片品の猿祭 ― 赤飯を播き合い、白猿を追う秋の奇祭

旧暦九月の申の日、群馬県北部の山あいにある小さな社殿から、白装束の男がひとり飛び出して走り出す。氏子たちは裸足のままその男を追い、社殿のまわりを三度めぐる。境内では人々が東と西に分かれて向かい合い、しゃもじで赤飯を播き合いながら、決まった掛け声を上げる。これが、国が「片品の猿祭」の名で記録した行事である。会場は、片品村花咲の武尊(ほたか)神社。

地元では古くから「奇祭」と呼ばれてきた。白装束の走者は猿に扮しており、播かれる赤飯はその猿のためのものだ。なぜ農村が秋の一日をかけて、猿に飯を与え、そして追い払うのか。その答えは、村を見下ろす山にある。

武尊山北麓、花咲の社で

片品村は群馬県の最北、利根郡に位置し、尾瀬への入口となる高原の村である。村の西にそびえるのが武尊山で、その「武尊」の字は、伝説の皇子・日本武尊(やまとたけるのみこと)にもつながる。祭りの舞台となる武尊神社は、かつて郡内の総鎮守をつとめた古社で、各地の武尊神社の本社にあたる。

祭日は新暦ではなく旧暦による。旧暦九月の中頃の申の日に行われるため、新暦に直すと毎年秋のいずれかの日となり、日付は年ごとに動く。地域の人々が担う祭祀であって観光のために組まれた行事ではないので、見学を考える人は、事前に村役場や教育委員会へ日程を確かめておきたい。

花咲では、この祭りをおよそ三百年続くものと考えている。現在の武尊神社は明治四十一年(一九〇八年)に近隣の三社を合祀して整えられたが、行事そのものはその社の再編よりもずっと古い。

二つの名前と、指定の理由

この祭りには二つの正式な名がある。昭和五十三年(一九七八年)、文化庁は「片品の猿祭」の名で、記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択した。これは、消えてしまう前に丁寧に記録しておくべき習俗に国が付ける目印で、調査結果はのちに平成十九年(二〇〇七年)、無形の民俗文化財記録の一冊としてまとめられている。

そして平成十二年(二〇〇〇年)十二月二十七日、同じ花咲の行事が、より上位の重要無形民俗文化財に指定された。このときの名は「片品の猿追い祭」で、担い手は猿追い祭保存会である。訪れる人は「猿祭」と「猿追い祭」の両方の呼び名を耳にすることになるが、指すものは一つの生きた行事で、後者が二〇〇〇年の指定に結びついた名にあたる。

指定の決め手となったのは、見た目の派手さの背後にある仕組みである。この祭りは宮座という世襲の祭祀組織によって営まれており、その古い形が残る例は東日本では数が少ない。花咲の人々は東西の組に分かれ、役は家々の間で順に回る。さらに、しゃもじでの赤飯の播き合いや、幣束を手にした猿役の登場など、他では失われた古態をいくつもとどめている。

白い大猿の伝説

言い伝えによれば、その昔、武尊山の岩屋に白い毛の大猿が住みついていた。大猿は里に下りて村人に危害を加え、作物を荒らした。これを武尊の神が退治したことから祭りが起こったとされる。村にはもう一つの説もあり、猿を追い払った年が豊作だったことに始まると伝わる。

どちらの筋も、同じ理屈の中にある。播かれる赤飯は猿への供物であり、たっぷりと与えるから田畑をこれ以上荒らさないでくれ、という意味が込められている。祭りの最後の追走は、その最初の退散の再現にあたる。収穫への感謝と、災いを遠ざける願いが、一つの所作のなかに重ねられている。

当日の見どころ

祭りは、村の集落から選ばれる二つの当番役で組み立てられる。ヒツバン(櫃番)は赤飯を炊いて櫃に詰め、神社へ運ぶ役。サカバン(酒番)は、かつてどぶろくや甘酒として仕込まれた、宴の酒を用意する役である。

多くの人が記憶に残すのは、赤飯の播き合いだ。東西が向かい合い、しゃもじから赤飯が飛ぶなか、東のヒツバンは「エッチョウ(栄長)」、西のヒツバンは「モッチョウ(茂長)」と声を張る。やり取りは大きく、はっきりとしていて、感謝であると同時に猿との掛け合いでもある。赤飯がおさまると一同は内へ移って酒を酌み交わし、謡として「高砂」「四海波」「千秋楽」が謡われる。いずれも祝いと長寿に結びつく曲である。

そして追走に移る。白猿に扮した役が飛び出し、ヒツバンとサカバンに追われながら社殿を三度まわる。短い場面だが、それまでの一切がここへ向かっていたとわかる。赤飯だけでなく、この走りが見える位置に立つと、一日の形が腑に落ちる。

片品をめぐる

片品村は、尾瀬への主要な入口の一つとして知られている。尾瀬は群馬・福島・新潟の県境にまたがる高層湿原で、木道の続く湿原歩きと、春の水芭蕉、秋の草紅葉で名高い。武尊山や、丸沼・菅沼といった湖を抱える周辺の山々のおかげで、片品は登山や滝めぐりから冬のスキーまで季節の長い土地で、各所に温泉が点在する。

祭りが秋にあたるため、訪問は高原が色づく時季と重ねられる。この一帯は公共交通が限られており、多くの人は車で訪れる。車を使わない場合は、あらかじめ地元の路線バスの時刻を調べておくとよい。

Q&A

Q「片品の猿祭」と「猿追い祭」は同じものですか。
A同じ花咲の行事を指します。「片品の猿祭」は一九七八年に記録作成の対象として選択された際の名で、「片品の猿追い祭」は同じ行事が二〇〇〇年に重要無形民俗文化財に指定された際の名です。
Qいつ行われますか。
A旧暦九月の中頃の申の日に行われます。新暦では秋にあたりますが、日付は毎年変わります。出かける前に、片品村役場や教育委員会で日程を確認してください。
Qなぜ赤飯を播くのですか。
A蒸した赤飯は、伝説の猿への供物です。播くことで収穫への感謝を示すとともに、村の説明では、猿にたっぷり与えるから田畑をこれ以上荒らさないでくれ、という願いが込められています。
Q見学はできますか。撮影は可能ですか。
A観光向けの催しではなく地域の祭祀です。礼を失しないようにし、運営の指示に従ってください。撮影の可否は年によって異なることがあるため、現地で尋ねるか、事前に村へ問い合わせてください。
Q白装束の走者は何を表していますか。
A伝説の猿を演じています。赤飯の供えのあと、社殿を三度追い回され、武尊の神が大猿を追い払った場面を再現します。

基本データ

名称片品の猿祭(かたしなのさるまつり)
所在地群馬県利根郡片品村花咲・武尊神社
国の区分記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択(一九七八年)。同じ花咲の行事は二〇〇〇年に「片品の猿追い祭」として重要無形民俗文化財に指定
祭日毎年、旧暦九月の中頃の申の日(秋)
保護団体猿追い祭保存会(二〇〇〇年の指定)
公開状況地域の祭祀として見学可。日付は年ごとに変わるため、片品村役場・教育委員会へ要確認

参考文献

片品の猿祭 ― 文化遺産オンライン(文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/136604
片品の猿追い祭 ― 文化遺産オンライン(文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/215179
国指定文化財等データベース ― 片品の猿祭
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/312/269
国指定文化財等データベース ― 片品の猿追い祭
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/736
武尊神社と猿追い祭り ― 片品村役場
https://www.vill.katashina.gunma.jp/syoukai/bunkazai/2016-0509-1437-38.html
猿追い祭 ― 片品村観光協会
https://oze-katashina.info/kanko/197/

最終更新日: 2026.06.03