兄弟が金泥で書き分けた法華経
平安時代も末に近い嘉応から承安の頃、平清盛とその異母弟である頼盛は、二人で力を合わせて法華経の書写に取り組んだ。こうして生まれたのが、広島県の宮島に鎮座する厳島神社に残る国宝「紺紙金字法華経」である。紺色に染めた料紙の上へ、経文を金泥で一字ずつ記した七巻の経典で、その名はそのまま、紺紙に金字で書いた法華経を意味している。
この経巻の特色は、何よりその筆跡にある。兄弟は一巻ごとに筆を分け合った。各巻の冒頭にあたる数行を清盛が書き、続きを頼盛が書き継いでいる。二人の手で書写されたこうした経典は両筆経と呼ばれ、筆を執った人物がこれほど明確に分かる作例は多くない。
厳島神社には、これとは別に、はるかに名高い装飾経である平家納経(長寛2年・1164年奉納)が所蔵されており、両者はしばしば混同される。金泥のこの法華経は、装飾の華やかさよりも筆跡と来歴によって重んじられる、いわば控えめな存在といえる。
国宝に指定された理由
文化庁は昭和29年(1954年)3月20日、この七巻を書跡・典籍の国宝に指定した。広島県教育委員会の解説によれば、頼盛は兄清盛と結縁の志を同じくし、嘉応2年(1170年)9月から承安2年(1172年)4月にかけて書写し供養したという。
経典はもともと十巻からなっていた。法華経八巻に、開経である無量義経と、結経である観普賢経を加えた構成である。このうち無量義経と法華経の巻四は、早くに社外へ流出した。失われた部分の断簡は「厳島切(いつくしまぎれ)」の名で、収集家のあいだに広まっている。現在、法華経は七巻が厳島神社に残り、結経の観普賢経は別個の国宝として登録されている。これらを納める金銅製の経箱も、附(つけたり)として指定に含まれる。
歴史の上でこの経巻が重んじられる理由は二つある。十二世紀の書としては珍しく制作年代と書写者が明確であること、そして平安末期の宮廷で最大の権勢を誇った清盛その人の筆が、その全盛期の姿のまま残っている点である。
見どころ
各巻の巻頭には、金泥で描かれた見返し絵が添えられ、釈迦が大衆に説法する場面などが表される。書物でいえば挿絵入りの扉に当たる部分で、これから始まる経文へと読み手を導く。表紙には、紺地を背景に宝相華文という理想化された花の文様が繰り返し配されている。
二人の筆が替わる箇所に目を凝らしたい。清盛が記した冒頭から頼盛の筆へと移る境目は、運筆の調子や筆圧の違いとして、見る者の目に微かに残る。兄弟が交互に筆を執った、その静かな記録である。
紺紙に金泥という取り合わせは、意図して選ばれたものであった。この組み合わせは格の高い経典に限って用いられ、紺は瑠璃を、金は仏法の輝きを思わせるとされる。料紙と墨そのものが、経典への敬いの表れであった。
訪れる人のために一つ付け加えておきたい。原本は傷みやすく光に弱いため、常設では公開されない。厳島神社は宝物館でその複製を展示し、秋に開かれる宝物名品展の折に、現物の一部を出陳する。この法華経は、その入れ替わりのなかでも比較的よく公開される。
宮島と厳島神社を訪ねる
厳島神社は、瀬戸内海に浮かぶ緑深い島・宮島の干潟の上に建つ。広島市の中心部から南西へ電車でおよそ三十分の宮島口から、短いフェリーで島へ渡る。船旅は十分ほどで、桟橋から神社までは、商店と放し飼いの鹿が並ぶ参道を歩いて十五分ほどである。
宝物館は神社の出口を出てすぐ、大願寺の向かいに位置する。昭和9年(1934年)に開かれた建物で、当時としては早い耐火構造の鉄筋コンクリート造に、漆を塗った造りである。厳島神社が所蔵する約二百六十点の指定品のなかから随時選んで展示しており、平家納経の複製もここで見られる。拝観料は手ごろで、多くの人は海上の大鳥居と社殿、宝物館を半日でめぐる。日程に余裕があれば、弥山への登山を加えるのもよい。
Q&A
- 紺紙金字法華経は、有名な平家納経と同じものですか。
- 別の品です。平家納経は1164年に奉納された三十三巻からなる装飾経で、絵画として国宝に指定されています。この紺紙金字法華経は、それより後に書写された七巻の経典で、清盛と頼盛の合筆である点と、その筆跡が評価されています。
- 原本を見ることはできますか。
- 常時は公開されていません。原本が出るのは主に秋の宝物名品展で、神社の宝物収蔵庫で展示されます。宝物館では通常、複製が公開されています。原本を目当てに訪ねる場合は、事前に神社の開催情報を確認してください。
- なぜ料紙は紺色で、文字は金色なのですか。
- 紺紙に金泥という形式は、平安時代に格式の高い経典へ用いられた装飾です。深い紺は瑠璃を、金は仏法の光を思わせ、料紙と墨そのものが経典への敬いを表しています。
- 「両筆経」とは何ですか。
- 二人が交互に書写した経典を指します。ここでは清盛が各巻の最初の数行を書き、頼盛が後を書き継ぎました。両筆経と呼ばれるこの方法によって、兄弟は一つの善行を分かち合いました。
- 広島市から神社へはどう行けばよいですか。
- 電車で宮島口まで行き、フェリーで島へ渡ります。所要は十分ほどです。神社は桟橋から歩いてすぐです。社殿と沖の大鳥居、宝物館をあわせて半日ほど見ておくとよいでしょう。
基本情報
| 名称 | 紺紙金字法華経(こんしきんじほけきょう) |
|---|---|
| 所在地 | 広島県廿日市市宮島町 厳島神社 |
| 指定区分 | 国宝(書跡・典籍) |
| 指定年月日 | 昭和29年(1954年)3月20日 |
| 員数 | 7巻(附 金銅経箱) |
| 時代 | 平安時代後期(嘉応2年〜承安2年/1170〜1172年頃の書写) |
| 書写者 | 平清盛・平頼盛 |
| 所有者 | 厳島神社 |
| 公開 | 常設展示なし。主に秋の宝物名品展で原本の一部を公開し、宝物館では複製を展示 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/715
- 一般社団法人宮島観光協会 宝物館
- https://www.miyajima.or.jp/sightseeing/ss_homotsukan.html
- 東京文化財研究所 アーカイブデータベース
- https://www.tobunken.go.jp/materials/nenki/13104.html
最終更新日: 2026.06.09