手中に収め、天下統一の拠点とした。信長は地名を「岐阜」と改め、山上の城と山麓の居館を整備する。総構の土塁、町なかを巡る水路、街路、町割りといった町の基盤は、その多くがこの時期に由来し、現代まで踏襲されている。

陸路が担えない役割を、川が引き受けた。上流の谷から材木が流され、美濃和紙などの物資とともに運ばれて、川原町は荷を扱う川港として育った。たびたび岐阜を訪れて鵜飼を見物した徳川家康は、ここで獲れた鮎を鮎鮨に加工させ、はるばる江戸まで運ばせている。今この一帯を歩いて印象的なのは、町の下絵がほとんど動いていないことだ。水は古い流路を今も流れ、町並みは城下町のために引かれた線をなぞっている。

国の重要文化的景観に選ばれた理由

重要文化的景観は、人々の暮らしや生業と自然環境とが一体となって生み出した土地を、全体として守るための区分である。岐阜の場合、複数の観点が同時に評価された。

自然そのものの価値が高い。長良川は国内屈指の清流に数えられ、金華山は標高こそ控えめだが、長らく大規模な伐採を免れてきたために多様な植生と生態系を保っている。そこに、戦国の城下町から現代まで生き残った土地利用が重なる。総構の土塁、水路、街路、町割りといった有形の要素である。さらに、それらと不可分の無形の営み――伝統的な手工業、町内の自治、年中行事の数々――も評価の対象となった。

判断にあたっては、もう一点が重く働いた。住民自身が景観を守ろうとしてきたことである。都市計画法や景観法といった国・県の枠組みに加え、まちづくり協定や景観協定を地域で結び、町並みを保ってきた。選定が認めたのは、受け継がれた遺産であると同時に、それを維持しようとする現在進行形の意志でもあった。

歩いて読み解く文化的景観

この景観を味わうには、やはり歩くのがよい。出発点としてふさわしいのは川港の名残をとどめる川原町である。中心となる湊町・玉井町・元浜町の通りは、長良橋南詰から西へ伸びる。家々は間口が狭く奥行きの深い商家の形式をとり、その正面を格子戸が閉ざしている。岐阜うちわをつくる店や、鮎の姿をかたどった鮎菓子の老舗が、今も格子の奥で商いを続けている。近年は町家を改装したカフェや小さな飲食店も増え、通りは博物館でも映画のセットでもなく、生きた町としての顔を保っている。

町並みの上には金華山がそびえる。岐阜公園からはロープウェーが山頂近くまで通じ、その先に岐阜城の復興天守が建つ。頂からの眺めは選定範囲全体をひとつに束ねる。眼下に曲がる川、地平へ向かう平野、晴れた日にはその先の山並みが見渡せる。岐阜公園の一部は信長の山麓居館跡にあたり、発掘によって岩盤を背にした庭園の遺構が確認されている。

川は水面の高さから眺めたい。鵜舟を係留する岸辺にあたる鵜飼屋地区は、後述する鵜飼の伝統が息づく場所であり、堤防沿いの道を歩けば、町と水の交わり方がゆっくりと見えてくる。

長良川の鵜飼

この景観のなかで、岐阜と最も強く結びついているのが鵜飼である。長良川では約1300年にわたって続いてきた。夏の夜、鵜匠は篝火を吊るした舟の舳先に立つ。一人で最多12羽の鵜を手縄であやつり――これは日本の鵜飼漁で最も多い数である――鵜たちは火明かりの流れに潜って鮎を捕らえ、観覧客は屋形船からその様子を見つめる。

漁法としては異例なほど、公的な位置づけが重い。長良川の鵜匠は「宮内庁式部職鵜匠」という正式な職名を持ち、これは近隣の小瀬鵜飼の鵜匠とだけ共有される地位で、国内のほかの鵜使いには認められていない。鵜飼の用具一式122点は国の重要有形民俗文化財に指定され、漁の技術そのものも平成27年(2015年)に国の重要無形民俗文化財に指定された。鵜匠の職は限られた家に世襲され、一家に一人が受け継ぐ。

鵜飼の期間は5月11日から10月15日まで。中秋の名月の頃と増水の夜を除き、毎晩行われる。観覧は鵜飼観覧船から。事前予約制で、小型船から数十人乗りの屋形船まで幅がある。鵜舟が川幅いっぱいに広がり、同じ方向へ下りながら漁をする「総がらみ」が、夜の締めくくりとなる。

周辺の見どころ

岐阜の中心部がこぢんまりとまとまっているのは、この町の魅力のひとつである。川原町から歩いてすぐの範囲に、訪ねる価値のある場所がいくつもある。岐阜公園内の岐阜市歴史博物館は、城下町を広い文脈のなかに置いて見せてくれ、金華山に登る前の予習にちょうどよい。すぐ近くの長良川うかいミュージアムは鵜飼の文化に特化した施設で、夜の川へ出る前に立ち寄りたい。

少し足を延ばせば、二つの寺と一つの神社が控える。正法寺には岐阜大仏が安置される。竹と粘土で組んだ骨組みの上に漆を施した像で、乾漆仏としては日本有数の大きさに数えられる。崇福寺は織田家とのつながりが深く、この地の武将たちの菩提を弔う寺となった。金華山の北麓に鎮座する伊奈波神社は、一帯の祭礼の暦の多くを支えている。

文化的景観そのものには入場門も入場券もない。市民が暮らす町の一部であり、勧めたいのはただ歩くことだ。午後遅くに到着すれば、川原町の散策がそのまま日暮れの鵜飼へと自然につながっていく。

Q&A

Q訪れるのに最もよい時期はいつですか。
Aどの季節も歩く価値がありますが、5月11日から10月15日までの鵜飼の期間が最も趣に富みます。昼に古い町並みを歩き、日暮れに川での鵜飼を見るという一日が組めるためです。初夏と秋は散策や金華山登山にも快適です。
Q鵜飼は見られますか。どう手配しますか。
A期間中は長良橋付近の乗り場から観覧船が出ます。岐阜市鵜飼観覧船事務所や宿泊先の旅館・ホテルを通じて事前に予約します。船は小型船から大型の屋形船まであります。
Q川原町や川沿いへはどう行きますか。
AJR岐阜駅または名鉄岐阜駅から、岐阜公園・長良橋方面行きの岐阜バス、もしくは市内ループ線に乗り、15〜16分ほどです。「長良橋」または「長良橋南・川原町」で下車すれば、古い町並みはすぐ近くです。
Q文化的景観に入場料はかかりますか。
Aかかりません。重要文化的景観は岐阜市民が暮らす町の一部であり、自由に歩けます。岐阜城天守やロープウェー、鵜飼観覧船など、個々の施設はそれぞれ別途料金が必要です。
Q金華山の岐阜城には登れますか。
A登れます。岐阜公園から山頂近くまでロープウェーが通じ、そこから復興天守までは徒歩すぐです。徒歩で登りたい方のために、難易度の異なる登山道も整備されています。

基本情報

名称長良川中流域における岐阜の文化的景観
所在地岐阜県岐阜市
指定区分重要文化的景観(国選定)
選定年月日平成26年(2014年)3月18日
面積331.9ヘクタール
地区長良川地区、金華山地区、鵜飼屋地区、川原町地区、旧城下町地区の5地区
主な構成要素長良川、金華山、歴史的な道路・水路、建造物など
鵜飼の期間5月11日〜10月15日(休みあり)
入場景観への立ち入りは無料。個々の施設は別途料金

参考文献

岐阜市 重要文化的景観「長良川中流域における岐阜の文化的景観」
https://www.city.gifu.lg.jp/kankoubunka/bunkazai/1026875/1005555.html
岐阜県 文化伝承課 長良川中流域における岐阜の文化的景観
https://www.pref.gifu.lg.jp/page/15817.html
ぎふ長良川の鵜飼 鵜飼に関わる文化遺産
https://www.ukai-gifucity.jp/bunkaisan.html
宮内庁 御料鵜飼
https://www.kunaicho.go.jp/culture/ukai/ukai.html
岐阜観光コンベンション協会 ぎふ長良川の鵜飼
https://www.gifucvb.or.jp/sightseeing/ukai.php

最終更新日: 2026.05.23