大串のささらと大野のみろく — 江戸の風を伝える人形芸能、いま茨城の里に生きる

茨城県水戸市の郊外、田園と里山に囲まれた静かな一画で、いまも江戸時代から受け継がれる二つの人形芸能が秋になると目を覚まします。「大串のささらと大野のみろく」と呼ばれるこれらの芸能は、毎年十一月二十三日、大串稲荷神社の例祭に奉納される人形戯です。底のない屋台の中に演者自身が立ち、竹竿の先に取り付けた人形を直接両手で支えて舞わせる姿は、ほかの地域では見ることのできない独特の趣をたたえています。日本の地方文化に深く触れたいと願う旅行者にとって、ここは何百年もの時を越えて息づく祈りと芸の現場をそのまま体験できる、たいへん貴重な場所と言えるでしょう。

歴史的背景

二つの芸能のはじまりは、江戸時代中期、十八世紀の初頭にまで遡るとされています。背景には、この地を治めた水戸徳川家との深い縁があります。宝永四年(一七〇七)、水戸藩三代藩主徳川綱條は、大串稲荷神社へ神輿と日月の鉾を奉納しました。これらは現在も水戸市の指定文化財として保存されています。ちょうど同じ時期、近隣の氏子たちが年番を定め、無病息災と五穀豊穣を祈って「ささらばやし」を神社に奉納するようになったと伝えられています。

大野のみろくの起源には、さらに印象深い伝承が残されています。水戸藩二代藩主であり、江戸時代を代表する名君として広く親しまれる徳川光圀が、領内を巡視していた折に、極楽橋の下で三体の人形を見つけたのが始まりだといいます。後にこの三体の人形は下大野の人々の手に渡り、それ以来、地域の人々が大切に守り、代々演じ継いできたと伝えられています。

かつて大串稲荷神社の例祭では、近隣の二十一邑の氏子たちが行列に参加し、各村がそれぞれの役を担っていました。その中でも特に芸術性が際立っていたのが、大串村が受け持つ「ささら」と、大野村が受け持つ「みろく」でした。今日では祭礼の規模は変化しましたが、両者はそれぞれの保存会によって誇り高く伝承されています。

なぜ国の文化財に選ばれたのか

昭和四十八年(一九七三)十一月五日、文化庁はこの「大串のささらと大野のみろく」を「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」として選択しました。これは、地域色の濃い民俗芸能の中でも特に記録保存の必要性が高いものに与えられる位置づけです。

選定にあたって特に評価されたのは三つの点です。第一に、底なし屋台という上演形式そのものの希少性です。屋台の床を抜き、演者がその中に立って人形の胴串(どうくし)を直接両手で支えあやつるこの形式は、かつて全国に広がっていた傀儡(くぐつ)の伝統を今に伝える数少ない例とされ、芸能史的に極めて貴重とされています。第二に、舞われる人形そのものの地方色です。大串の人形は関東地方に広く伝わるささら獅子舞(三匹獅子)を人形化したものであり、大野の人形は茨城県内に流布する弥勒踊りを模したもので、二つの地域芸能の伝統が一つの祭礼に同居している点が高く評価されました。第三に、いわゆる「棒ささら」が水戸・石岡地区にのみ集中して伝わる、全国的にも他に類を見ない芸能であることです。これは茨城県固有のかけがえのない文化遺産と言えます。

見どころ — 二つの芸能の魅力

大串のささらは、雄獅子・雌獅子・子獅子の三体の獅子頭を竹竿の先に付け、底なし舞台の中から繰り舞わせる「棒ささら」です。観客の目に映るのは、屋台の幕の上に浮かび上がった三つの獅子頭が、互いに呼応するように左右に振られ、跳ねる姿だけです。物語は意外なほど叙情的で、はぐれてしまった子獅子を、雄獅子と雌獅子の親二頭が懸命に探し求める切ない場面と、ようやく親子が再会して互いに喜びあう場面が描かれます。大太鼓・小太鼓・鉦・笛・唄からなる囃子は、祭礼の楽しさだけでなく、家族の情愛をしみじみと感じさせる深い情緒をたたえています。

一方、大野のみろくは打って変わってにぎやかで滑稽な趣の芸能です。底なし屋台の中から現れるのは、色鮮やかに塗り分けられた三体の人形です。青い顔の人形は「鹿島さま」と呼ばれ、扇と幣束を手にしています。赤い顔は「香取さま」で、太鼓を抱えています。黄色い顔は「春日さま」と呼ばれ、ナンバンつつこと呼ばれる筒状のものを背負っています。三体は囃子に合わせて体を揺らし、ひょうきんな身振りで踊ります。その動きが、まるで子どもが駄々をこねているように見えることから、地元では親しみを込めて「大野の駄々みろく」とも呼ばれているのです。

訪れる際のご案内

奉納は毎年十一月二十三日、水戸市大串町の大串稲荷神社にて行われます。那珂川下流域に近い静かな田園地帯に鎮座する境内が、この日ばかりは長い歴史と地域の祈りに満ちた舞台へと変わります。午前中からお出かけになるのがおすすめで、祭礼の支度や地元の方々の集いをゆっくりと眺め、太鼓の響きとともに人形が登場する瞬間に立ち会うことができます。

撮影は適度な距離を保てば概ね可能ですが、これはあくまで神聖な奉納であり、観光向けに演出された行事ではありません。演者や囃子方の方々は、地域に住む方々であり、それぞれの役を親や祖父母から受け継いだ伝承者でもあります。演技を披露してくださる方々への小さな会釈は、心からの敬意の表現として喜ばれることでしょう。境内では地元の出店が並ぶこともあり、茨城の秋の味覚を楽しむこともできます。

周辺の見どころ

大串地区は、祭礼の前後に足を伸ばすに値する歴史豊かな地域に囲まれています。水戸市そのものは、徳川御三家の一つ水戸徳川家ゆかりの城下町で、日本三名園の一つ偕楽園は梅の名所として国内外に知られています。茨城県立歴史館や徳川ミュージアムでは、これらの芸能を生み育てた藩政時代の文化的背景に触れることができます。

東へ少し車を走らせれば、大洗の地に至り、波の中の岩礁の上に建てられた大洗磯前神社の神磯の鳥居の壮観な眺めを目にすることができます。県南方面の石岡地区にも棒ささらの仲間である「富田のさらら」など、貴重な民俗芸能が伝承されており、この珍しい芸能を地域ごとにめぐる旅も愛好家の方々におすすめできます。

Q&A

Q「底なし屋台」とは具体的にどのようなもので、なぜ重要なのですか。
A底なし屋台とは、文字どおり床を抜いた屋台のことです。演者は屋台の中に立ち、四方に張りめぐらされた幕の内側に身を隠したまま、竹竿の先に付けた人形を両手で直接ささえて舞わせます。この演者と人形が直接つながる形式は、かつて全国に広がっていた傀儡(くぐつ)の伝統を今に伝える数少ない例とされ、文化史的にも貴重な位置づけにあります。
Q海外からの旅行者でも見学できますか。観覧料は必要でしょうか。
Aどなたでも自由に見学していただけます。観覧料はかかりません。ただし、地域の神社の祭礼ですので、行列の進路を妨げない、上演中は静かに見守るなど、神事としての雰囲気を尊重したご見学をお願いいたします。
Q水戸駅から大串稲荷神社までは、どのように行けばよいですか。
AJR水戸駅から路線バスをご利用になり、「水戸市役所常澄出張所前」で下車していただくと、神社までは徒歩約十分です。お車の場合は、東水戸道路の水戸大洗インターチェンジから国道五十一号を経由して約〇・五キロメートルとなります。
Qみろくの三体には、なぜ有名な神様の名前が付けられているのですか。
A三体のみろくは、東国の代表的な三つの神社にちなみ、それぞれ「鹿島さま」「香取さま」「春日さま」と呼ばれています。地域に暮らす人々が、全国的に知られた神々を自分たちの祭礼の中に取り込んでいく、そうした素朴な信仰のかたちが、この呼び名にあらわれていると考えられます。
Qほかの時期や別の場所でも、ささらやみろくを見ることはできますか。
A本来の奉納は、毎年十一月二十三日の大串稲荷神社の秋祭りに限られます。水戸市や茨城県主催の文化財紹介行事などで披露されることもありますが、機会は多くはありません。本来の雰囲気を体感していただくには、神社の例祭日にお越しいただくことを心からおすすめいたします。

基本情報

名称 大串のささらと大野のみろく(おおぐしのささらとおおののみろく)
区分 記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(文化庁選択)
種別 民俗芸能(渡来芸・舞台芸/人形芸能)
選択年月日 昭和四十八年(一九七三)十一月五日
保護団体 大串のささらと大野のみろく保存団体連合会
所在地 茨城県水戸市(大串町および下大野町)
主な奉納地 大串稲荷神社(茨城県水戸市大串町)
奉納日 毎年十一月二十三日(秋季例祭)
由来 江戸時代中期(十八世紀初頭)に始まると伝わる
アクセス JR水戸駅からバスで「水戸市役所常澄出張所前」下車徒歩約十分。お車の場合は東水戸道路水戸大洗ICから約〇・五キロメートル。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁):大串のささらと大野のみろく
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/312/251
文化遺産オンライン:大串のささらと大野のみろく
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/199926
茨城県教育委員会:大串のささらばやし
https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/bunkazai/ken-300/
茨城県教育委員会:大野のみろくばやし
https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/bunkazai/ken-302/
水戸市:大串のささらばやし
https://www.city.mito.lg.jp/site/education/4799.html
水戸市:大串稲荷神社神輿並びに日月鉾
https://www.city.mito.lg.jp/site/education/4801.html

最終更新日: 2026.05.05