建屋のヒダリマキガヤ ― 日本一の左巻き榧の巨樹
兵庫県養父市の山あいにある能座(のうざ)地区。棚田と民家が肩を寄せ合う集落のほぼ中央に、高さ約26メートルのカヤの巨木が立っている。地元の人々はこの木を正式な名前で呼ぶことはほとんどなく、昔から「かやのきさん」と親しんできた。
これが国の天然記念物、建屋(たきのや)のヒダリマキガヤである。カヤはイチイ科の常緑針葉樹で、その変種のひとつがヒダリマキガヤだ。木そのものの大きさもさることながら、この木が秋ごとに落とす種子に、名前の由来となった特徴が隠れている。
種子に刻まれた左巻きの筋
ふつうのカヤの種子は、外殻に走る筋がほぼまっすぐに縦へ伸びる。ところがヒダリマキガヤの種子では、その筋がゆるやかに左へ巻く。ねじの溝が逆向きに切られているような螺旋である。「左巻き」の名は、この見た目をそのまま言い表したものだ。
もっとも、この性質は一様ではない。一本の木でも、多くの種子は左に巻くが、なかには右に巻くものや、ほとんど巻かないものも混じる。突然変異から生まれた変種であり、その不揃いさこそが植物学上の記録対象として注目された理由でもある。ヒダリマキガヤは全国でもごく限られた場所でしか確認されておらず、滋賀県日野町、三重県名張市、宮城県の小原、そしてこの能座などが知られる。なかでも建屋のものは、左巻きの榧として日本最大の巨樹である。
能座の人々にとって、この実は学術的な珍しさ以上に身近なものだった。アク抜きをすれば食べられ、良質の食用油もとれる。縁起物として正月の蓬莱盆に栗や干し柿とともに飾り、元旦の朝に茶を飲みながら口にする習わしが、今も残っている。
約800年、同じ場所に立ちつづけて
推定樹齢はおよそ800年。芽生えたとされる頃は鎌倉時代にあたり、この但馬の一角はまだ都から遠く離れた農村だった。木は標高約220メートルの集落の中ほどに根を張り、まわりには棚田と家々が広がる。
地上約3.7メートルのところで主幹は南北二本の大枝に分かれる。南の幹は高さ約25メートル、その根元の周囲は約5メートル、北の幹は高さ約23メートルに達する。目通りの幹囲は7.35メートル、根回りは文化庁の指定記録で約15メートルとされるが、地元の調査では16.5メートル前後とする数値も伝わる。いずれにせよ枝張りは広大で、東西約20メートル、南北約28メートルにわたって整った円傘形の樹冠を描く。
兵庫県は昭和13年(1938年)3月にこの木を県指定の天然記念物とし、国は昭和26年(1951年)6月9日に天然記念物として指定した。指定名称の「建屋」は、町村合併で養父市の一部となる前にこの地を治めていた旧建屋村の名を残したものである。
木の下に残る、京都を変えた人物の足跡
この木が立つ屋敷地には、もうひとつの歴史が刻まれている。ここは、江戸時代に当村の庄屋を務めた北垣家の生家跡であり、第3代京都府知事となった北垣国道が生まれた場所だ。北垣の名がもっとも知られるのは、明治23年(1890年)に完成した琵琶湖疏水を計画・推進した功績による。山を越えて琵琶湖の水を京都へ導いたこの大事業は、東京遷都で活気を失った京都の再興を支えた。
木の根元の傍らには、小さな古い祠が残る。北垣国道が、文久3年(1863年)の生野義挙(生野の変)で命を落とした同志を弔うために建てたものである。太平洋戦争以前には、この木の実から搾った油が毎年京都の北垣家へ届けられていたという。村を離れた一族と故郷とを結ぶ、細い糸のような習わしだった。
巨樹を守りつづける人々
これほどの大木は、それ自体に危うさを抱える。主幹が二本の重い大枝に分かれているため、積雪や強風が加わると分岐部から裂ける恐れがある。すでに明治の中頃には、村人が二本の大枝を囲むように鎖を巻いて支えた。昭和13年の指定後も、玉垣を設けたり、鎖を補充・調整したり、枯枝を伐ったりと、保護の手が絶えなかった。
大きな試練は平成5年(1993年)9月の台風だった。北側斜面が崩れ、以後は枯れ枝が増え、葉が薄くなり、実もほとんどつかなくなる。調査の結果、搬入土砂や踏み固めで根に空気と水が届かなくなっていたことがわかった。平成19年(2007年)からは国庫補助による3か年の保護再生事業が始まる。日本樹木医会兵庫県支部の樹木医らが西側と北側に溝を掘って土壌を改良し、樹木をほぼ半周する木製水路を巡らせ、自動散水のスプリンクラーを設置。大枝には吊り支柱を5本かけ、見学者が根の上を踏み固めないよう木道も設けた。事業の効果は平成22年(2010年)頃から表れ、実の大きさや数、枝葉が回復していった。
こうした手入れの多くは地元が担う。平成10年(1998年)7月に住民が「能座かやの木保存会」を結成し、今も玉垣や案内板、駐車場の世話を続けている。会では毎年9月下旬に落果した実を集め、灰汁抜きして1週間以上乾かしたものを販売し、その売り上げを保護活動にあてる。地区の建屋小学校では、児童がこの木を題材にした劇を演じたこともあるという。
能座を訪ねる
木は能座548番地付近の私有地に開けた形で立ち、見学に訪れる人を地域が迎えている。拝観料はなく、土地所有者の厚意で見学者用の駐車場も用意されている。木道を歩けば根を傷めずに幹のそばまで近づけ、二本の大枝を結ぶ鎖や、周囲の玉垣も間近に確かめられる。
訪れるなら秋がよい。9月下旬から10月初旬は種子が落ちる時期にあたり、ちょうど周囲の棚田が黄金色に染まる頃と重なる。屋外の記念物で決まった開園時間はないため日中ならいつでも見られるが、よく晴れて乾いた日のほうが、広がる樹冠や幹肌の質感をとらえやすい。
養父と但馬をめぐる
養父市は但馬の中央に位置し、巨木と山の景色で知られる土地だ。市内には国の天然記念物がほかにも二つある。県内有数の大きさをもつエドヒガン桜「樽見の大ザクラ」と、古くから神の宿る木として大切にされてきた「口大屋の大アベマキ」である。景観なら、約98メートルを落下する天滝が日本の滝百選に数えられ、森に囲まれた養父神社も一日の行程に加えやすい。
足を延ばせば、柳並木と外湯で知られる城崎温泉まで北へおよそ1時間。能座は但馬を広く周遊する旅の立ち寄り先としても収まりがよい。
Q&A
- なぜ「左巻き」のカヤと呼ばれるのですか。
- 種子の外殻にある筋が、ふつうのカヤのようにまっすぐ縦に走らず、左へ巻く螺旋を描くためです。突然変異による変種で、一様ではなく、多くは左巻きですが右巻きやほとんど巻かない種子も混じります。
- 樹齢や大きさはどのくらいですか。
- 推定樹齢は約800年、高さは約26メートルです。地上で主幹が南北二本に分かれ、樹冠は東西約20メートル、南北約28メートルに広がります。左巻きのカヤとしては日本最大の巨樹です。
- 北垣国道とはどんな人物ですか。
- この地に生まれ、のちに第3代京都府知事を務めた人物です。明治23年に完成した琵琶湖疏水を計画・推進したことで知られます。木の傍らの祠は、文久3年の生野義挙で亡くなった同志を弔うため北垣が建てたものです。
- 種子は食べられるのですか。
- 食べられます。アク抜きをして乾かした実を炒って食用にしたほか、搾って食用油もとりました。地元では縁起物として、正月の蓬莱盆に栗や干し柿とともに飾る習わしがあります。
- 拝観料や見学時間はありますか。
- 屋外にあり拝観料は不要で、決まった見学時間もありません。見学者用の駐車場が用意され、根の上を踏み固めないよう木道が設けられています。日中であれば自由に見学できます。
基本情報
| 名称 | 建屋のヒダリマキガヤ(たきのやのヒダリマキガヤ) |
|---|---|
| 樹種 | カヤ(イチイ科)の変種ヒダリマキガヤ(学名 Torreya nucifera) |
| 所在地 | 兵庫県養父市能座548番地 |
| 指定区分 | 国指定天然記念物(昭和26年〈1951年〉6月9日指定/兵庫県指定は昭和13年〈1938年〉3月) |
| 寸法 | 高さ約26メートル、目通り幹囲約7.35メートル、根回り約15メートル(地元調査では約16.5メートルとも)、枝張り東西約20メートル・南北約28メートル |
| 推定樹齢 | 約800年 |
| アクセス | JR播但線「新井(にい)」駅からタクシーで約10分/JR山陰本線「八鹿」駅から全但バス井の坪行きに乗り「能座口」下車、西へ徒歩約15分 |
| 公開状況 | 屋外・見学自由(拝観料なし・見学者用駐車場あり) |
参考文献
- 建屋のヒダリマキガヤ(文化遺産オンライン)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/138874
- 建屋のヒダリマキガヤ(国指定文化財等データベース)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/1880
- 能座かやの木保存会(アクセス)
- https://kayanoki800.web.fc2.com/access.html
- 建屋のヒダリマキガヤ(Wikipedia)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/建屋のヒダリマキガヤ
最終更新日: 2026.05.28