道が尽きる場所にある四つの集落
山中温泉から南へ車を走らせ、谷がしだいに細くなっていくと、やがて舗装路は途切れる。いちばん奥の大土(おおづち)町には、その先へ抜ける道がない。家並みの向こうには山が迫るだけである。荒谷(あらたに)・今立(いまだち)・大土・杉水(すぎのみず)の四つの集落をあわせて、加賀東谷(かがひがしたに)と呼ぶ。面積は約151.8ヘクタール。2011年(平成23年)11月29日、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
「東谷」という名は、大聖寺川沿いの「西谷」と区別するための呼び名である。加賀市南部の山あいは、近世には大聖寺藩が奥山方(おくやまがた)と呼んだ領域にあたり、動橋川(いぶりはしがわ)沿いの東谷と、大聖寺川沿いの西谷を中心に、二十一の村が形づくられていた。そのうち八つの村には炭役が課され、大聖寺藩の御用炭をすべて生産していた。
この谷をふつうの山里と分けているものは、着いてすぐに目に入る。二階建ての民家が、赤褐色の桟瓦で屋根を葺いて立ち並び、それぞれの大屋根には、棟の線を断ち切るように小さな箱形の突起がのる。赤い瓦と、その突起。どちらも飾りではない。炭焼きで生きてきた土地の、いわば標である。
炭焼きと豪雪、そして離村
ここに残る民家は、裕福な地主の屋敷ではない。炭焼きを兼ねた農家の住まいであり、その多くは明治前期の1870年代から昭和30年代にかけて建て替えられたものである。それ以前、谷の屋根は茅葺きだった。赤瓦が加賀のこの一帯に入ってきたのは明治期で、近隣の越前や、西方の石州の瓦づくりに刺激を受けて広まったとされる。数十年をかけて、茅葺きの屋根は焼物の桟瓦へと替わっていった。
棟の上の小さな箱は、煙出(けむだし)である。家の中心にある囲炉裏のちょうど真上にあたり、火の煙を屋内にこもらせず屋根の外へ抜くための仕掛けだった。煙出が増えたのは明治期以降のことで、薪を焚く量が大きく減った1960年代ごろから、ふたたび姿を消していった。
谷のたどった道は、炭焼きの衰退とそのまま重なる。1950年代後半に経済が加速すると、若い世代は都市へ出ていった。1963年(昭和38年)の豪雪は、さらに多くの家族を村の外へ押し出した。家庭の燃料が薪炭から石油やプロパンガスへ移ると、炭窯で暮らしを立ててきた村は、人をつなぎとめる仕事を失う。西谷ではいくつかの集落が消え、その一部はダムの湖底に沈んだ。東谷も人口を減らしたが、村そのものは消えなかった。守るべきものが今なお残っているのは、この踏みとどまりの結果である。
谷ぜんたいが守られた理由
日本の文化財指定の多くは、一棟の建物か、まとまった建物群を対象とする。加賀東谷で守られているのは、それより大きく、線を引きにくいものである。生きた景観そのものといってよい。選定の根拠となったのは保存制度の選定基準(三)、すなわち伝統的建造物群とその周囲の環境が、地域的特色を顕著に示しているという項目だった。
「周囲の環境」という言葉が、ここでは実質的な意味をもつ。保存の対象は民家だけではない。主屋や土蔵をふくむ約136棟の伝統的建造物に加え、石垣・鳥居・石造物など240件あまりの工作物、さらに旧道や棚田、水路といった58件ほどの環境物件が含まれる。斜面を支える石積みの段、家と家のあいだを流れる水路、村と村をつなぐ旧道。それらをひとつの歴史的なまとまりとして読み取る考え方である。
加賀東谷は、加賀市内で二例目の重要伝統的建造物群保存地区にあたる。一例目は、2005年に選定された海沿いの船主集落、加賀橋立だった。東谷はそれ以前、2010年にも注目を集めている。日本ユネスコ協会連盟が「赤瓦と煙出しの里」の名で、未来遺産運動の対象地として登録したのである。
東谷の民家を読む
主屋は、加賀平野に広く見られる前広間型の間取りを、狭い山間の谷に合わせて建てたものである。いずれも二階建てで、切妻造の屋根は妻側を通りに向ける。四方には下屋(げや)と呼ぶ低い庇屋根がめぐる。外壁は杉の下見板を横に張り、深い茶色に枯れたその板が、上にのる瓦の赤を引き立てる。
入口に近づくと、内部の構成が見えてくる。戸を開けると土間のニワが家の奥へと続き、そこから囲炉裏のあるオエ、すなわち主たる居間へとつながる。部屋と部屋の境には、太い通し柱が一階から二階まで切れ目なく立つ。この頑丈な軸組はこの地の建築の特徴のひとつであり、多くの家が今なお建ち続けている理由の一端でもある。
四つの集落は、ひとまとめにせず、それぞれ別の場所として歩きたい。谷の入口にもっとも近い荒谷は、四集落のうちで最も大きい。今立には、明治から昭和初期の桟瓦と煙出をもつ家々が密に残る。大土は車道の終点に位置し、住む人がごくわずかなため、ひときわ静かで隔たった気配がある。最も南にある杉水も、森の斜面と流れにふちどられて赤い屋根を並べている。
谷をめぐる
ひととおり見て歩くには、二時間から三時間を見ておきたい。四つの集落は実際にかなり離れていて、とりわけ大土と杉水のあいだは移動に時間がかかる。その時間と引き換えに得られるのは、近代的なものの介入が少ない景観である。瓦の屋根、石積み、棚田、水。それらが急峻な山の尾根に抱かれて続く。
民家のしくみをより近くで知りたいなら、谷のなかに、赤瓦と煙出をテーマにした小さな資料館がある。古民家を使った施設で、内部を見学できる確実な場所はここである。集落の家々は私有地であり、立ち入ることはできない。古い建物のあいだには、そば店やマフィンの店など、小さな商いをはじめた店もいくつかあるが、営業日は限られているため、事前に確かめておくとよい。
訪ねるなら車が現実的である。谷は北陸自動車道の加賀インターチェンジからおよそ17キロメートルの位置にあり、集落への公共交通はごく限られている。多くの人は、すぐ北にある温泉地、山中温泉とあわせて訪れる。山中温泉では鶴仙渓の渓流沿いを歩くことができる。もう一つの保存地区である加賀橋立とあわせて回れば、漁業の海辺と炭焼きの谷が、いかに異なる家を建てたかを見比べられる。山あいの古刹、那谷寺も無理なく足をのばせる範囲にある。
Q&A
- 民家の中に入って見学できますか。
- 四つの集落の家々は私有地であり、現に人が暮らしている家もあるため、見学者の立ち入りはできません。囲炉裏や煙出のある内部を見たい場合は、地区内の小さな古民家資料館を訪ねてください。
- 車がなくても行けますか。
- 谷への公共交通はごく限られています。加賀温泉駅や山中温泉の周辺でレンタカーを借りて向かうのが確実です。集落どうしも離れているため、現地でも車があると動きやすくなります。
- いつ訪れるのがよいですか。
- 春の終わりから秋にかけてが歩きやすい時期です。冬は積雪が多く、集落へ入る道が通りにくくなることがあるため、冬に訪れる場合は事前の確認が必要です。
- 食事ができる場所はありますか。
- 古い家々のあいだに、小さなそば店などいくつかの店があります。ただし営業日は限られているため、とくにシーズン外は出かける前に営業時間を確かめておくとよいでしょう。
- なぜ屋根が赤いのですか。
- 赤褐色の桟瓦は明治期にこの一帯へ広まり、それまでの茅葺きに替わっていきました。赤い屋根はやがて土地の景観を特徴づける要素となり、その色合いをそろえて保つことが、現在の保存の取り組みのひとつになっています。
基本データ
| 名称 | 加賀市加賀東谷(かがしかがひがしたに) |
|---|---|
| 所在地 | 石川県加賀市 山中温泉荒谷町・今立町・大土町・杉水町 |
| 種別 | 重要伝統的建造物群保存地区(種別:山村集落) |
| 選定年月日 | 2011年(平成23年)11月29日 |
| 選定基準 | 基準(三)伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているもの |
| 面積 | 約151.8ヘクタール(東西約5,280メートル、南北約4,950メートル) |
| 保存対象 | 伝統的建造物 約136棟、工作物 240件あまり、環境物件 約58件 |
| アクセス | 北陸自動車道 加賀ICから約17キロメートル。車での来訪を推奨 |
| 問い合わせ | 加賀市文化課(電話:0761-72-7888) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/103/00000097
- 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/226782
- 石川県 伝統的建造物群保存地区
- https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/denken/6.html
- 全国伝統的建造物群保存地区協議会
- https://www.denken.gr.jp/archive/kaga-kagahigashitani/index.html
- ほっと石川旅ねっと(石川県観光連盟)
- https://www.hot-ishikawa.jp/spot/detail_4888.html
最終更新日: 2026.05.26