平清盛と弟頼盛が一巻に筆を継いだ金字経

厳島神社の海上社殿の背後、社務所の脇に建つ収蔵庫に、藍色に染めた紙へ金泥で書写された経巻が納められている。紺紙金字観普賢経である。観普賢経は法華三部経を締めくくる結経で、この一巻は平安時代末期、当時の朝廷で権勢を極めた平清盛と、その異母弟である平頼盛の手によって書かれた。

この観普賢経は単独の作品ではない。清盛と頼盛が宮島の厳島神社に奉納した一具のうちの一巻にあたる。紺紙に金字で記された法華経七巻と、この観普賢経一巻からなり、国宝としての正式名称は「紺紙金字法華経七巻・観普賢経一巻(平清盛・頼盛合筆)」という。本記事で扱うのは、その全体を結ぶ観普賢経の巻である。

観普賢経は、正しくは仏説観普賢菩薩行法経といい、五世紀前半、宋の曇摩蜜多が四四一年までに漢訳した。天台智顗の説いた構成に従えば、八巻からなる法華経とその開経に続く結経として位置づけられる。経の主題は懺悔にある。六根に積もった罪を清める方法と、六本の牙をもつ白象に乗って現れる普賢菩薩を観ずる行法が中心で、別名を懺悔経ともいう。端座して諸法の実相を思え、という一句がしばしば引かれる。

一巻に二人の筆が宿る理由

この一具を他の写経と分けているのは、筆そのものに残る痕跡である。各巻は「両筆経」と呼ばれる形式で書かれた。巻の冒頭の数行を兄の清盛が書き起こし、残る本文を弟の頼盛が継いでいる。二人は書写という行いを通じて結縁し、合志のもとに功徳を分かち合おうとした。広島県の調査記録は、この書写供養を嘉応二年(一一七〇)九月から承安二年(一一七二)四月にかけてのこととしている。

用いられた材料は、その願いの重さに見合う。紙は藍で深く染められ、本文の縦列を導く銀の界線が引かれ、文字は金で記された。各巻の表紙には金銀泥で宝相華唐草文が描かれ、見返しには金泥で釈迦説法図、あるいは経の意を絵にした図様が配される。文字も絵も金泥で表したこうした経巻は金泥経と総称され、この一具は平安期の金泥経を代表する作例とされる。

国宝に指定されたのは昭和二十九年(一九五四)三月二十日である。経巻を納めていた金銅製の経箱が、附(つけたり)として一括で指定されている。ここで一つ区別しておきたい。きらびやかな装飾で名高い平家納経は、長寛二年(一一六四)に清盛と一門が奉納した別の国宝であり、種別も書跡ではなく絵画に分類される。一方の紺紙金字経は、その数年後に兄弟二人が手がけた、より私的な営みであった。

時の流れがこの一具を欠けさせた。奉納された当初は十巻あり、法華経八巻に開経の無量義経一巻と結経の観普賢経一巻を加えた構成であった。このうち法華経の巻四と無量義経は早くに社外へ出ている。失われた無量義経の断簡は「厳島切(いつくしまぎれ)」の名で世に流布し、今も珍重されている。

巻を前にして見るべきもの

巻が公開されているとき、まず目に入るのは色の対比である。黒に近い藍の地に、金の文字が光を受けて浮かび上がる。平家納経の華やかな彩りとは異なり、こちらの効果は静かで端正で、ゆっくり眺めるほど応える。巻頭まで目を移すと見返しの絵があり、細い金の線で仏とその聴衆の姿が描き出されている。縦列の間に引かれた銀の界線は今や淡いが、近づけば読み取れる。

解説札では尽くせない人間的な面もある。本文の始まりに近いどこかで、一方の兄弟の筆が他方へと替わっている。冒頭が清盛、本文が頼盛のものと知れば、この美しい品は二人の具体的な人物の記録に変わる。血を分け、信仰の行いを共にした兄弟が、一門の隆盛の頂にあって、その没落のわずか十年ほど前に残したものである。

この経が懺悔と普賢菩薩の観法を説くものである以上、発願した人々にとっては特別な重みをもっていた。一個の美術品としてではなく、奉納された祈りとして読むとき、その目的が近づいてくる。

宮島と宝物館を訪ねる

厳島神社は、広島の沖に浮かぶ宮島に鎮座する。島へは宮島口からフェリーで渡り、所要は約十分。JRのフェリーは、海中に立つ朱塗りの大鳥居の近くを通る。宮島桟橋から神社までは、海沿いを歩いておよそ十五分である。

神社の宝物館は本社の出口を出てすぐの位置にあり、紺紙金字の経巻を年間を通じて目に触れさせている。ただし通常は、傷みやすい現品ではなく忠実な複製による展示である。実際の経巻が並ぶのは、毎年十月から十一月ごろに、社務所の隣にある収蔵庫で開かれる宝物名品展の機会で、この観普賢経や法華経は比較的よく出陳され、毎年のように数巻が入れ替えで公開される。現品を目当てに訪れるなら、出発前に神社の最新の予定を確かめておきたい。

宝物館は毎日八時から十七時まで開き、拝観料は大人三百円、高校生二百円、小中学生百円。神社本殿、宝物館、近くの千畳閣を合わせた共通券もあり、島で半日を過ごすなら手頃である。すぐ近くには大願寺や五重塔があり、時間があれば弥山へ上るロープウェーも利用できる。

Q&A

Qこれは有名な平家納経と同じものですか。
A別のものです。平家納経は、長寛二年(一一六四)に平家一門が奉納した装飾性の高い別個の国宝で、種別は絵画に分類されます。ここで取り上げた紺紙金字の法華経・観普賢経は、その数年後に清盛と頼盛が合筆で書写したもので、種別は書跡・典籍です。混同されやすいものの、はっきり別の文化財です。
Q本物の経巻を見ることはできますか。
A宝物館では通常、複製が展示されています。現品が公開されるのは、おおむね十月から十一月にかけて、神社後方の収蔵庫で開かれる宝物名品展の折です。この一具は比較的よく出陳されますが、訪問前に神社の最新の予定を確認することをおすすめします。
Qなぜ二人の兄弟が一巻を分けて書いたのですか。
A「両筆経」という形式によるものです。巻の冒頭を清盛が書き起こし、残りを頼盛が書き継いでいます。経を共に書写することは、互いに縁を結び、その行いから生じるとされた功徳を分かち合う手立てでした。
Q観普賢経はどのような教えですか。
A法華三部経を締めくくる結経で、懺悔を主題とします。六根に積もった罪を清める方法と、六本の牙をもつ白象に乗って現れる普賢菩薩を観ずる行法を説きます。このため懺悔経の別名でも呼ばれます。
Q宝物館へはどう行けばよいですか。
A宮島口からフェリーで宮島へ渡り(約十分)、神社まで徒歩でおよそ十五分です。宝物館は本社の出口を出てすぐにあります。開館は毎日八時から十七時まで、大人の拝観料は三百円です。

基本情報

名称紺紙金字観普賢経(こんしきんじかんふげんきょう)
所在地広島県廿日市市宮島町 厳島神社
所有者厳島神社
指定区分国宝(書跡・典籍) 昭和二十九年(一九五四)三月二十日指定
員数一巻。「紺紙金字法華経七巻・観普賢経一巻(平清盛・頼盛合筆)」の一具を構成。附として金銅経箱を指定
時代平安時代。嘉応二年(一一七〇)から承安二年(一一七二)にかけて書写
書写者平清盛(冒頭の数行)および平頼盛(以降の本文)
公開状況宝物館は毎日八時から十七時まで開館。現品は主に秋の宝物名品展で公開

References

国指定文化財等データベース(文化庁):紺紙金字観普賢経
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/716
広島県教育委員会:紺紙金字法華経7巻・紺紙金字観普賢経1巻
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-101050010.html
文化遺産オンライン(国立文化財機構):無量義経断簡(厳島切)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213244
厳島神社公式サイト:御由緒・拝観案内
https://www.itsukushimajinja.jp/jp/history.html

最終更新日: 2026.06.09