石造の鋸屋根が五連
旧曽我織物工場は、群馬県桐生市本町一丁目にある大正11年(1922年)建築の木骨石造平屋建の織物工場で、平成18年(2006年)3月2日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
桐生は絹で栄えた町である。「桐生は日本の機どころ」と上毛かるたに詠まれるほどで、その痕跡はいまも地面の上に残っている。鋸屋根を戴いた工場が、通りの裏に、路地の奥に点在する。北向きの斜面をガラスとし、影の出ない安定した光を室内に導くこの屋根形状は、色と糸の状態を目で判断する仕事のために選ばれた。かつて桐生には数百棟があったという。
この工場は石造である。そこに意味がある。桐生市内で現存する石造の鋸屋根工場は9棟。そのうち、本町一・二丁目の重要伝統的建造物群保存地区の中にあるのは、旧曽我織物工場だけだ。
曽我家と織機の数、そして構造
曽我家は織物屋として始まった家ではない。初代の助松は石川県鹿島郡の生まれで、明治27年(1894年)に桐生へ移り、生糸商に奉公しながら商いを覚えた。やがて糸相場で財を成し、大正6年(1917年)に現在の敷地と建物を購入したと伝わる。大正11年、2代喜一郎の結婚を機に建てられたのがこの工場で、当時は「新工場」と呼ばれた。
昭和10年代前半が織物業の最盛期だった。そこへ戦争が及ぶ。昭和18年(1943年)の機業統制により、建物の中の織機はすべて供出された。戦後は桐生工業高校にあった織機2台を借り受けて操業を再開し、昭和26年(1951年)には26台まで戻したが、それでも需要に追いつかず外注に出したほどだったという。織物の操業が止まったのは昭和45年(1970年)頃。以後は市内企業の工場や倉庫として使われた。
構造の記述は読み込む価値がある。軸組は木造、それを石で覆い支える木骨石造という形式である。外壁は栃木県産の凝灰岩である大谷石を用い、切石を整層に積む。桁行は8間、梁間20尺(約6メートル)の鋸屋根を5連かける。屋根の棟は東西方向に走るため、ガラス面は北を向く。戸口と窓にはまぐさを渡し、両開きの鉄扉を吊る。西の妻面には円形の換気窓が開く。
後年の改修で屋根は鉄板葺となり、建具はアルミサッシに替わった。小屋組は木造のまま残る。
見学の注意と周辺
訪問を計画する前に、はっきりさせておきたいことがある。内部は公開されていない。個人の所有物であり、見学できるのは外観のみである。桐生市は積極的な活用を検討中としているが、現時点で一般公開の仕組みはない。道路からの撮影は差し支えないが、敷地は曽我家のものなので立ち入らないこと。
外からでも材料は雄弁だ。大谷石は風化すると暖かみのある灰色になり、濃い色の斑が浮く。積み目に低い日射しが当たったときの陰影は、煉瓦では出ないものだ。西端まで回れば円形の換気窓が見える。5つの屋根の峰は、正面からより斜めから眺めるほうが数えやすい。
工場が建つ敷地は、桐生新町の町立て当初の区画をよく残している。間口約23メートル、奥行約90メートル。同じ敷地の北寄りには曽我家住宅が並び、東から西へ主屋、土蔵、新座敷が続く。庭のほぼ中央には住宅稲荷社が祀られ、通りに面して一対の石造門柱が立つ。これらは別件として登録されている。
桐生新町そのものは、天正19年(1591年)に徳川家康の命を受け、代官大久保長安の手代である大野八右衛門が桐生天満宮を起点として町立てしたものだ。この地区は平成24年(2012年)に全国で94番目の重要伝統的建造物群保存地区として選定され、平成27年(2015年)4月には日本遺産「かかあ天下 ぐんまの絹物語」の構成文化財のひとつに加えられた。
場所は桐生天満宮から南へ約300メートル、本町通りから西へ入ったところ。JR桐生駅または上毛電気鉄道の西桐生駅から本町通りを北へ歩く。重伝建地区内に駐車場はないため、まちなかの有料駐車場を使う。地区は南北に長いので、市内で借りられるレンタサイクルとも相性がよい。建物の多くは人が住み、生業を営んでいる場所である。散策は道路上から。
Q&A
- 旧曽我織物工場の内部は見学できますか。
- 内部は公開されていません。個人の所有物であり、見学は外観のみとなります。桐生市は建物の積極的な活用を検討中としていますが、現在のところ一般公開は行われていません。敷地内には立ち入らないでください。
- 旧曽我織物工場は桐生の他の鋸屋根工場とどう違うのですか。
- 外壁が大谷石の切石積である点です。桐生市内で現存する石造の鋸屋根工場は9棟あり、そのうち本町一・二丁目の重要伝統的建造物群保存地区内にあるのは旧曽我織物工場のみです。他の多くは煉瓦造や木造です。
- 旧曽我織物工場の場所とアクセスを教えてください。
- 桐生市本町一丁目、桐生天満宮から南へ約300メートル進み、本町通りから西に入った位置にあります。JR桐生駅または上毛電気鉄道西桐生駅から本町通りを北へ徒歩でたどります。重伝建地区内に駐車場はないため、まちなかの有料駐車場をご利用ください。
- 旧曽我織物工場の屋根はなぜ鋸のような形をしているのですか。
- 鋸屋根はガラス面を北に向けることで、直射日光を避けた安定した採光が得られます。織りや染めは色を正確に見分ける必要があるため、この形式が織物産地に広まりました。この工場では棟が東西方向に走り、梁間20尺(約6メートル)の鋸屋根が5連かかっています。
- 旧曽我織物工場ではいつまで織物が作られていましたか。
- 操業が止まったのは昭和45年(1970年)頃です。昭和18年の機業統制で織機はすべて供出され、戦後は借り受けた2台から再開して昭和26年には26台まで回復しました。その後は市内企業の工場や倉庫として利用されています。
基本情報
| 名称 | 旧曽我織物工場(きゅうそがおりものこうじょう) |
|---|---|
| 所在地 | 群馬県桐生市本町一丁目甲225-1 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号 10-0152 |
| 指定年 | 平成18年(2006年)3月2日登録(告示は同年3月23日) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木骨石造平屋建、鉄板葺、建築面積550平方メートル。桁行8間、梁間20尺の鋸屋根5連 |
| 所有者 | 個人(文化庁データベースに記載なし) |
| 公開状況 | 外観のみ見学可。内部は非公開 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁) — 旧曽我織物工場
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005248
- 文化遺産オンライン — 旧曽我織物工場
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/181466
- 桐生市ホームページ — 旧曽我織物工場及び曽我家住宅
- https://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/bunkazai/1010700/kunitouroku/1002006.html
- 桐生市ホームページ — 桐生新町伝統的建造物群保存地区の概要について
- https://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/spot/denken/about/1003081.html
- 日本遺産ポータルサイト — 桐生市桐生新町伝統的建造物群保存地区
- https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/252/
最終更新日: 2026.08.08