三田の住宅地に残る大正15年の洋風住宅
前田家住宅主屋は、兵庫県三田市屋敷町にある大正15年(1926年)竣工の木造2階建住宅で、平成12年(2000年)12月4日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。建築面積は108平方メートル、屋根は桟瓦葺である。
南側の壁面に半円アーチの窓が横一列に並ぶ。北東の隅では2階の床を持送で受け、上階が下の壁面より前へ張り出す。文化庁の記録によれば、外壁はもともとモルタルの砂利洗出し仕上げで、屋根には赤瓦が葺かれていた。全体としてスパニッシュ風の外観になる。
注目したいのは年代のほうだ。スパニッシュスタイルが阪神間で流行するのは昭和初期に入ってからで、芦屋や御影に白い壁と丸みを帯びた開口部が増えていく。三田は六甲山系の北側にあたり、その流行の圏外にある。それでいてこの家は大正の最後の年に完成している。登録の解説文が「その早い事例」と記すのは、この時間差を指している。
設計者・西村伊作と施主・前田慶治
設計は西村伊作(1884-1963)が主宰した西村建築事務所によるものとされる。西村伊作の名は、東京の文化学院を創立した文化人として知られることのほうが多い。住宅についても『楽しき住家』をはじめ複数の著作を残し、接客本位ではなく家族本位の間取りを説いた人物である。建築家としての仕事はあまり語られてこなかった。兵庫県建築士事務所協会の機関誌に掲載された川島智生氏の研究によれば、西村伊作の設計作品は全国でおよそ140軒、外観や間取りまで判明しているものが70軒ほどある。阪神間で確認された12軒のうち、現存するのはこの三田の一軒だけとされる。昭和13年の水害、昭和20年の空襲、そして戦後の宅地細分化が、残りを消していった。なお文化庁のデータベースには設計者の記載がなく、この帰属は研究と前田家に伝わる資料にもとづく。
施主の前田慶治は当時41歳。朝鮮半島に渡って農場経営で成功し、子どもの教育を考えて妻子を郷里に近い三田へ移した。実家は淡河にあったという。近年の現地調査では屋根裏から棟札が見つかり、工事に関わった9人の職人の名前と出身地が墨書されていた。大半が西村伊作の郷里である和歌山県南部の出身で、そのなかに三田町の有賀源三郎という名も混じる。前田家には設計図の複写20枚も残る。図面の寸法線はメートル法ではなく尺貫法で引かれている。
図面からは、大正15年の地方都市の住宅としては驚くほどの設備が読み取れる。ボイラーで沸かした湯を1階の居間と2階の寝室・客用寝室のラジエーターに送る温水暖房装置、そして水洗便所。給水給湯の配管設計は大阪の須賀商会が担当した。平面は中廊下式で、庭園の計画には大阪の橋本庭園工務所が関わっていたとみられる。
登録の理由と、この建物の価値
登録有形文化財の制度は平成8年(1996年)に始まった。重要文化財の指定に比べると規制がゆるく、所有者は建物を使い続け、必要に応じて手を入れることができる。かわりに国が台帳に記録し、技術的な助言を行う。登録番号28-0071、登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。告示は平成12年12月20日、第27回の登録にあたる。
評価の根拠はふたつある。ひとつは前述の年代。もうひとつは状態である。この家は建てられた場所に建ったまま100年を数え、建てた一族が今も住んでいる。資料館や飲食店への転用を経ていないぶん、部屋の並び、造作、建具の納まりが薄まらずに残った。
細部を見ると設計の意図が読める。玄関脇の階段室は2階分立ち上がり、切妻の破風で強く締めくくられる。屋根の大半が寄棟であるなかで、ここだけが別の表情を持つ。川島氏はこれを「建物の顔」として意識的にデザインされた部分と読む。玄関ポーチには正面東側と南側の二方向にアーチ状の開口が穿たれ、ポーチ奥のニッチ状の椅子の上にも同じアーチが繰り返される。基礎は六甲山系の御影石を丸く使った野石積み。道路境界の塀を支えるコンクリート柱は、足元がスカートの裾のように外へ広がっている。
ひとつ、資料間で食い違う点がある。文化庁の解説文は赤瓦とするが、前掲の研究は釉薬のかかった茶褐色の桟瓦に鬼瓦・降り鬼を伴うと記し、建設当初は塩焼桟瓦であった可能性にも触れる。100年のあいだに屋根には複数回手が入っており、仕様書が見つかっていないため確定していない。
見学の実際
ここは観光施設ではなく、人が暮らす家である。前田慶治の子孫が住み続けており、受付も、決まった開館時間も、拝観料もない。予告なく訪ねるのは控えたい。
そのうえで、住み手はこの家をときどき開いている。「さんだのうち」という名でコミュニティスペースとして運用し、小さなワークショップを開催してきた。秋に開かれる「さんだまち博」では公開ツアーが組まれ、2024年には川島智生氏本人が解説にあたる回もあった。内部を見たい場合は、まち博のプログラムと住み手のサイトで日程を確認するのが現実的である。定員は多くない。
道路からは塀越しに南面とアーチ窓が見える。前述の塀のコンクリート柱の足元も、立ち止まって見る価値がある。公道からの外観撮影に問題はないが、庭や室内へレンズを向けるのは別の話になる。最寄りはJR福知山線と神戸電鉄三田線が乗り入れる三田駅で、徒歩12分ほど。大阪からJRで40分前後の距離にある。来訪者用の駐車場はない。なお本建物は兵庫県の景観形成重要建造物に指定され、「ひょうごの近代住宅100選」にも取り上げられている。
Q&A
- 前田家住宅主屋は見学できますか。公開されていますか。
- 常時公開はされていません。現在も前田家の子孫が暮らす個人住宅です。ワークショップや、秋の「さんだまち博」での公開ツアーなど、住み手が企画する機会に限って内部を見られることがあります。決まった開館時間や受付はありませんので、事前の告知なく訪問することはお控えください。
- 前田家住宅主屋を設計したのは誰ですか。
- 建築史家の川島智生氏の研究と、前田家に伝わる設計図20枚から、文化学院創立者としても知られる西村伊作の西村建築事務所による設計とされています。竣工は大正15年(1926年)。ただし文化庁のデータベースには設計者の記載がなく、この帰属は研究と家蔵資料にもとづくものです。
- 前田家住宅主屋への行き方は。最寄り駅はどこですか。
- 所在地の三田市屋敷町は、JR福知山線・神戸電鉄三田線の三田駅から徒歩12分ほどの位置にあります。大阪駅からJRで40分前後。来訪者用の駐車場はありませんので、公共交通機関の利用をおすすめします。
- 前田家住宅主屋の建築的な見どころはどこですか。
- 南面に並ぶ半円アーチ窓と、北東隅で2階床を受ける持送が外観の要です。玄関脇の階段室は2階分立ち上がって切妻破風を見せ、寄棟の屋根のなかで一箇所だけ異なる表情をつくります。玄関ポーチの二方向のアーチ、六甲山系の御影石による野石積みの基礎も見どころです。
- 前田家住宅主屋の写真撮影はできますか。
- 公道からの外観撮影であれば問題ありません。塀越しに南面のアーチ窓や持送が見えます。庭や室内へカメラを向けること、個人住宅の上空でドローンを飛ばすことは避けてください。公開日に内部を撮影したい場合は、その場で住み手に確認してください。
基本データ
| 名称 | 前田家住宅主屋(まえだけじゅうたくしゅおく) |
|---|---|
| 所在地 | 兵庫県三田市屋敷町12-3 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号 28-0071 |
| 指定年 | 登録 平成12年(2000年)12月4日/告示 同年12月20日(第27回) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造2階建、瓦葺、建築面積108平方メートル |
| 所有者 | 個人(国のデータベースに所有者名の記載なし) |
| 公開状況 | 個人住宅につき常時非公開。ワークショップや「さんだまち博」等の機会に限り公開 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)— 前田家住宅主屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00002071
- 文化遺産オンライン — 前田家住宅主屋
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/139341
- 川島智生「阪神間モダニズムの先駆者・西村伊作とその作品」(兵庫県建築士事務所協会)
- https://hyogo-aaf.org/media/upload/member/kusunoki/No151/pdf/08-25_theme1.pdf
- 前田家住宅主屋 公式サイト(コミュニティスペース「さんだのうち」)
- https://twilightpalace.localinfo.jp/
- さんだまち博 公式サイト
- https://sanda-machihaku.jp/
- 三田市 — 三田の文化財 指定文化財を探す
- https://www.city.sanda.lg.jp/soshiki/15/gyomu/rekishi_bunkazai/bunkazai/14999.html
最終更新日: 2026.08.26