住所を変えた土蔵

時習庵土蔵(旧実性院土蔵)は、石川県加賀市大聖寺神明町にある江戸後期の二階建土蔵で、平成11年(1999年)10月14日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。登録番号は17-0038、建築面積は33平方メートル。主屋の後方、山際に建つ。

この場所に建ったのは平成9年(1997年)である。それ以前は、同じ山裾を徒歩10分ほど進んだ実性院にあった。大聖寺藩主前田家の菩提寺である曹洞宗寺院で、そこから解体・移築されてきた。文化庁の種別欄は現在も「宗教」と記す。分類が建物の来歴に従い、現在の敷地の性格には従っていない。

土蔵は、木の軸組に厚い土を塗り重ねて造る防火建築である。町場をたびたび襲った火災に対して、寺院は経典・仏具・什器・記録類をここに納めた。本件は瓦葺の二階建で、面積は33平方メートルと小さい。

伝承の年代と、記録の幅

建立年代については、公式記録の中に二つの答えが並存している。文化庁の解説文は「天明年間の建築と伝える」と記す。天明年間は1781年から1789年にあたる。一方、同じデータベースの年代欄は「江戸後期」、西暦欄は1751-1829年という幅のある記載にとどまる。

この差は均してしまわない方がよい。天明という年代は伝承として受け継がれてきたもので、棟札や墨書といった物証に裏づけられた確定値ではない。「と伝える」という文末は、その確度をそのまま表示している。西暦欄の幅は、編纂側が保証できる範囲である。両者が一つの記録に同居していること自体が、この建物の来歴の性格を示している。

いずれにせよ、前に建つ主屋よりは1世紀以上古い。時習庵主屋(旧堀家住宅)は明治期の建築で、玄関棟は昭和16年(1941年)の建て替えである。登録は同日、加賀市の文化財一覧も2棟を「時習庵」として一件に扱うが、この敷地に到達した経路は時間の上でまったく異なっている。

登録基準「再現することが容易でないもの」

登録有形文化財の登録基準は三つある。国土の歴史的景観に寄与しているもの、造形の規範となっているもの、再現することが容易でないもの。土蔵に適用されたのは三番目である。同じ敷地の主屋に適用されたのは一番目だった。一件二棟、同日登録でありながら、評価の根拠は分かれている。

三番目の基準は、現在の技術・費用条件では作り直しが現実的でない仕事を指す。土蔵はその典型といってよい。木の軸組に竹を編んだ小舞を掛け、土を何層にも塗り重ね、各層を乾かしてから次を塗る。荒壁から仕上げまで数か月を要する工程で、左官の技術は途絶えてはいないものの、担い手も工期も費用も、個人が負担できる水準を超えて久しい。新造するより、あるものを保つ方が容易な建築である。

ここには記録が隠していない矛盾もある。平成9年の移築時、腐朽していた1階の壁体部分はコンクリートに改められた。再現困難という理由で登録された建物の足元に、再現のきわめて容易な材が入っている。

登録制度はこの種の処置を許容する設計になっている。指定文化財のように材そのものを固定するのではなく、使われ続けている建物を対象に、現状変更を届出で処理する。指定であれば議論を呼んだであろう改修が、ここでは選択肢として成立した。土蔵が現存しているのは、その帰結である。

もとの所在地、実性院

移築元をたどるなら実性院まで足を延ばしたい。寺名は大聖寺藩初代藩主前田利治(1618-1660年)の戒名「実性院殿機雲宗用大居士」に由来する。万治3年(1660年)の利治の死去を機に寺号が改まり、翌年に二代利明が現在地へ移して山号を金龍山と改めた。本堂は寛文5年(1665年)の建立とされ、平成23年(2011年)に加賀市指定有形文化財となっている。

通称は「萩の寺」「白萩の寺」。参道に2千株余の白萩が植えられ、見頃は例年9月初旬からとされる。初代から十四代までの位牌を安置する御霊屋と、その背後の前田家廟所が、この寺を藩の宗教的中心に置いていた。土蔵が必要とされた理由も、そこにある。

実性院は令和6年(2024年)1月1日の能登半島地震で被害を受け、以降拝観を休止している。石川県および加賀市の観光情報は2026年時点でも同じ案内を掲げている。訪ねる前に確認しておきたい。

見学とアクセス

期待値は正しく設定しておく必要がある。土蔵は個人所有地の主屋後方、山際に建ち、文化庁データベースに管理団体の記載はない。常駐の受付も入口もない。「大聖寺児童歴史体験資料館・時習庵」として入館料100円で紹介された記録はあるが、現在も同じ運用とは限らない。近くで見たい場合は、事前に加賀市文化課(0761-72-7988)へ照会するのが確実である。公道から確実に見えるのは主屋であり、その背後の土蔵は視認が限られる。

IRいしかわ鉄道大聖寺駅から徒歩約10分、加賀温泉駅からは1駅。加賀周遊バス「キャンバス」海まわり線の「山ノ下寺院群/石川県九谷焼美術館」バス停からは約500メートルである。

歩くこと自体に意味がある。山ノ下寺院群は、当時の越前との境に近い北の山裾へ藩が7カ寺1社を集めた区域で、寺町であると同時に防衛線でもあった。慶応3年(1867年)完成の五百羅漢像517体と松尾芭蕉の句碑を蔵する全昌寺、神明町の町名の由来である加賀神明宮も同じ一角にある。時習庵から実性院まで歩けば、その10分ほどが、平成9年に土蔵が移動した経路をなぞることになる。

Q&A

Q時習庵土蔵(旧実性院土蔵)はもともとどこにあったのですか。
A大聖寺下屋敷町の実性院にありました。大聖寺藩主前田家の菩提寺である曹洞宗寺院です。平成9年(1997年)に現在地の大聖寺神明町へ移築され、その2年後に主屋とともに登録有形文化財となりました。移築前後の距離は徒歩10分ほどです。
Q時習庵土蔵(旧実性院土蔵)の建築年代はいつですか。
A文化庁の解説文は「天明年間の建築と伝える」とし、天明年間は1781年から1789年にあたります。ただし同じデータベースの年代欄は「江戸後期」、西暦欄は1751-1829年という幅のある記載です。天明という年代は伝承であり、物証で確定したものではないためです。
Q時習庵土蔵(旧実性院土蔵)は見学できますか。
A事前の手配なしでは難しいのが実情です。個人所有地の主屋後方に建ち、管理団体の記載もありません。近くで見学したい場合は加賀市文化課(0761-72-7988)へ問い合わせてください。公道から見えるのは主として主屋で、土蔵の視認は限られます。
Q時習庵土蔵(旧実性院土蔵)の1階がコンクリートになっているのはなぜですか。
A平成9年の移築時に1階の壁体部分が腐朽していたため、その範囲をコンクリートに改めています。登録有形文化財は指定文化財と異なり、現状変更が届出制で修理の裁量が広く、この処置が可能でした。建物が現存している理由の一つでもあります。
Q時習庵土蔵(旧実性院土蔵)の移築元である実性院は拝観できますか。
A令和6年(2024年)1月1日の能登半島地震の被害により拝観を休止しており、2026年時点でも石川県・加賀市の観光情報は同じ案内を掲げています。通常時は9時から16時、拝観料は大人400円でした。訪問前に電話(0761-72-1104)で確認してください。

基本情報

名称時習庵土蔵(旧実性院土蔵)/じしゅうあんどぞう(きゅうじっしょういんどぞう)
所在地石川県加賀市大聖寺神明町20
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録基準:再現することが容易でないもの/登録番号 17-0038/種別:宗教・建築物
指定年平成11年(1999年)10月14日登録、同年10月28日告示(第20回登録)
員数1棟
寸法木造2階建、瓦葺、建築面積33平方メートル
所有者個人(文化庁データベースに所有者名・管理団体の記載なし。加賀市文化財一覧は所有者を個人と記載)
公開状況常時公開なし。主屋の後方に位置し公道からの視認は限定的。見学の可否は加賀市文化課(0761-72-7988)へ要確認

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)— 時習庵土蔵(旧実性院土蔵)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00001377
文化遺産オンライン — 時習庵土蔵(旧実性院土蔵)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/114457
加賀市 — 国登録文化財
https://www.city.kaga.ishikawa.jp/ed/bunka_shinko/6066.html
文化庁 — 登録有形文化財(建造物)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei.html
加賀温泉郷公式サイト — 実性院
https://www.tabimati.net/spot/detail_248.html
ほっと石川旅ねっと(石川県観光連盟)— 大聖寺 山ノ下寺院群
https://www.hot-ishikawa.jp/spot/detail_6684.html

最終更新日: 2026.08.13