大きな文字で書かれた奈良の写経

奈良時代の写経は、一行に十七字ほどを収めるのが普通だった。ところが白鶴美術館が所蔵するこの二巻は、一行に十一字から十三字ほどしか入れず、一字一字を大きくゆったりと運んでいる。読むための経典というより、書そのものを見せるための一巻に近い。これが国宝「賢愚経残巻」、通称「大聖武(おおじょうむ)」である。

もとになった経典「賢愚経」は賢愚因縁経ともいい、種々の譬喩因縁を集めて六十二品から成る。賢い行いと愚かな行いを対比させ、その報いが生をまたいで現れる筋立てが多く、因果応報の理を人びとに分かりやすく説く形をとっている。白鶴美術館の所蔵分は、甲巻が四百六十一行、乙巻が五百三行という二巻で、奈良時代、八世紀の書写と考えられている。

「大聖武」という通称には伝承がからむ。東大寺の大仏造立を発願した聖武天皇が自ら筆をとって書写したと伝わり、その大ぶりな筆致から「大聖武」と呼ばれてきた。ただし研究の立場はより慎重で、現在では官立の写経所に属した能書の写経生か、あるいは奈良時代に渡来した中国系の書き手の筆と見るのが一般的である。天皇宸筆という説は、貴ばれてきた言い伝えとして受けとめておくのがよい。

国宝に指定された理由

大聖武の断簡は各地に散らばっているが、国宝に指定されるだけの分量を保つ所蔵はわずかしかない。現在その数は四件で、奈良・東大寺の一巻、前田育徳会の三巻、東京国立博物館の一巻、そして神戸の二巻である。文化庁の解説によれば、白鶴美術館の二巻はその分量においても保存状態においても他をしのいでおり、それが昭和三十九年(一九六四年)五月二十六日の指定につながった。

料紙にも注目したい。当時の写経に一般に用いられたのは黄麻紙と呼ばれる黄色みを帯びた紙だが、大聖武の書き手はもっと贅沢な料紙を選んだ。檀(まゆみ)の靱皮繊維から作る白い紙、荼毘紙(だびし)である。これに胡粉という、貝殻を焼いて作る白い顔料を塗り、象牙色に近い明るい地を得た。墨の文字がいっそうくっきりと浮かび上がる。荼毘紙の名は火葬を意味する語を含み、古くは遺灰や香を漉き込んだ紙とも言い伝えられたが、記録に残る材料は檀の繊維である。

一つの日付が目を引く。白鶴美術館が開館したのは昭和九年(一九三四年)五月二十六日。その所蔵品が国宝に指定されたのは、ちょうど三十年後の同じ日付であった。

見どころ

まずは一字を見てほしい。拡大すると、画をなぞり重ねるようにして、文字を意図的に太く重く見せている箇所があるという。読むことが、ゆっくりとした視覚的な営みに変わっていく。淡い墨で引かれた界線が、その大きな文字を整然と縦に並べている。

次に、この二巻が置かれてきた文脈を考えてみたい。中世以降、大聖武はわずかな断片すら珍重され、その一片はしばしば古筆名筆を貼り集めた手鑑(てかがみ)の巻頭に貼られた。一片を所有することが、所有者の文化的な格を示す印になっていたのである。神戸の二巻は、そうして切り分けられる運命をまぬがれた。それが、この所蔵が重んじられる理由の一つでもある。

その来歴を知っておくと、巻物の前に立つ時間がいっそう深くなる。もともと東大寺の戒壇院に伝わっていた二巻は、やがて加賀前田家の所蔵となり、三代藩主前田利常の息女が桂宮家へ輿入れする際に同家へ移った。その後は明治の政治家井上馨の手を経て、白鶴美術館の所蔵となっている。奈良の寺院から大名家、そして宮家へと連なる伝来を備えた写経は、そう多くはない。

白鶴美術館について

白鶴美術館は六甲山の南麓、神戸の街を見下ろす閑静な住宅地に建つ。白鶴酒造の七代目当主、嘉納治兵衛が、自らの東洋古美術のコレクションを私蔵せず広く公開したいという思いから設立した美術館である。昭和初期に竣工し、現在は国の登録有形文化財となっている城郭風の本館は、それ自体じっくり見るに値する。鉄の扉、釘隠し、天井画など、酒造の銘にちなむ鶴の意匠が随所にあしらわれている。

開館の仕方は独特である。常設展示は設けず、春と秋におよそ三か月ずつ、テーマを定めた展覧会を開く。そのため大聖武も特定の展覧会でのみ姿を見せる。これを目当てに訪れるなら、出かける前に会期と展示内容を確かめておきたい。駅からの道は急だが短く、丘の上からは大阪湾の方角まで視界が開ける。所蔵品にはもう一件の国宝、大般涅槃経集解があり、別棟では中東の絨毯のコレクションも公開されている。

Q&A

Q大聖武は本当に聖武天皇が書いたのですか。
A確証のある事実ではなく、古くからの言い伝えです。大ぶりの文字から「大聖武」と呼ばれてきましたが、現在は官立の写経所の能書の写経生、あるいは奈良時代に渡来した中国系の書き手の筆と考えられています。
Q四件ある国宝の大聖武のなかで、白鶴美術館の二巻はどこが特別なのですか。
A文化庁の解説によれば、甲巻四百六十一行・乙巻五百三行に及ぶ神戸の二巻は、東大寺・前田育徳会・東京国立博物館の各品より分量も保存状態もまさっています。多くが断簡に切り分けられたなかで、長く完存する二巻は希少です。
Qいつ訪れても見られますか。
Aいいえ。白鶴美術館は春と秋の展覧会期間中のみ開館し、会期はそれぞれ約三か月です。大聖武も常設ではなく、特定の展覧会でのみ公開されます。事前に会期と展示内容をご確認ください。
Q料紙は何でできているのですか。
A荼毘紙という白い料紙で、檀(まゆみ)の繊維から作り、貝殻を焼いた白い顔料である胡粉を塗っています。通常の写経に使われた黄麻紙とは異なり、明るく白い地が文字を際立たせています。
Q美術館へはどう行けばよいですか。
A阪神「御影駅」またはJR「住吉駅」から市バス38系統に乗り、「白鶴美術館前」で下車するとすぐです。丘の上にあるため、上り坂を進むことになります。

基本情報

名称賢愚経残巻(大聖武)/けんぐきょうざんかん
種別書跡・典籍(国宝)
指定昭和39年(1964年)5月26日 国宝指定(指定番号00254)
員数2巻(甲巻461行・乙巻503行)
時代奈良時代(8世紀)
所有・保管白鶴美術館
所在地兵庫県神戸市東灘区住吉山手6-1-1
公開状況春季・秋季の展覧会期間中のみ公開(常設展示なし)。開館10:00〜16:30(入館16:00まで)、月曜休館

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/763
文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/189296
白鶴美術館 公式サイト
https://www.hakutsuru-museum.org/
WANDER 国宝「賢愚経残巻(大聖武)白鶴美術館」
https://wanderkokuho.com/201-00763/

最終更新日: 2026.06.13