蒲酒造場主屋——三百年続く酒造りを今も支える飛騨古川の町家
岐阜県北部、雪深い飛騨の町・古川。壱之町通りに沿って静かに横たわる、低く長い格子の建物があります。それが蒲酒造場主屋(かばしゅぞうじょうしゅおく)です。創業は宝永元年(1704年)。300年以上の歴史を持つ飛騨を代表する造り酒屋・蒲酒造場の中心となる町家で、現在の建物は明治37年の古川大火の後、明治39年(1906年)に再建されたものです。今もなお酒を売る店舗として、また蔵元の住まいとして日々使われ続けており、平成19年(2007年)には国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。壱之町通りの長大な表構えは、飛騨古川の伝統的な町並みを象徴する景観の核となっています。
1704年の創業と、町を焼き尽くした大火からの再建
蒲家がこの地で酒造りを始めたのは、宝永元年(1704年)。初代・蒲登安(かばとやす)が古川の町に店を構えたのが始まりです。北アルプスの伏流水と、飛騨盆地ならではの厳しい冬の気候は、酒造りに理想的な条件を提供しました。代を重ねるうちに、敷地は現在の蔵が立ち並ぶ屋敷へと整えられていきました。
しかし、創業当時の主屋は現代まで残ることはありませんでした。明治37年(1904年)、古川の中心部を襲った大火は、壱之町通り沿いの多くの商家を焼失させました。蒲家は、その2年後の明治39年(1906年)に主屋を再建しますが、その方法は実に飛騨らしいものでした。新たに材木を集めて新築するのではなく、近郊にあった和田家の住宅主屋を譲り受け、それを解体・運搬して敷地内に組み直したのです。木材を大切に使い回し、古い建物に新たな命を与えるこの手法は、優れた大工技術で知られる飛騨では古くから行われてきましたが、これほど完全な形で今日まで残る例は多くありません。
その結果として、明治期の建築でありながら、より古い時代の町家・農家の意匠と空気をまとった建物が誕生しました。建てられて以来、ずっと酒蔵の店舗兼住居として使われ続けている、いわば「生きている文化財」です。
なぜ国の登録有形文化財に指定されたのか
蒲酒造場主屋は、敷地内の袖蔵・文庫蔵・仕込蔵一・仕込蔵二とともに、平成19年(2007年)7月31日付で国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。文化庁の登録解説では、この建物の価値が次のように評価されています。
第一に、その規模の大きさです。間口11間(約20メートル)にもおよぶ大型の平入町家で、壱之町通り沿いの商家としては群を抜く長さの表構えを持ちます。第二に、内部は飛騨の町家らしい伝統的な間取りを保っています。東方を土間とし、店舗および醸造作業への通路として用い、西方は床上部の居住空間としています。通り沿いには雪隠(せっちん:便所)を組み込み、主屋の背後にある仕込蔵へは渡廊下が架けられています。第三に、長い表構えには多彩な意匠の連子格子と大戸が配され、それが古川の伝統的町並みを形作る中心的な要素となっている点です。
つまりこの主屋は、単なる「保存された建物」ではなく、20世紀初頭の飛騨の商家がいかに作られ、いかに使われてきたかを今も伝える、現役の建築遺産として登録されているのです。
訪れたら注目したい見どころ
壱之町通りの北側に立って、主屋を眺めてみてください。一見すると地味な町家ですが、ゆっくり目を凝らすと、いくつもの意匠の妙が見えてきます。
まず印象的なのは、長く続く格子の表構えです。連子格子の桟の太さや間隔は、建物の用途に応じて場所ごとに微妙に変えられています。冬、深い雪が軒に積もり、夕暮れに店内の灯がともる頃、格子の隙間から漏れる温かい光は、20世紀初頭から変わらぬ古川の冬の風景そのものです。
店内に一歩足を踏み入れると、土間のひんやりとした空気と、奥から漂う麹の甘い香りに包まれます。土間に面した上がり框には、看板銘柄「白真弓」「やんちゃ」、シャンパンのような発泡日本酒「じゃんぱん」など、蒲酒造場自慢の酒が並びます。頭上を見上げれば、100年以上の歳月で黒く煤びた太い梁が、建物の懐の深さを物語っています。
外に出れば、町並みそのものが見どころです。蒲酒造場のある壱之町通りは、白壁土蔵が連なる瀬戸川沿いの景観区域に隣接しており、すぐ近くにはもう一軒の老舗・渡辺酒造店があります。短い距離の中に、登録有形文化財に指定された酒蔵建築が立て続けに見られるのは、全国的にも稀な光景です。
訪問のご案内
蒲酒造場は現役の酒蔵であり、主屋はそのまま蒲酒造場の店舗として営業しています。営業時間内であれば、どなたでも店舗部分に入って、土間越しに建物の内部を眺めたり、お酒を試飲・購入したりすることができます。
より深い体験をご希望の方には、要予約の酒蔵見学があります。岐阜県観光公式サイトの掲載情報によれば、料金は1人500円、定員は10名で、案内は日本語のみ、1週間前までの予約が必要、10月から12月までの仕込み最盛期は実施されない、とされています。最新の見学条件や営業日は変更されることもありますので、事前に蒲酒造場へ直接ご確認ください。
アクセスは、JR飛騨古川駅から徒歩で5〜10分ほど。飛騨古川駅はJR高山本線で高山駅から1駅北にあり、高山と組み合わせて訪れるのもおすすめです。
周辺の見どころ
飛騨古川は、ゆっくり歩いて回るのにふさわしい町です。蒲酒造場から数分歩けば、白壁土蔵と瀬戸川の景観で知られる一帯にたどり着きます。春から秋には鯉が清流を泳ぎ、冬の間(およそ11月下旬から4月上旬)は越冬のため近隣の池へ移されます。同じ通り沿いには明治期創業のもう一軒の老舗・渡辺酒造店があり、こちらも登録有形文化財です。地酒文化に関心のある方なら、両蔵を合わせて訪ねるのが良いでしょう。
飛騨古川まつり会館では、毎年4月19〜20日に行われる古川祭の屋台を展示しています。古川祭の「起し太鼓・屋台行事」は、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」の構成要素のひとつです。また、新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』の聖地としても知られ、飛騨古川駅周辺には作中と同じ景色がいくつもあります。
Q&A
- 建物の中に入ることはできますか?それとも外観のみの見学ですか?
- 主屋は蒲酒造場の店舗として現役で営業しており、営業時間内であれば店内に入って試飲やお買い物を楽しめます。仕込蔵などの裏側を見学したい場合は、事前予約制の酒蔵見学をご利用ください。
- 建物が建てられたのはいつですか?
- 現在の主屋は、明治37年(1904年)の古川大火で焼失した後、明治39年(1906年)に再建されたものです。蒲家は近郊の和田家住宅主屋を譲り受け、解体して敷地に組み直すという方法で建て直しました。そのため、明治期の建築でありながらより古い民家の趣を残しています。
- 写真撮影は可能ですか?
- 壱之町通り側からの外観撮影は自由で、特に雪化粧の風景は人気です。店舗内での撮影については、念のためスタッフの方にひと声お声がけください。酒蔵見学の際は、案内の方が撮影可能な箇所を案内してくれます。
- いつ訪れるのがおすすめですか?
- どの季節にも違った魅力があります。深い雪と灯の組み合わせが美しい冬、古川祭で町中が賑わう4月、瀬戸川に鯉が泳ぐ夏、秋の新酒の季節など、訪れる時期によって町の表情も変わります。
- 隣の高山市の有名な酒蔵と比べて、ここを訪れる理由は何ですか?
- 飛騨古川は高山よりも観光客が落ち着いており、ゆったり町歩きが楽しめます。同じ壱之町通りに蒲酒造場と渡辺酒造店という2軒の老舗があり、いずれも登録有形文化財の建物を備えています。短い距離で歴史ある酒蔵建築を続けて巡れるのは、飛騨古川ならではの魅力です。
基本情報
| 名称 | 蒲酒造場主屋(かばしゅぞうじょうしゅおく) |
|---|---|
| 文化財種別 | 登録有形文化財(建造物)/登録年月日:平成19年(2007年)7月31日 |
| 建築年代 | 明治39年(1906年)/明治37年の古川大火後、近郊の和田家住宅主屋を譲り受けて再建 |
| 構造 | 木造2階建、鉄板葺、建築面積約263㎡(渡廊下及び雪隠付) |
| 員数 | 1棟(袖蔵・文庫蔵・仕込蔵一・仕込蔵二は別途登録) |
| 所在地 | 岐阜県飛騨市古川町壱之町6-6 |
| 運営 | 有限会社 蒲酒造場(創業:宝永元年・1704年) |
| アクセス | JR高山本線「飛騨古川駅」より徒歩約5〜10分 |
| 備考 | 現役の酒蔵兼店舗。仕込蔵を含む酒蔵見学は要予約・日本語のみ・10月〜12月は実施なし。 |
参考文献
- 蒲酒造場主屋 — 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/153135
- 蒲酒造場文庫蔵 — 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/119607
- 国指定文化財等データベース — 蒲酒造場主屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00006532
- 蒲酒造場 — 飛騨市公式観光サイト「飛騨の旅」
- https://www.hida-kankou.jp/spot/308
- 蒲酒造場 — 岐阜県観光公式サイト「岐阜の旅ガイド」
- https://www.kankou-gifu.jp/spot/detail_3836.html
- 蒲酒造場 公式サイト(白真弓・やんちゃ酒)
- https://www.yancha.com/
- 創業300年の酒蔵・蒲酒造場の当主が語る「飛騨古川と地酒」 — FabCafe Hida
- https://fabcafe.com/jp/magazine/hida/20200919_katari_bar_report/
- 登録有形文化財(建造物) — 岐阜県公式ホームページ
- https://www.pref.gifu.lg.jp/page/12417.html
最終更新日: 2026.05.14