吾妻のお茶講の習俗 ― 中世の闘茶が村に残った茶あての行事

毎年二月、群馬県の山あいの集落で、近所の人々が一軒の家に集まり、順に注がれる七杯の茶を飲んで、その中身を当てあう。これが「お茶講」と呼ばれる行事である。かつて吾妻地方の各地で行われていたこの習俗は、昭和五十四年(一九七九)に「吾妻のお茶講の習俗」として国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択された。寛政十一年(一七九九)の記録が残り、そのもとをたどれば中世の武士が大きな景品を賭けて競った遊びにいきつく。

お茶講は、茶道の作法とは性格が異なる。客間で静かに点てる茶ではなく、村の年中行事としての茶あての勝負である。記録によれば、旧吾妻郡では少なくとも三か所で行われていた。その多くは二十世紀のうちに途絶えたが、中之条町白久保の一例だけが「上州白久保のお茶講」として続いている。

二つの文化財指定

この習俗には、関連する二つの登録があるため、位置づけがやや分かりにくい。一つめが「吾妻のお茶講の習俗」で、昭和五十四年(一九七九)十二月七日に国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択された。これは指定ではなく選択であり、消えかけた習俗を記録として残すための区分にあたる。吾妻一帯のお茶講を一つの地域習俗としてとらえたものである。

二つめは範囲がより狭く、格も上がる。平成二年(一九九〇)三月二十九日、白久保で続く行事が「上州白久保のお茶講」として国の重要無形民俗文化財に指定され、保護団体として白久保お茶講保存会が定められた。つまり、いま中之条町を訪ねて目にできるのは、昭和五十四年の選択が地域全体の習俗として記録した行事の、唯一の現存例ということになる。

確実な文献としては、寛政十一年(一七九九)に記された「御茶香覚帳」が残る。当時すでに現在に近い茶あての勝負が行われていたことがわかる。なお国のデータベースには西暦を一七九八年とする記載もあるが、寛政十一年は一七九九年にあたる。これ以前の起源ははっきりせず、地元でも「古くから」と伝わるにとどまる。

中世の闘茶からつながる行事

お茶講が学術的に重んじられるのは、十四世紀に流行した「闘茶」とのつながりが見えるためである。南北朝から室町にかけての闘茶は、しばしば賭けごとの色合いを帯びた。婆娑羅大名として知られる佐々木道誉は、莫大な景品を賭けて百服の茶勝負を催したと伝えられ、その流行ぶりは、建武三年(一三三六)に出された『建武式目』に茶寄合をいましめる条が加えられたほどであった。

そうした上流社会の遊びの多くは姿を消した。白久保で珍しいのは、見本の茶を覚えてから目隠しで当てるという基本の仕組みが、農村の集落で、地元の神社の年中行事として生き続けた点である。これを記録した民俗学者は、本来は中世の高雅な遊びであったものが、村の習俗として根づき、何百年も続いてきた例として注目した。あわせて、結果が豊凶を占う性格をもつことが、この行事を貴族的な遊興ではなく農村の暮らしに結びつけている。

勝負の進めかた

準備は三つの材料から始まる。苦みのある渋茶(煎茶)、甘味のある甘茶(アマチャヅルではなく、アジサイの一種から作る甘い茶)、そして地元でチンピと呼ぶみかんの皮を干したもの(陳皮)である。これらを焙烙という平たい素焼きの器で煎り、茶臼で粉にする。決まった割合で調合し、一ノ茶・二ノ茶・三ノ茶・客という四種類の基準の茶を作る。これらはまず、学問の神である天神を祀る白久保天満宮に供えられる。

勝負はまず「とよみ」から始まる。参加者は四種の基準の茶を試飲し、その味を覚える。続いて本番の「本茶」に入る。出される茶は七杯で、順不同に、一ノ茶から三ノ茶を二回ずつ、客を一回出す。一杯ごとに、それがどの茶かを各自が書きとめる。いったん書いた答えは変えられない。

場の空気はくだけている。参加者は勝負の間、本名ではなく帳面に記された別名で呼ばれる。花、鳥、風、月、金、銀、大豆、蕎麦、葱といった、暮らしに近い名である。「勝」と呼ばれる書記係が、全員の名と答えを記録していく。正解には菓子が配られ、景品は当たった人で分けるため、正解が少ない回ほど一人分が多くなる。正解数によって、一問・二問・三問それぞれに呼び名がつき、全問正解と全問不正解にも特別の名がある。書記係は帳面に、結果に応じた小さな押絵を書き添える。全問正解には梅の花、といった具合である。

結果は年占いとして読まれる。全問正解の者と全問不正解の者がともに多い年は、豊作になるといわれる。茶あての遊びが神事へと変わる場面であり、この行事が娯楽ではなく天満宮の宵祭りとして行われる理由でもある。

中之条町と白久保周辺

中之条町は群馬県北部、吾妻川の谷あいにあり、旅行者には温泉地として知られる。四万温泉も沢渡温泉も町内にあり、お茶講の時季に合わせた冬の旅の拠点になる。町には「中之条町歴史と民俗の博物館ミュゼ」があり、地域の習俗を扱う。お茶講に出かける前に、あるいは行事を見られない場合でも、ここで背景を知っておくとよい。

注意したい点が一つある。お茶講は二月二十四日の夜に行われる集落の神事であり、実際に参加するのは天満宮にゆかりのある地元の人々に限られる。観覧席を設けた公開イベントではなく、近年は開催が見送られた年もある。見学や体験を希望する場合は、事前に中之条町観光協会へ問い合わせてほしい。二月の祭礼とは別に、茶あての部分を予約制で体験できる機会が設けられることもある。日程に合わせて旅程を組む場合は、出発前に町へ最新の開催状況を確認することをすすめる。

Q&A

Q観光客もお茶講に参加して茶あてができますか。
A二月二十四日の祭礼は集落の神事で、勝負は白久保天満宮にゆかりのある地元の人々のために行われるため、一般向けの公開席はありません。見学や体験を希望する場合は、事前に中之条町観光協会へお問い合わせください。予約制の体験が別に設けられることもあります。
Qいつ、どこで行われますか。
A群馬県吾妻郡中之条町白久保で、毎年二月二十四日の夜、白久保天満宮の宵祭りとして行われます。開催が見送られる年もあるため、旅行前に最新の状況をご確認ください。
Q茶には何が入っているのですか。
A苦みのある渋茶、甘い甘茶、干したみかんの皮(陳皮)の三種を煎って粉にし、決まった割合で調合して四種の基準の茶を作ります。参加者はこの四種を覚えたうえで、順不同に出される七杯を当てます。
Qどのくらい古い習俗で、中世とどうつながるのですか。
A寛政十一年(一七九九)の記録が残り、十四世紀に流行した茶あての遊び「闘茶」の流れをくむとされます。白久保でいつ始まったかは分かっていません。
Q中之条町へはどう行けばよいですか。
AJR吾妻線の中之条駅が最寄りで、新幹線や特急が通る高崎方面から乗り継げます。駅から白久保地区や町内の温泉地までは車で短時間です。冬は積雪や周辺山間部の通行止めに備えてください。

基本データ

名称吾妻のお茶講の習俗/現存する行事:上州白久保のお茶講
区分風俗習慣(無形の民俗文化財)
国の区分吾妻のお茶講の習俗:記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(昭和五十四年〔一九七九〕十二月七日選択)。上州白久保のお茶講:重要無形民俗文化財(平成二年〔一九九〇〕三月二十九日指定)
所在地群馬県吾妻郡中之条町白久保
開催毎年二月二十四日の夜、白久保天満宮の宵祭りとして(年により見送られる場合あり)
保護団体白久保お茶講保存会
最古の記録御茶香覚帳(寛政十一年〔一七九九〕)
公開状況集落の神事であり一般公開席はなし。見学・体験は中之条町観光協会へ事前に問い合わせ

参考文献

文化遺産オンライン(国立情報学研究所)/上州白久保のお茶講
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/160761
国指定文化財等データベース(文化庁)/吾妻のお茶講の習俗
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/270
中之条町観光協会/白久保のお茶講
https://nakanojo-kanko.jp/events/白久保のお茶講/
日本伝統文化振興機構(JTCO)/上州白久保のお茶講
https://www.jtco.or.jp/bunkakan/?act=detail&id=109

最終更新日: 2026.06.03