縮景園——広島の中心に四百年残る大名庭園
JR広島駅から北へ歩いて十数分、京橋川の西岸に塀をめぐらせた敷地がある。塀のなかの池には、淡水のコイと汽水のボラ・チヌが同居している。池に水を引き込む京橋川がすぐ下流で海に合流するため、満潮どきには塩分が混ざり込んで「汽水」となるのだ。広島浅野藩初代藩主・浅野長晟が、家老で武将茶人の上田宗箇に命じて元和6年(1620)から築かせた別邸の庭——縮景園である。明治維新まで12代にわたり浅野家が私邸として守り、昭和15年(1940)に広島県へ寄贈された。同年7月12日、国の名勝に指定されている。
指定からわずか5年後、昭和20年(1945)8月6日朝。爆心地から1.2〜1.5キロの距離で原子爆弾が炸裂し、清風館をはじめとする園内の建物の大半が焼失した。残ったのは中央の池、築山、そして池をまたぐ石造の太鼓橋・跨虹橋。それから三本の樹——大イチョウ、クロマツ、ムクノキ。被爆樹木として今もその位置に立ち、大イチョウは毎年11月になれば変わらず黄葉する。
「お泉水」から「縮景園」へ——四百年の来歴
築成からしばらくの間、この庭は名を持たなかった。当初は「お泉水」あるいは「泉邸」と呼ばれただけである。「縮景園」の名は後年、二代藩主光晟が儒学者・林羅山に作らせた漢文の序文の一節——「海山をその地に縮め、風景をこの楼に聚(あつ)む」——から採られたと伝わる。中国浙江省・杭州の西湖を模して各地の景勝を縮めたから、という説も併存しており、上田宗箇の作庭意図に重ね合わせて語られてきた。
宗箇が築いた庭は二度、形を大きく変えている。一度目は宝暦8年(1758)の宝暦の大火による焼失。広島開府以来とも言われた大火事は園内の建物と樹木の多くを呑み込んだ。再興を主導したのが7代藩主・浅野重晟で、天明3年(1783)から同8年にかけて、京都で名声を確立していた庭師・清水七郎右衛門(尾道出身)を招いて大改修にあたらせた。主眼は池の中央を縦断する中国風の石造太鼓橋。重晟はこの橋への並々ならぬこだわりから、一度完成したものを取り壊させ、二度目にようやく納得した形を得たと伝わる。今日跨虹橋と呼ばれているのは、その二度目の橋である。
大改修ののち、文化元年(1804)に隠居していた重晟は儒官の頼春水・梅園太嶺、近習で絵筆もよくした岡岷山らに諮り、園内の名勝34か所に名称を与えた。濯纓池、清風館、祺福山、跨虹橋、超然居、白龍泉、明月亭——現在も使われている多くの呼び名はこのときに定まった。明治・大正と藩主家のもとで維持されたのち、昭和15年に広島県へ寄贈。原爆で壊滅した後、昭和24年(1949)から始まった復旧は約30年を要し、明月亭が竣工した昭和49年(1974)にひと区切りとなった。
名勝指定の根拠
縮景園は史跡名勝天然記念物保存法の指定基準「一.公園、庭園」に該当する国の名勝である。指定理由としてまず挙げられるのが、江戸初期に成立した大名庭園のなかでも先駆的な存在であること。雄藩の領主たちが居城近くや江戸屋敷に大庭園を構える風潮は17世紀を通じて広がっていくが、縮景園はその系譜のごく早い段階に位置する。
もう一つは、二度の壊滅的な打撃をくぐり抜けながら、構成の骨格がきわめて忠実に保たれてきたという点。最大の島・超然居の周辺には上田宗箇の作意がそのまま残ると伝わり、その外側に清水七郎右衛門の手による江戸中期の洗練が重なる。一つの庭園のなかに、性格の異なる二つの作意が読み取れる例は西日本でも稀である。文化遺産オンラインに残る指定当時の解説は、池を南北に分かつ支那風の跨虹橋、東部・北部の築山「迎暉峯」「臨瀛岡」、西部の馬場、各所に配された亭館、そして明月亭が取り込む神田川(現・京橋川)と二葉山の借景を、特に注目すべき要素として挙げている。
園内の歩き方
正門から入り、清風館の前で一度立ち止まる。視線を東に向けると、正面に立ち上がる円錐形の小山が迎暉峯(げいきほう)——清風館から見て富士山が東にあることになぞらえ、富士に擬して築かれた人工の山である。
跨虹橋——園の象徴
道は南へ折れ、跨虹橋にいたる。天明3年から同8年にかけて積まれた花崗岩の太鼓橋は、勾配が急で、登るというより踏みしめる感覚に近い。ボランティアガイドは「橋を渡るたびに世界が変わる」と来園者を案内する。実際、橋の東西で植栽がまったく異なり、南北で造形の見え方も変わる。継ぎ目には漆喰の類を一切使わず、石の重みだけで組み合わさっており、原爆の爆風にも耐えた。橋そのものが園の物語の一部となっている所以である。
超然居——宗箇の意匠が残る場所
跨虹橋の東側、観瀾橋と洗心橋という小さな石橋で結ばれた園内最大の島が超然居(ちょうぜんきょ)である。「人里離れた静寂の地」を意味する号にふさわしく、ここの石組みは作庭当時の上田宗箇の作意がそのまま残ると伝わる。歴代藩主が手を加えなかったゆえに残った景観である。超然居から跨虹橋・悠々亭・迎暉峯の連なりを望む構図は、園内屈指の眺めとされる。
明月亭と数寄屋の亭々
園の北東隅にある明月亭は数寄屋造の茶亭。眼前を流れる京橋川と、その向こうに二葉山の稜線を借景として取り込む位置に置かれている。茅葺き屋根の悠々亭、小ぶりな夕照庵といった亭々も、歩く速度を意図的に落とすかのように、園路の節目に配置されている。
被爆樹木と慰霊碑
園内の中ほどには、樹齢200年を超える大イチョウが立つ。被爆樹木として知られる三本のうちの一本で、ほかにクロマツとムクノキが残る。ムクノキは幹の中ほどが空洞になりながら、夏には変わらず葉を茂らせる。京橋川に面した一画には、原爆投下後にこの庭園へ避難し、ここで命を落とした人々を悼む慰霊碑が建てられている。被爆直後の縮景園は急造の避難所となり、多くの遺体が園内に埋葬された経緯がある。
四季の縮景園
縮景園は、広島の季節の進みを公式に記録する場所でもある。気象庁が広島で観測する標本木13種のうち11種が園内に植えられている。サクラ、ウメ、ツバキ、アジサイ、ススキ、カエデ、イチョウなど、広島の季節の節目はおおむねこの庭の樹木から告げられている。
1月半ばから3月にかけては約19種・113本以上の梅が時期をずらして咲く。サクラは2月下旬のカワヅザクラから4月中旬のソメイヨシノまで、9種約110本が順に開花していく。晩春にはボタンとツツジ、ハナショウブ。盛夏は緑のトンネルに変わり、明月亭へ向かう道沿いをアジサイが彩る。秋は丹風林の紅葉が見事で、夜間のライトアップは縮景園の人気行事となった。冬は静かで、雪が降れば四百年前から変わらぬ骨格が一段と読み取りやすくなる。
周辺の見どころ
広島県立美術館は縮景園と壁を接しており、専用の連絡口で行き来できる。共通券が両館の窓口で販売されている。所蔵はサルバドール・ダリ《ヴィーナスの夢》や広島ゆかりの近代日本画家たち、アジアの工芸など多岐にわたる。西へ歩いて15分ほどで広島城——昭和33年(1958)に外観復元された天守と、復元された二の丸の御門・櫓——にいたる。さらに南へ進むと平和記念公園と原爆ドームに至る。庭園・美術館・城を半日でつなぐ動線は、1945年を挟んで広島を読み直す導線にもなる。
Q&A
- 所要時間の目安は?
- 園内を一周するだけなら45分前後。亭で休憩したり、池辺で景色を眺めたりすると1時間半ほどになる。隣接の広島県立美術館とあわせるなら半日を見込みたい。
- 跨虹橋は渡れますか?
- 渡れます。ただし勾配が急で、雨天時は石が滑りやすい。手すりに頼りつつ慎重に。
- いつの季節が見頃ですか?
- 梅(2月)、桜(3月下旬〜4月上旬)、紅葉(11月中旬〜下旬)が三大シーズン。桜と紅葉の時期は夜間ライトアップも行われる。混雑を避けたいなら、平日午前中の5月や1月がもっとも静かに歩ける。
- 中央の池は淡水ですか?
- 汽水である。河口に近い京橋川から水を引いているため、コイやフナといった淡水魚と、ボラやチヌといった海水魚が同居している。受付で1袋100円の鯉のエサを購入できる。
- 江戸時代から残っている建物はありますか?
- 亭々の多くは戦後の復元である。江戸期の遺構として確かに残るのは天明期(1783〜88)の跨虹橋。また超然居まわりの石組みは作庭当初の上田宗箇の意匠を伝えていると考えられている。
基本情報
| 名称 | 縮景園(しゅっけいえん) |
|---|---|
| 所在地 | 〒730-0014 広島県広島市中区上幟町2-11 |
| 指定区分 | 国指定名勝(指定基準「一.公園、庭園」) |
| 指定年月日 | 昭和15年(1940)7月12日 |
| 管理団体 | 広島県(昭和15年8月30日指定) |
| 築成 | 元和6年(1620)/作庭:上田宗箇 |
| 大改修 | 天明3〜8年(1783〜88)/京都の庭師 清水七郎右衛門による |
| 開園時間 | 3月16日〜9月15日 9:00〜18:00/9月16日〜3月15日 9:00〜17:00(入園は閉園30分前まで) |
| 休園日 | 12月29日〜31日 |
| 入園料 | 一般350円/大学生150円/小・中・高校生無料(令和7年4月14日から)。広島県立美術館との共通券あり。 |
| アクセス | JR広島駅から徒歩約15分。路面電車では八丁堀で白島線に乗り換え「縮景園前」下車すぐ。ひろしま観光ループバス「めいぷる〜ぷ」は「県立美術館前(縮景園前)」下車。 |
| 電話 | 082-221-3620 |
参考文献
- 文化遺産オンライン「縮景園」(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/191692
- 国指定文化財等データベース「縮景園」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/2330
- 縮景園 公式サイト「縮景園の歴史」
- https://shukkeien.jp/history/
- 縮景園 公式サイト「ガイドが選ぶ縮景園の見どころ」
- https://shukkeien.jp/midokoro/
- 広島県「徹底解剖!ひろしまラボ — 縮景園」
- https://www.pref.hiroshima.lg.jp/lab/info/shukkeien/
最終更新日: 2026.05.16