神を導く、四階建ての灯り
夏から秋にかけての能登半島では、四階建てのビルほどの高さがある木枠の灯籠を、五十人から百人がかりで担ぎ、夜の町を走る光景が各地で繰り広げられる。この灯籠をキリコと呼ぶ。切子灯籠(きりことうろう)を略した呼び名で、中能登のあたりではホートー(奉燈)、オアカシ(御明かし)と呼ぶ地域もある。能登の海沿いの約200地区がそれぞれのキリコ行事を持ち、その総称が「能登のキリコ祭り」である。
基本の流れは地区ごとに細部を変えながら繰り返される。宵祭りにキリコが神社へ集まり、短い式典のあと、神様を乗せた神輿に従って動き出す。向かう先は、海辺や川岸に設けられたお旅所だ。そこで柱松(はしらまつ)と呼ばれる高い松明に火が入り、キリコは炎の周りを夜更けまで練り回る。
見る者を引き込むのは、大きさと動きの組み合わせにある。キリコは飾って眺めるものではない。担ぎ手は走り、傾け、回す。和紙と木でできた面が内側の灯りで浮かび上がり、太鼓・笛・鉦(しょう)が下から拍子を刻み、上の段には子どもが乗る。
国の選択を受けた理由
文化庁は平成9年(1997年)12月4日、能登のキリコ祭りを「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択した。「重要無形民俗文化財」の指定とは別の枠組みで、しばしば「選択」無形民俗文化財と略される。地域社会が将来その行事を続けられなくなっても知識が残るよう、国が詳細な記録を作成する対象として選ぶ仕組みである。保護団体は「特定せず」とされ、ひとつの団体の行事ではなく、半島全体に広がる共有の習わしを対象としている点に特徴がある。
なぜキリコが選ばれたのか。この祭りには、いまでは各地で珍しくなった一連の作法がまとまった形で残っている。神を先導する灯り、水辺のお旅所への渡御、柱松明の点火という流れは、火と水による清めをめぐる民間信仰に根ざしている。神社側の記録にはキリコについての記述がほとんどない。灯籠はあくまで氏子=町民の側が担ぎ出すものだったためで、それゆえ生きた行事そのものが貴重な手がかりになる。
平成27年(2015年)には、この習わし全体が「灯り舞う半島 能登 〜熱狂のキリコ祭り〜」の名で日本遺産に認定された。日本遺産は個々の文化財を保護する制度ではなく、地域の物語を発信する枠組みであり、二つの認定はそれぞれ別の役割を担っている。
狙って訪ねたい祭り
シーズンの口火を切るのが、7月初めに能登町宇出津で行われるあばれ祭である。キリコ祭りのなかでも飛び抜けて荒々しい。寛文年間(1660年代)、漁港の宇出津に疫病が流行した際、京都の祇園社から牛頭天王を勧請したところ、大きな蜂が現れて病人を刺すと病が治ったという。地元の人々はこれに感謝してキリコをつくり、担いで練り回ったのが始まりとされる。今日では高さ約7メートルのキリコ約40基が5本の柱松明の周りで乱舞し、2基の神輿が海へ、川へ、火の中へと投げ込まれる。荒く扱うほど神様が喜ぶと言い伝えられている。この祭りは石川県の無形民俗文化財にも単独で指定されている。
高さで言えば、珠洲市鵜飼の宝立七夕キリコまつりに並ぶものは少ない。7月最終土曜、約100人の若い担ぎ手が、高さおよそ14メートル・重さ2トンのキリコ6本と小ぶりな1本を海辺へ運ぶ。夜が更けると、沖に灯した松明を目指して灯籠を海の中へと進め、その背後で花火が水面に弾ける。
日程を選べば、別の見どころも待っている。9月10日・11日の珠洲・蛸島キリコ祭りでは、漆と金箔で仕上げ細かな彫物を施した16基のキリコが巡行する。二百年を超える地元の意地の産物だ。各地区が自分たちの灯籠を半島一に仕立てようと競うため、大きさも装飾も気性も、二つとして同じものはない。
能登を訪ねる前に、地震が変えたこと
正直な旅の計画は、近年の出来事から始めるほかない。令和6年(2024年)元日の能登半島地震と、同年9月の豪雨は、この地域に大きな打撃を与えた。多くの祭りが中止や規模縮小を余儀なくされたが、それでも約70地区が祭りを実施し、夜空にキリコを立ち上げて復興へののろしとした。石川県は令和7年度から、住民が減った地域の祭りを支えるため、担ぎ手や運営スタッフのボランティアを募り始めている。訪問を考えるなら、出発前にその年の日程を当該の市町や神社に確認してほしい。
祭りのない時期にキリコを知る場所として親しまれてきたのが、輪島マリンタウンの輪島キリコ会館である。約30基の灯籠を展示し、なかには高さ15メートル近いものもあり、館内には祭り囃子が流れる。ただし最新の情報では、2024年の地震の影響で休館が続いている。訪ねる前に公式サイトで再開状況を確認したい。通常は年中無休で9時から17時、大人の入館料は630円ほどである。
キリコ祭りは地区によって7月から10月にかけて行われ、夏に最も集中する。半島へのアクセスには計画が要る。鉄道は金沢から北へ向かうほど便が薄くなり、海沿いの町は車か路線バスで結ぶのが現実的だ。一夜の祭りに旅を合わせられれば、その一晩が昼間の観光一週間にまさることも珍しくない。
Q&A
- 「能登のキリコ祭り」は一つの祭りですか。
- いいえ。能登半島の約200地区が行うキリコの祭りの総称です。それぞれ日程も神社も様式も異なるため、町ごとに体験は変わります。
- キリコとは何ですか。
- 木枠に組んで肩で担ぐ大型の灯籠で、神輿の道中を照らす役割を持ちます。切子灯籠が名の由来で、地域によってはホートー、オアカシとも呼びます。大きいものは高さ14〜15メートル、重さ約2トンに達します。
- 見に行くなら、いつが良いですか。
- 多くは7月から10月で、7月・8月に集中します。7月初めのあばれ祭がシーズンの先陣を切り、7月末の宝立七夕キリコまつりは灯籠を海に入れることで知られます。
- 2024年の地震のあとも訪問できますか。
- 多くの地区が祭りを再開しており、来訪は歓迎されますが、日程やアクセスは年によって変わります。まず当該の市町や神社で日程を確認してください。輪島キリコ会館は地震以降休館中です。
- なぜ個々の祭りではなく習わし全体が国の対象になったのですか。
- 1997年の選択は、一団体の行事を保護するのではなく、能登に共有された習わしとして全体を詳細に記録する趣旨です。あばれ祭など、いくつかの祭りは別途、県の指定も受けています。
基本情報
| 名称 | 能登のキリコ祭り(のとのきりこまつり) |
|---|---|
| 所在地 | 石川県・能登半島(約200地区) |
| 区分 | 記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(国選択) |
| 選定年月日 | 平成9年(1997年)12月4日 |
| 保護団体 | 特定せず |
| 関連認定 | 日本遺産(平成27年・2015年)「灯り舞う半島 能登 〜熱狂のキリコ祭り〜」 |
| 祭りの時期 | 7月〜10月(夏に集中) |
| 備考 | 2024年の地震・豪雨により日程に影響。各市町・神社へ要確認。輪島キリコ会館は2024年以降休館中。 |
参考文献
- 能登のキリコ祭り — 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/161401
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/312/685
- あばれ祭 — 日本遺産「灯り舞う半島 能登 〜熱狂のキリコ祭り〜」
- https://notokiriko.ishikawa.jp/kiriko/jp/kiriko/abare.php
- あばれ祭 — 能登町公式サイト
- https://www.town.noto.lg.jp/kakuka/1009/gyomu/20/1/1258.html
- 輪島キリコ会館(公式)
- https://wajima-kiriko.com/
最終更新日: 2026.06.03