羽衣天女―東西が出会った明治の傑作油絵

富士山と駿河湾を眼下に望み、両翼を広げた天女が大空を昇っていく――兵庫県立美術館が所蔵する本多錦吉郎《羽衣天女》(1890年)は、日本古来の伝説を西洋画の技法で描き切った、明治洋画の記念碑的傑作です。2024年(令和6年)3月15日に国の重要文化財(美術工芸品)に指定された本作は、日本における油彩画黎明期の到達点を示す稀少な作例として、いま改めて注目を集めています。日本美術の長い伝統と、明治日本が新たに学んだ西洋絵画。その二つの伝統が出会った瞬間を、神戸で目の当たりにすることができます。

作品概要―三保の松原の上空を舞う天女

《羽衣天女》は縦127.2センチ、横89.8センチの油彩画で、画面いっぱいに天女の姿が描かれています。羽衣伝説の舞台として名高い三保の松原(現在の静岡県静岡市清水区)の上空、富士山と駿河湾を背景に、天女が両腕に薄い布をたなびかせながら飛翔しています。体は弓のようにしなり、翻る衣の裾からは素足がのぞき、その姿はまるで実際に空を舞っているかのような迫真性をもって描かれています。

古代装束風の意匠を身に着けた天女の最大の特徴は、肩から生える左右一対の大きな翼でしょう。日本の伝統的な天人像が薄絹をたなびかせて飛ぶのに対し、本作の天女はキリスト教絵画の天使を思わせる豊かな翼を持ち、これが発表当時から論争を呼びました。しかし画面構成の観点から見れば、この翼は天女の体を画面の中心にしっかりと据え、上昇する動きに視覚的な説得力を与える重要な役割を果たしています。画面右下には「明治廿三年 三月 本多錦吉郎 描」の落款が記されています。

羽衣伝説―千年語り継がれてきた物語

本作の主題となった羽衣伝説は、日本各地に伝わる古い物語のひとつです。なかでも有名なのが、駿河国の三保の松原を舞台とする話です。漁師の白龍(伯梁とも)が、松の枝に掛かった美しい衣を見つけて持ち帰ろうとすると、天女が現れて「それがないと天に帰れない」と訴えます。心を動かされた白龍は、天女の舞を見せてもらう代わりに羽衣を返すことを約束。羽衣を着けた天女は天上の舞を披露し、やがて富士山の彼方へと舞い上がり、霞にまぎれて消えていったといいます。

この伝説は室町時代に世阿弥が能の演目「羽衣」として再構成し、現在に至るまで上演され続けている古典的演目となりました。羽衣伝説は日本各地、さらにはアジアやヨーロッパにも類話があるとされ、人類共通の神話的想像力を映し出す物語でもあります。本多錦吉郎は、こうした「日本的でありながら普遍的」な題材をあえて選び、西洋画の技法と日本の伝統を融合させる試みに挑んだのです。

画家・本多錦吉郎―明治洋画の屋台骨を支えた人

本多錦吉郎(1850-1921)は、嘉永3年(1850年)、青山隠田にあった広島藩の江戸屋敷で生まれました。広島藩校で洋式兵学と英語を修め、明治4年(1871年)に上京して工部省測量司の測量学校に入学しますが、健康を害して退学。測量教師であったライマー・ジョンズが彼の画才を惜しみ、洋画家への転身を勧めたとされています。

明治7年(1874年)、本多はイギリス帰りの国沢新九郎が開いた洋画塾「彰技堂」に入門します。国沢は日本人として最初に英国で本格的に油絵を学んだ人物で、明治10年(1877年)に29歳の若さで没した際、遺言により本多が彰技堂を継承することになりました。明治10年代の洋画排斥の冬の時代を、本多は彰技堂で門下生を指導しながら生き抜き、英国の絵画技法書を翻訳して『画学類纂』全9集として自費出版するなど、日本における洋画教育の基礎を築きました。明治22年(1889年)には浅井忠らとともに明治美術会の創立にも参加しています。

《羽衣天女》は明治23年(1890年)3月に完成し、洋画復興のとば口となった同年の第3回内国勧業博覧会に出品されて褒状を受けました。本多の代表作であり、明治初期の洋画をけん引した他の画家と同様、本多の作品も多くは現存していないため、本作の希少性はきわめて高いといえます。本多はまた造園家としても知られ、生涯に40か所以上の庭園や公園を手がけ、『図解庭造法』などの著作を残しています。

重要文化財に指定された理由

2024年(令和6年)3月15日、文化審議会文化財分科会の審議・議決を経て、《羽衣天女》は国の重要文化財(美術工芸品)に指定されました。これは、兵庫県立美術館が自主的に収集してきたコレクションの中から重要文化財に指定された初めての作品であり、同館にとって歴史的な出来事となりました。

指定の理由には、本作の歴史的意義の高さがあります。明治初期の日本人画家による大画面の油彩画はそもそも残存数が少なく、なかでも西洋画の歴史画の本質――神話や物語に取材し、人物を中心とする物語性のある絵画――を日本に移植しようとした試みは貴重です。本作は、明暗法・遠近法・人体表現といった西洋画の技法を駆使しながら、日本古来の主題である羽衣伝説を写実的に描き出しており、日本の伝統的な図像と西洋絵画の技術の融合を体現する作例として高く評価されました。日本近代美術史における重要な転換点を示す作品として、その価値が公的に認められたといえます。

見どころ―知っておきたい鑑賞のポイント

実物を目の前にした多くの方が、まずその迫真的な空間表現に驚かれます。本多は西洋画の空気遠近法を駆使し、天女の身体から遠景の富士山まで深い奥行きを生み出しています。また、強い陰影によって立体的にとらえられた天女の身体、風になびく薄い羽衣の質感、衣の裾からのぞく素足の繊細な描写など、それまでの日本絵画には見られなかった写実技法が随所に発揮されています。

本作の数奇な来歴も見どころのひとつです。1890年の博覧会出品の後、本作は1904年頃にアメリカへ渡ったとされ、長らく所在不明となっていました。しかし1989年、ニューヨークで再発見され、日本の画商に買い取られて帰国。1990年に同館の前身である兵庫県立近代美術館で開催された「日本美術の19世紀展」で展示され、1999年に公益財団法人伊藤文化財団からの寄贈により兵庫県立美術館の所蔵となりました。太平洋を二度も越え、85年ぶりに日本に戻ってきた一枚の絵――そう思って画面に向き合うと、また違った感慨があるはずです。

来館案内―兵庫県立美術館

《羽衣天女》を所蔵する兵庫県立美術館は、神戸市中央区脇浜の海岸沿いに建っています。建物そのものが世界的建築家・安藤忠雄氏の設計による現代建築の名作で、コンクリートの大胆な造形、ドラマチックな大階段、海を望むテラスなど、美術館自体が西日本を代表する建築の見どころとなっています。2002年に開館しました。

《羽衣天女》は同館のコレクションの一部ですが、油彩画は光による劣化を避けるため常時展示はされず、コレクション展(常設展)のなかで時期を区切って公開されています。本作の鑑賞をご希望の場合は、兵庫県立美術館の公式サイトで現在の展示内容をご確認のうえ、お出かけになることをお勧めします。

周辺情報―美術館とあわせて楽しむ神戸

兵庫県立美術館は、神戸の海岸沿い「HAT神戸」の一角にあります。1995年の阪神・淡路大震災の後に整備された地区で、美術館に隣接する「人と防災未来センター」は、震災の記憶と防災を学べる施設として国内外から多くの来訪者を集めています。海沿いの遊歩道からは、大阪湾の景観も楽しめます。

JR・阪神電車・市バスなどでしばらく移動すれば、神戸の中心市街地へ。明治期の旧居留地、北野の異人館街、南京町(中華街)、六甲山や布引ハーブ園のロープウェイからの眺望など、神戸ならではの観光名所が広がります。世界的に有名な神戸ビーフをはじめとする食文化も豊かで、コンパクトで歩きやすい街の規模を生かし、美術鑑賞と食・街歩きを一日で組み合わせて楽しむことができます。

Q&A

Q《羽衣天女》はいつでも見られますか?
A兵庫県立美術館が所蔵していますが、油彩画は保存上の観点から常設展示ではなく、コレクション展のなかで時期を区切って公開されています。鑑賞を計画される際は、必ず同館の公式サイトで現在の展示状況をご確認ください。
Qなぜ天女に翼があるのですか?
A日本の伝統的な天人像は、たなびく薄絹(羽衣)を翻して飛ぶ姿で描かれ、翼を持たないのが通例です。本多錦吉郎があえてキリスト教絵画の天使を思わせる翼を描いたのは、日本の主題と西洋絵画の図像・技法を融合させる試みの一環であり、当時から議論を呼びましたが、画面構成と飛翔感の表現に大きな効果を生んでいます。
Qいつ重要文化財に指定されましたか?
A2024年(令和6年)3月15日、文化審議会文化財分科会の審議・議決を経て指定されました。兵庫県立美術館が自主的に収集してきたコレクションのなかから初めての重要文化財指定となった、同館にとって記念すべき作品です。
Q羽衣伝説とはどのような物語ですか?
A三保の松原で漁師が松の枝に掛かった天女の羽衣を見つけ、持ち帰ろうとしたところに天女が現れ、返してほしいと頼みます。漁師は舞を見せてもらうのと引き換えに羽衣を返し、天女は舞を披露したあと富士山の彼方へと昇っていったという物語です。室町時代に世阿弥が能「羽衣」として再構成し、現在も上演され続けている古典演目の題材になっています。
Qこの絵はなぜ一度アメリカに渡ったのですか?
A1904年頃にアメリカに渡ったとされ、その後の経緯ははっきりしていませんが、日本では長らく所在不明となっていました。1989年にニューヨークで再発見され、日本の画商に買い取られて帰国。1999年に公益財団法人伊藤文化財団から兵庫県立美術館へ寄贈され、現在に至ります。

基本情報

名称 羽衣天女〈本多錦吉郎筆 明治二十三年/油絵 麻布〉
作者 本多錦吉郎(1850-1921)
制作年 1890年(明治23年)3月
技法・材質 油彩・布(麻布)
寸法 127.2×89.8cm
初出展 第3回内国勧業博覧会(1890年) 褒状受賞
指定区分 国指定重要文化財(美術工芸品・絵画)
指定年月日 2024年(令和6年)3月15日
所有者 兵庫県(公益財団法人伊藤文化財団より1999年寄贈)
所蔵 兵庫県立美術館
所在地 〒651-0073 兵庫県神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1
美術館設計 安藤忠雄
備考 常時公開ではなく、コレクション展のなかで時期を区切って展示

参考文献

[ID:3352] 羽衣天女:作品情報 | 所蔵作品検索 | 兵庫県立美術館
https://jmapps.ne.jp/hpma/det.html?data_id=3352
2024年度コレクション展Ⅱ | 兵庫県立美術館
https://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/j_2408/index.html
『羽衣天女』国の重要文化財に 神戸で会えるのは8月から 兵庫県立美術館 | ラジトピ ラジオ関西トピックス
https://jocr.jp/raditopi/2024/04/10/565258/
本多錦吉郎《羽衣天女》解説 | 三重県立美術館 友の会だより97号
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/000180290.htm
本多錦吉郎 | Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/本多錦吉郎
能・演目事典:羽衣:あらすじ・みどころ | the-noh.com
https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_011.html
羽衣天女 | 芸術の源泉 三保松原
https://miho-no-matsubara.jp/archives/art/羽衣天女

最終更新日: 2026.04.30