高さ20メートルの旗を担ぐ祭り

毎年9月20日、能登半島の七尾市中島町は鉦と太鼓の音、そして「イヤサカサー」という掛け声に包まれる。屋根の上にそびえるのは、深紅の枠旗。高さおよそ20メートル、ビルの6階に届くほどの大きさである。これを若衆が肩に担ぎ、狭い道を一つの神社へと走らせていく。久麻加夫都阿良加志比古(くまかぶとあらかしひこ)神社の秋祭り、お熊甲祭の光景だ。

地元では「お熊甲祭」あるいは「二十日祭り」と呼ばれるこの行事は、昭和56年(1981年)1月に「熊甲二十日祭の枠旗行事」として国の重要無形民俗文化財に指定された。指定名称が示すとおり、祭りの中心にあるのは枠旗そのものである。羅紗で仕立てた深紅の長大な旗を、山鉾のような骨組みに張った、能登でも他に例の少ない造形だ。

これほど高いものを生活の場である町なかで担ぐのは、容易ではない。担ぎ手は4本から6本の張綱で旗を支えながら、それを止めずに動かし続ける。倒れそうで倒れない——その緊張感こそが、毎年人々を呼び戻す力になっている。

渡来の神と十九の末社

久麻加夫都阿良加志比古神社は、中島町宮前に鎮座する。平安時代の文献にこの社名が見えることから、祭りの起源も古くにさかのぼると考えられており、枠旗を担ぐ形が整ったのは江戸時代初期とする見方が多い。

社名には独特の来歴がある。『日本書紀』によれば、祭神の久麻加夫都阿良加志比古神は朝鮮半島南部の阿羅の王族にかかわるとされ、もう一柱の都奴加阿良斯止神は、同じく半島南部から越前敦賀へ渡来した王子と記される。祭りを支える鉦と太鼓の独特なリズムに、この大陸とのつながりを読み取る研究者もいる。確証の有無は別として、能登の文化が幾重にも層をなしてきたことを考えるうえで興味深い行事である。

祭りの構造そのものも珍しい。これは「寄り合い祭り」と呼ばれる形式をとる。久麻加夫都阿良加志比古神社は、熊木・中島・西岸・豊川という四つの旧村域に散らばる十九の末社の総本社にあたる。祭りの日には、十九の末社がそれぞれ神輿と枠旗、太鼓、鉦を仕立てて出発する。一つの祭りでありながら、その実体は本社へ向かう十九の行列の集合なのである。

かつては、にぎやかな本祭りのかたわらで静かな習わしも営まれていた。能登では、その年に他所から嫁いできた新嫁が、島田に髪を結い盛装し、母を伴って嫁ぎ先の氏神に参詣する風習があった。お熊甲祭はその初参りの日の一つでもあり、社会に迎え入れられる私的な儀礼が、祭りの喧噪のなかにそっと織り込まれていた。

なぜ指定されたのか

文化庁が昭和56年にこの行事を指定した際、解説がまず挙げたのは枠旗の規模である。10間余り——古い尺度でいえば18メートルを優に超える長大な枠旗を担ぐ例は、全国を見渡してもきわめて少ないと記されている。

指定はまた、地域的な特色をそなえた秋祭りの典型例としての価値を認めた。指定基準は、由来や内容において日本人の基盤的な生活文化の特色を示す典型的なものを対象とする。家々が、そして村々が総出で参加し、豊作と豊漁を喜ぶ寄り合い祭りは、その基準によく当てはまる。沿道は見物人であふれ、人々は観客としてではなく当事者として祭りに加わる。その姿が評価されたのである。

見どころはどこにあるか

一日は段階を踏んで進み、それぞれの場面に違った表情がある。

午前7時頃、末社はそれぞれの集落を出発する。海辺の瀬嵐地区では神輿を船に乗せ、日の出を合図に七尾西湾を渡り、熊木川の河口に着く。午前8時頃からは、各行列が次々と境内へ参入していく。神輿と枠旗は拝殿に向かって勢いよく走り込み、20メートルの竿を担いだまま混み合う鳥居をくぐり抜ける。この参入だけで2時間あまりが費やされる。

行列の先頭に立つ人物に注目したい。猿田彦、地元で「メン」とも呼ばれる先導役である。鳥甲をかぶり、長い鼻の天狗面をつけ、メンボウという棒を手にする。拝殿に着くとメンボウで階段を打ち、到着を告げてから舞を見せる。午前の奉幣式では、各社の猿田彦がそろって舞い、二列に分かれた数十組の鉦と太鼓が一斉に打ち鳴らされる。軽妙な舞と、寸分たがわぬ揃い打ち。この取り合わせがお熊甲祭の特徴の一つだ。

祭りが頂点に達するのは午後、本社から約700メートル離れた加茂原のお旅所である。ここで担ぎ手たちは「島田くずし」を披露する。枠旗を、その先端が地面すれすれをかすめるまで深く傾け、ふたたび起こす技だ。名は島田髷を結い崩す所作になぞらえたものといい、一組の担ぎ手が一体となって動くことを求められる。緑の山を背に数十本の深紅の旗が傾き、金色の神輿が一列に並ぶ。お熊甲祭の写真の多くは、この情景を写し取ろうとしたものである。

訪れる前に

祭りは曜日にかかわらず9月20日に行われる。主な行事は午前8時頃から午後5時頃まで続くので、早めに到着すれば、混み合う参入から最後の島田くずしまで、一日の流れをひととおり追うことができる。

久麻加夫都阿良加志比古神社は七尾市中島町にある。最寄り駅はのと鉄道の能登中島駅で、七尾駅から向かう。祭り当日は駅や祭り会館と神社を結ぶシャトルバスが運行されるのが通例で、時刻は毎年、奉賛会から発表される。車の場合は、のと里山海道の横田インターチェンジが入口となる。

一点、注意しておきたい。近年この祭りは、台風による中止や、令和6年の能登半島地震が地域に及ぼした影響など、開催に支障が生じた年がある。訪問を計画する際は、お熊甲祭奉賛会または七尾市の観光窓口で、その年の実施内容をあらかじめ確認してほしい。沿道からの撮影はおおむね歓迎されるが、担ぎ手には作業の場が必要なので、張綱からは距離をとりたい。

中島町をめぐる

中島町は、ゆっくり歩くだけの値打ちがある。能登中島駅そのものが小さな見どころで、ホームには鉄道郵便車が保存されている。現存するのは全国で二両のみという珍しい車両で、駅の周囲は鉄道公園として整えられている。

9月以外に祭りの背景を知りたい人には、同じ町内の中島お祭り資料館がよい。枠旗や祭具を展示し、一年がかりの準備の様子を解説している。七尾市にはこのほか、巨大な曳山で知られる青柏祭、能登島の向田の火祭、石崎奉燈祭という大きな祭りがあり、民俗行事に関心のある旅人なら腰を据えて滞在する甲斐がある。七尾湾に面した和倉温泉は、その拠点として心地よい。

Q&A

Qいつ、どこで行われますか。
A毎年9月20日、石川県七尾市中島町の久麻加夫都阿良加志比古神社で行われます。日付は固定で、週末にずれることはありません。
Q枠旗とはどのようなものですか。
A山鉾のような骨組みに、羅紗で仕立てた深紅の長い旗を張った造形で、高さは約20メートルに及びます。担ぎ手が肩に担ぎ、4本から6本の張綱で支えます。
Q島田くずしとは何ですか。
A午後のお旅所で披露される、この祭りを代表する技です。約20メートルの枠旗を、先端が地面すれすれになるまで傾け、ふたたび起こします。一組の担ぎ手の息を合わせる力が問われます。
Q行列を先導する仮面の人物は誰ですか。
A猿田彦と呼ばれる先導役です。長い鼻の天狗面と鳥甲を身につけ、メンボウという棒を手にして、神輿と枠旗の先頭で舞います。奉幣式では各社の猿田彦がそろって舞います。
Q神社へはどう行けばよいですか。
A最寄り駅は、七尾駅経由で向かうのと鉄道の能登中島駅です。当日はシャトルバスが運行されるのが通例です。車の場合はのと里山海道の横田インターチェンジを利用します。近年は開催に支障が生じた年もあるため、事前にその年の実施内容をご確認ください。

基本データ

名称熊甲二十日祭の枠旗行事(くまかぶとはつかさいのわくはたぎょうじ)/通称・お熊甲祭
所在地石川県七尾市中島町宮前 久麻加夫都阿良加志比古神社
指定区分重要無形民俗文化財(昭和56年〈1981年〉1月21日指定)
種別風俗慣習/祭礼(信仰)
開催日毎年9月20日
保護団体お熊甲祭奉賛会
アクセスのと鉄道・能登中島駅(七尾駅経由)。祭り当日はシャトルバス運行。車はのと里山海道・横田ICから
備考公道で行われる屋外の祭礼で、見物は無料。台風や令和6年能登半島地震の影響で開催に支障が生じた年があるため、事前に確認のこと

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 熊甲二十日祭の枠旗行事
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/61
七尾市 お熊甲祭<国指定重要無形民俗文化財>
https://www.city.nanao.lg.jp/koryu-s/event/9gatsu/okumakabuto-.html
お熊甲祭 公式サイト(お熊甲祭奉賛会)
https://okumakabuto.jp/
お熊甲祭 ウィキペディア(日本語版)
https://ja.wikipedia.org/wiki/お熊甲祭

最終更新日: 2026.05.26