宮島のタノモサン — 旧暦八朔の夜、灯火を載せた手作りの船が大鳥居を抜けてゆく

旧暦八月朔日(ついたち)の夕刻、紅葉谷公園の四宮神社へ続く石段に、長さ六十センチほどの手作りの小舟が一艘また一艘と運び込まれる。船には屋形が組まれ、色紙で作った帆が立ち、軒先のような小さな提灯が下がる。船内をのぞくと、新粉(しんこ)で形作られた高さ二センチほどの三角錐の人形が並ぶ。家族の人数と同じ数。脇には犬と胴長の太鼓、季節の野菜や果物が添えてある。これが「たのも船」、そしてこの夜が、宮島の人々が「タノモサン」と呼びならわしてきた年に一度の祓いと感謝の行事である。

「神の島」が背負ってきた事情

厳島は古来、島全体が御神体と仰がれてきた。厳島神社が陸地ではなく潮の満ち引きする干潟に建てられたのも、そもそも島の土を起こすことが憚られたためで、明治期以前、宮島では田畑を作ることが禁じられていた。米も野菜も、すべては対岸の大野(現・廿日市市大野町)の村から運ばれてくる。島の人々にとって「収穫」とは、自分たちの手で得るものではなく、海を渡って届けられるものだった。

タノモサンは、そうした暮らしの中から立ち上がってきた行事である。タノモは「田実」とも「頼母」とも書かれ、秋の稔りへの感謝と、子の健やかな成長への祈りを束ねた言葉とされる。米の出どころである対岸へ向けて、家ごとに手作りの船を流す。一年に一度、形ある礼状をしたためて海に送り出すような行事である。

たのも船をしつらえる

船は買うものではない。子どものいる家々が、八朔が近づくと自分たちで仕立て始める。商工会から配られる木の台舟が土台になり、その先は各家次第である。長さは三十センチほどから一メートル近いものまで様々だが、近年は六十センチ前後が多い。屋形を組み、色紙の帆を張り、提灯や幟、旗を巡らす。帆には家紋を描き、子の名や「○○丸」という船名を堂々と入れる。生まれたばかりの赤子の名を初めて書き記す船もあれば、子ども自身が描いた絵がそのまま帆を飾る船もある。

船内の主役はシンコ細工の人形である。新米を挽いた粉を蒸して練り、三角錐に整える。頭部には正方形の色紙を編笠のように折って斜めに被せ、肩から脇下へ細く折った色紙を襷状に貼る。家族の数だけ並べ、その左右に犬と胴長の太鼓を添えるのが基本形だが、家によっては犬の代わりに猫を置いたり、太鼓を省いたりと工夫が利く。背後には満月とすすきを描いた半円形の背景を立てる。秋の景色がそのまま船の中に納まる仕掛けである。

シンコ細工の人形には、その家の災厄を託して海へ流す意味合いもあると伝わる。豊作祈願と祓いの要素が、子の成長を願う気持ちと折り重なるところに、この行事の奥行きがある。

記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択された理由

平成二十一年(2009)三月十一日、文化庁はタノモサンを「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択した。重要無形民俗文化財ほど厳密な指定ではないが、消失の前にその姿を映像や文献に残し、研究の手がかりとして守るべきだ、という判断である。

選択の理由は概ね三点にまとめられる。第一に、八朔の収穫感謝という、かつて全国の農村に広がっていた季節の節目の行事を、典型的な形で今に伝えていること。第二に、農耕儀礼に子どもの成長祈願と人形流しによる祓えが重ねられている点で、八朔行事の重層性をよく示していること。そして第三に、「船を流す」という形式そのものの稀少さである。広島県内でも、かつては広島市安芸区矢野や呉市倉橋町に類似の行事があったというが、いずれも伝承が途絶え、今に伝えているのは宮島ただ一つとなった。

少子化に伴い船を作る家が年々減り、行事の規模が縮小していることも、文化庁の所見にはっきりと記されている。記録するなら今、という判断が選択を後押ししたとみてよい。

当日の流れ

行事が旧暦八月朔日に行われるのには、収穫期と潮の動きの双方が絡んでいる。新月の夜は月明かりこそないが、潮の大きく動く大潮の日。対岸まで船を渡らせるには、この潮の力が要る。

夕方六時頃、家々が船を抱えて紅葉谷の四宮神社に集まり始める。境内には篝火が焚かれ、並べられた船を町内の人々が次々に見にくる。「今年は○○さんとこの船が出来がいい」と評し合う声が漏れ、夏の終わりの宵涼みを兼ねた賑わいが続く。日が落ちて各船の提灯に灯が入ると、賑やかさの中に厳かさが加わる。

八時頃、神職による御祓いが始まる。船を持つ家族は子どもを前に立たせ、玉串を捧げて、子の無事な成長と家内安全、五穀豊穣を祈願する。儀式が終わるとそれぞれ船を担ぎ上げ、坂を下って海岸へ向かう。流す場所はその年の風向きと潮の流れによって異なり、厳島神社の火焼前(ひたさき)、御笠浜、西松原などが選ばれる。

九時前後、潮が引き始めるのを待って船は海へ。蝋燭に火を灯すと、数十艘の船が大鳥居の足元を抜け、対岸へと流れていく。月のない朔の夜、灯火の点だけが海面に揺れる様子は、見送る側の言葉を奪うものがある。

かつて、流された船は対岸の大野の漁師や農家が拾い上げ、五穀豊穣や大漁の縁起物として畦に供えたり、家の梁に吊るしたりしたと伝わる。現在その慣わしはほぼ廃れ、翌朝、地元の牡蠣船などが回収して終わるのが通例となっている。

あわせて訪ねたい場所

タノモサンは日没後の行事なので、昼間の宮島観光と組み合わせやすい。四宮神社が鎮座する紅葉谷公園は秋の紅葉で知られるが、八朔の頃にはまだ青葉が残り、参道を行く人もまばらで落ち着いている。坂を上がって石鳥居の扁額をよく見ると「大國神社」の文字が刻まれている。元は紅葉谷川の上流に祀られていた四宮神社が、ある時期、大国神社と合祀された名残である。

四宮神社から南へ徒歩十数分の宮島歴史民俗資料館では、過去のたのも船や、宮島の年中行事に関する展示が見られる。建物の一部は江戸後期から明治期に醤油醸造で栄えた旧江上家の主屋と土蔵で、国の登録有形文化財に登録されている。当日見るものを事前に予習しておくと、夜の景色の意味が立体的に浮かび上がる。

船を海上に見送る場所としては、厳島神社の西側にあたる西松原の堤防が比較的ゆとりがある。蚊の対策だけは忘れずに。

Q&A

Q毎年いつ行われますか。
A旧暦八月一日に行われるため、現在の暦では年により日付が変わり、おおむね八月下旬から九月中旬の間にあたります。事前に宮島観光協会の発表で日程をご確認ください。
Q観光客でも見学できますか。
A四宮神社境内での船の集合、神事の様子、海岸での流し場面とも公開されており、見学は自由です。ただし神事の最中はフラッシュ撮影を控え、家族と船の周囲では距離を保つようご配慮ください。たのも船自体も家ごとの大切な品ですので、無断で触れないようお願いします。
Q観光客もたのも船を作れますか。
Aたのも船は子どものいる宮島の家々が手ずから作り、自分たちの子のために奉納するもので、観光客は基本的に見学者として参加します。宮島歴史民俗資料館で過去の船や作り方の展示を見られるので、訪れる前に立ち寄ると行事の理解が深まります。
Q船を流す様子はどこで見るのが良いですか。
A流す場所はその年の風と潮の状態で変わりますが、火焼前、御笠浜、西松原の三カ所が中心です。なかでも西松原の堤防は遮るものが少なく、対岸へ向かう船の列を遠くまで見送ることができます。
Qなぜ宮島では昔、農業ができなかったのですか。
A島全体が厳島神社の御神体として崇敬されてきたため、土を起こす農耕も、出産や埋葬と同じく忌み事と見なされ、明治期以前は禁じられていました。米や野菜は対岸の大野から運び入れる暮らしが長く続き、その背景がタノモサンの「対岸へ船を流す」という形式に直結しています。

基本情報

名称宮島のタノモサン(みやじまのたのもさん)
区分記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(風俗慣習・年中行事)
選択年月日平成21年(2009)3月11日
開催日毎年旧暦8月1日(新暦では年により異なる)
所在地広島県廿日市市宮島町(四宮神社・紅葉谷公園および厳島神社周辺海岸)
保護団体南町総代会
選択基準由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
アクセスJR山陽本線または広島電鉄宮島線「宮島口」よりフェリーで宮島へ(約10分)。宮島桟橋から紅葉谷の四宮神社まで徒歩約15分。

参考資料

文化遺産オンライン「宮島のタノモサン」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/200516
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/312/00000863
一般社団法人宮島観光協会「たのもさん」
https://www.miyajima.or.jp/event/event_tanomosan.html
日本玩具博物館「<見学レポート>宮島の八朔行事「たのもさん」」
https://japan-toy-museum.org/archives/6484

最終更新日: 2026.05.17