那谷寺庫裡庭園 ― 大名のためにつくられた石川県最古の名勝庭園

小松市の山あいに建つ那谷寺。その書院の北側に、二百坪ほどの小さな庭がある。苔の深く敷きつめられた地面に平たい飛石が連なり、立てられた石組の間を縫って、東のはずれに小さな池がのぞく。これが庫裡庭園で、名は隣に建つ庫裡 ― 寺の台所と僧侶の住まいを兼ねた建物 ― に由来する。

庭がつくられたのは寛永年間(1624〜1644年)。隣接する庫裡が建てられたのと同じ時期である。昭和4年(1929年)4月2日、国の名勝に指定された。石川県内で国の名勝に指定された庭園としては、これが最も古い。

様式としては枯山水に属する。水を用いず、石と砂と苔で山水の景を表す日本庭園の手法である。ただし庫裡庭園はその枠を少しはずれていて、飛石が視線を東の小池へと導く。乾いた景のなかに、ひそやかに水面が開ける構成になっている。

再興された寺と、眺めるための庭

那谷寺の創建は養老元年(717年)にさかのぼる。泰澄が岩窟に千手観音を安置したのが始まりと伝わる。泰澄は近隣の白山を中心とする山岳信仰の中心人物であり、この寺は自然のうちに知恵と聖性を見いだす「自然智」の道場として育った。長く岩屋寺と呼ばれた時代もある。

中世末期、那谷寺は試練に見舞われる。この地方を揺るがした一向一揆のなかで、寺は荒廃した。再興は江戸時代初期、加賀藩三代藩主・前田利常の手による。利常は本堂や三重塔をはじめ、現在に残る堂宇を整えた。

書院が完成したのは寛永12年(1635年)ごろ、この再興事業の一環であった。武家書院造りで建てられたこの建物は、利常が再建を指揮する拠点であり、また藩主が立ち寄った折の休息所でもあった。庫裡庭園は、この書院の内側から眺めるためにつくられている。書院に座る今日の参拝者は、利常がかつて腰を下ろした場所から、同じ石と苔の配りを見ていることになる。

誰がつくり、なぜ価値があるのか

庫裡庭園の作庭は、徳川幕府に仕えた茶人・庭園家の小堀遠州の指導によるものと伝わる。実際の作事にあたったのは、加賀藩の作庭奉行・分部卜斉とされる。分部卜斉は金沢城や小松城の庭にも関わったと記録される人物である。

昭和4年の指定区分は「公園、庭園」。指定が評価するのは規模の壮大さではない。庭はあくまで小さい。評価されるのは、江戸時代初期の作庭が良好な状態で残っていること、そしてその庭が、建造物自体が重要文化財に指定された寺院のなかに置かれていることである。石川県にとっては特別な意味もある。県内で、これより早く国の名勝に指定された庭園は存在しない。

国の記録によれば、庭はかつてもっと広く、東方の瀑布のあたりまで及んでいたが、後年に縮小されたという。それでも作庭の意図は今も読み取れる。庭石には主に瑪瑙が用いられ、深い苔と老樹が、この小さな空間に奥深く静かな趣を与えている。

見どころ

この庭は、ゆっくり眺めるほど報われる。最も考え抜かれた要素は三尊石で、北の境界に立つ椎の巨木の近くに組まれている。三尊石は仏像の構成にならった石組である。中央の中尊石を、左右の脇侍石が挟む。本尊を二体の脇侍が囲む形を石に置き換えたものだ。この庭を調べた研究者は、ひとつの工夫を指摘する。中尊石と右脇侍石が寄り添うように近接するのに対し、左脇侍石は低い横石を用いて離して組まれている。この離し方は、小堀遠州の弟子・賢庭の手法に似ており、庭をその系譜の作と読む根拠のひとつとされている。

飛石を池の方へたどると、二つめの石組が現れる。今度は石灯籠と組み合わされている。灯籠は加工された製品ではなく、自然石を組み合わせたものだ。その素朴で即興的な姿は、はるか北の津軽地方に伝わる大石武学流の野夜灯を思わせる。加賀の寺の庭で出会うには意外な響きである。

北西の隅には如是庵という茶室が建つ。草庵風を基にした小間の茶室だが、定石をいくつかはずしている。茶室を茶室たらしめる、あの低いにじり口がない。そのかわり、大きな円窓と連子窓から光を採る。庭そのものには立ち入れないため、如是庵は遠目に観察するほかなく、その近くに据えられた蹲踞が、間近に確かめられる数少ない細部となっている。

庭は北を向いている。日が回りにくく、ひんやりと陰り、苔の色がよく保たれる。雨の日でも書院の内からゆったり眺められ、濡れた石は黒く沈み、苔はいっそう深く見える。

庭のまわり

庫裡庭園は那谷寺の特別拝観エリアにあり、多くの人は寺の本来の境内を歩いたのちにここへ至る。その境内も時間をかける価値がある。風化した岩が洞をうがって連なる奇岩遊仙境は、それ自体が国の名勝で、おくのほそ道の旅で立ち寄った松尾芭蕉ゆかりの地として指定されている。三重塔、本堂、鐘楼など七棟の建造物が重要文化財である。本堂は岩壁に寄り添うように建ち、本尊の奥には参拝者がくぐる胎内くぐりの岩窟がある。

庫裡庭園の隣には、琉美園というもうひとつの庭がある。こちらは二十世紀の作で、足立美術館の庭園で知られる作庭家・中根金作の設計による。江戸初期で簡素な庭と、現代の緑ゆたかな庭。二つを並べて見ると、それぞれの考え方の違いがよくわかる。

那谷寺はこの地方でも有数の紅葉の名所で、書院のまわりや参道の楓が晩秋に色づく。少し離れて粟津温泉がある。その開湯もまた泰澄に帰せられ、寺を開いた翌年に泉を見つけたと伝わる。鉄道の便があり、古くから石の産地・職人の町でもあった小松市は、訪ねる際の拠点として実際的である。

Q&A

Q庫裡庭園のなかを歩くことはできますか。
Aいいえ。この庭は内部に立ち入るのではなく、書院の内側から眺めるようにつくられています。参拝者は書院の各室から庭を見ることになります。これはもともとの意図どおりの見方であり、雨や寒い日でもゆったり眺められるという利点もあります。
Q庭園は通常の拝観料に含まれますか。
A庫裡庭園と書院は寺の特別拝観エリアにあり、一般拝観料に少額の追加料金が必要です。特別拝観エリアは冬の積雪期には閉鎖されます。庭園を目当てに訪ねる場合は、出かける前に開閉の状況を確認するとよいでしょう。
Q拝観にはどのくらい時間をみればよいですか。
A寺の一般の境内を歩くのにおよそ30〜40分、書院と庭園を含む特別拝観エリアにさらに15分ほどが目安です。全体で1時間ほどみておけば、庭を素通りせず、腰を据えて眺める余裕があります。
Q訪れるのに適した季節はいつですか。
A晩秋は書院まわりの楓が色づき、最も人出が多くなります。苔がいちばん鮮やかなのは初夏や雨上がりです。特別拝観エリアは厳冬期に閉鎖されるため、庭園を見るなら秋と新緑の時季が確実な選択になります。
Q庫裡庭園と琉美園はどう違うのですか。
A庫裡庭園は江戸時代初期の庭で、国の名勝に指定されているのはこちらです。琉美園は近くにある別の庭で、二十世紀に作庭家・中根金作が手がけた現代の庭です。どちらも特別拝観エリアで見られますが、国の指定を受けているのは庫裡庭園のみです。

基本情報

名称那谷寺庫裡庭園(なたでらくりていえん)
所在地石川県小松市那谷町ユ122
指定区分国指定名勝
指定年月日昭和4年(1929年)4月2日
指定基準公園、庭園
時代寛永年間(1624〜1644年)作庭、江戸時代初期
形式飛石を主体とした枯山水(小池を伴う)、約200坪
寺院那谷寺(高野山真言宗 別格本山)
公開状況特別拝観エリア内、書院から眺める形式。庭園内には立ち入り不可。積雪期は特別拝観エリア休止。
拝観時間おおむね9時15分〜16時(最新の時間・料金は事前確認を推奨)
アクセス加賀温泉駅からタクシーで約15分。小松駅・粟津駅からバスで「那谷寺」下車

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)― 那谷寺庫裡庭園
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/989
那谷寺 公式サイト
https://natadera.com/
こまつ観光ナビ(小松市公式観光情報サイト)― 那谷寺
https://www.komatsuguide.jp/feature/natadera
庭園ガイド ― 那谷寺 庫裏庭園
https://garden-guide.jp/spot.php?i=nadadera_kuri
ほっと石川旅ねっと ― 那谷寺
https://www.hot-ishikawa.jp/spot/detail_5964.html

最終更新日: 2026.05.25