大正14年に建った、鎌倉様式の仏堂
光明寺本堂は、兵庫県加東市光明寺にある大正14年(1925年)再建の仏堂で、平成11年(1999年)6月7日に国の登録有形文化財に登録された。五峰山(ごぶさん/五峯山とも書く)という五つの峰からなる山塊の、主峰の頂上近くに建つ。播磨平野の北の縁を見下ろす位置である。
前身の本堂は安政6年(1859年)に焼失している。再建までには六十年以上の間があいた。ようやく事業が動いた大正期、設計を委ねられたのが武田五一(1872〜1938)だった。
武田は当時、関西の建築界で最も名の知られた一人である。東京の帝国大学で学び、欧州滞在でアール・ヌーヴォーやゼツェッシオンの動向に触れ、京都府立図書館をはじめ官公庁や大学の建物を数多く手がけた。同時代の建築家のなかでも、明らかに前を向いていた人である。
その武田が、ここでは意識して後ろを向いた。
文化庁のデータベースは本堂を「銅板葺入母屋造の五間堂」と記し、四周に縁を回し、正面に3間の向拝をのばすとする。一方、加東市の文化財ページは「方九間」と書き、向拝柱を4本と数える。柱間の数え方の違いによるもので、建っているものが食い違うわけではない。
なぜ「登録」なのか
日本の建造物文化財には、指定と登録という二つの制度がある。指定は数を絞って強い規制と手厚い保護をかける仕組みで、登録は平成8年(1996年)に始まった緩やかな制度である。おおむね建設後50年を経た建物を対象に、届出制と指導・助言を基本とすることで、所有者が使い続けながら守れるようにしている。光明寺本堂は後者にあたり、登録番号は28-0053、登録告示は平成11年7月19日に出された。
適用された登録基準は「造形の規範となっているもの」である。大正14年という時点で、誰に求められたわけでもなく鎌倉時代の建築語彙を徹底して組み立て直した点が、この評価につながっている。
内部の構成は三層に分かれる。1間幅の外陣、2間幅の内陣、その奥に2間幅の宮殿。装飾を積み上げていく江戸後期の寺院建築とは方向が逆で、簡素な割に伸びやかである。
登録上の数値そのものは控えめだ。員数1棟、木造平屋建、建築面積331平方メートル。なお文化庁の「構造及び形式等」欄は瓦葺と記載するが、同じ文化庁の解説文も加東市の説明も銅板葺とする。現地で見えるのは銅板である。
加東市は本堂について「公開しています」と明記している。境内に入るための拝観料は公表されておらず、参道を上って堂前まで自由に近づける。内部をゆっくり見たい場合や団体で訪れる場合は、事前に寺へ問い合わせておくとよい。
坂を上りきったところに
本堂にたどり着くまでは、それなりに歩く。参道沿いには多聞院、遍照院、大慈院、花蔵院という4つの塔頭が並ぶ。山門をくぐると文殊堂と鎮守社、続いて常行堂。さらに石段を上って、ようやく本堂が視界いっぱいに迫ってくる。遠くから全体を眺めさせる配置ではなく、近づいてから急に大きくなる建ち方である。
正面の石段で足を止めて、向拝柱の上を見上げてほしい。加東市の説明は、そこに架かる虹梁が大きく弓形に曲がっている点を取り上げている。抑制のきいた正面のなかで、はっきり形をつくっているのはここだけと言っていい。勾欄付きの縁は四周を回っているので、ゆっくり一周してみるとよい。軒の見え方が角ごとに変わる。
宮殿には本尊の十一面千手観音、脇士として不動明王と毘沙門天が安置されている。本尊は法道仙人の作と伝わる。推古天皇の時代にこの地へ来た法道仙人が光明寺を開いたという寺伝によるもので、記録で裏づけられた話ではない。寺にはこのほか、平安時代後期の銅造如来坐像があり、こちらは重要文化財に指定されている。
五峰山には戦の記憶がある。足利尊氏と弟直義が対立した観応の擾乱にともなう光明寺合戦は『太平記』に記され、加東市は観応2年(1351年)、新西国霊場会は正平7年(観応3年、1352年)とする。いずれにせよ五千余騎がこの尾根に籠もり、寺を囲んで光明寺城を築いたと伝わる。文明17年(1485年)には赤松政則と山名政豊の戦いの舞台にもなり、このとき寺の3院21坊が宿坊として割り当てられた。
光明寺は新西国霊場の第28番札所であり、全国真言宗七十五名刹の一つにも数えられる。参道は紅葉でも知られていて、上りがいちばん報われるのはこの季節だろう。最寄り駅はJR加古川線の滝野駅だが、そこから山上までは長い上り坂になるため、車で訪れる人が多い。境内入口の近くに駐車場があり、そこからは滝野の町並みが見渡せる。
Q&A
- 光明寺本堂は拝観できますか。拝観料はかかりますか。
- 加東市の文化財ページは光明寺本堂を「公開しています」と記載しており、境内の拝観料は公表されていません。参道を上って堂前まで近づくことができます。ただし光明寺は現役の寺院ですので、法要の有無などによって内部の様子は日によって変わります。遠方から訪ねる場合は事前に寺へ確認しておくと確実です。
- 光明寺本堂を設計したのは誰ですか。なぜ大正の建物なのに古く見えるのですか。
- 設計は武田五一(1872〜1938)で、大正14年(1925年)に建ちました。武田は関西で西洋的な官公庁建築や商業建築を多く手がけた人物で、この本堂は経歴のなかでもやや異色の仕事にあたります。鎌倉時代の建築様式に倣って設計されたため、築100年ほどの建物でありながら中世の堂宇のように見えます。
- 加東市の光明寺へは公共交通でどう行きますか。
- 鉄道の最寄り駅はJR加古川線の滝野駅です。寺は山上にあり、駅から歩くと長い上り坂が続くため、車で訪れる人が多くなっています。境内入口の近くに駐車場があります。加東市の文化財ページには地図の座標が掲載されているので、地図アプリで位置を確認してから向かうとわかりやすいでしょう。
- 光明寺本堂は写真撮影できますか。
- 外観や境内について一律の撮影禁止は示されていません。四周を回る勾欄付きの縁と、向拝に架かる弓形の虹梁が、実際によく撮られている見どころです。一方で堂内、とくに内陣や仏像の撮影については制限が設けられることが日本の寺院では一般的です。掲示を確認し、判断に迷う場合は寺務所に尋ねてください。
- 光明寺には本堂のほかに何がありますか。
- 参道沿いに多聞院、遍照院、大慈院、花蔵院の4つの塔頭が並び、山門の内側には文殊堂、鎮守社、常行堂があります。寺には平安時代後期の銅造如来坐像もあり、こちらは重要文化財です。五峰山は『太平記』に記された光明寺合戦の舞台でもあり、参道の紅葉も地元でよく知られています。
基本データ
| 名称 | 光明寺本堂(こうみょうじほんどう) |
|---|---|
| 所在地 | 兵庫県加東市光明寺433 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 28-0053/登録基準「造形の規範となっているもの」 |
| 指定年 | 登録 平成11年(1999年)6月7日/登録告示 同年7月19日 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造平屋建、建築面積331平方メートル。銅板葺入母屋造の五間堂、四周に縁、正面3間の向拝(文化庁解説文) |
| 所有者 | 宗教法人光明寺 |
| 公開状況 | 加東市は「公開しています」と記載。拝観料の公表なし。最寄り駅はJR加古川線滝野駅、境内入口付近に駐車場あり |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「光明寺本堂」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00001137
- 文化遺産オンライン「光明寺本堂」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/114217
- 加東市 国登録文化財「光明寺本堂」
- https://www.city.kato.lg.jp/kakukanogoannai/kyouikushinkoubu/shogaigakushuka/bunkazai/siteibunkazai/tourokuyuukeibunkazai/1544842134910.html
- 加東市「世界に一つ!加東遺産」五峰山光明寺
- https://www.city.kato.lg.jp/kakukanogoannai/kyouikushinkoubu/shogaigakushuka/bunkazai/isan/1454058393071.html
- 新西国霊場会 第28番 五峯山光明寺
- https://shin-saigoku.jp/templ/templ-028/
最終更新日: 2026.08.26