家々を訪ねて舞う、黒森神楽という伝統

毎年1月3日、宮古市の黒森山にある黒森神社から、十数人の一行が旅に出る。彼らが携えるのは権現様と呼ばれる二頭の獅子頭で、その中には黒森神社の神霊が移されている。一行はそこから30日から40日をかけて三陸沿岸を下り、漁村や農家に立ち寄っては、家の戸口で、墓の前で、灯りのともる座敷で舞を続ける。

これが黒森神楽である。舞台に客を集めて演じるのではなく、神楽の側が人々の家を訪ねて廻る。この巡行のかたちこそ、黒森神楽を全国の数ある神楽と分かつ最大の特徴といえる。

黒森神楽は平成18年(2006年)3月、国の重要無形民俗文化財に指定された。舞を伝えているのは黒森神楽保存会で、15名ほどの会員が演目・囃子・儀礼の知識を分かち合いながら受け継いでいる。

修験の山伏から、廻り神楽へ

黒森神社は、宮古市街地の北、海に近く立つ標高約330メートルの黒森山の中腹に鎮座する。海に面しているため、黒森山は古くから航海の目印にもなってきた。山麓の遺跡からは奈良時代のものとみられる仏教法具が出土しており、文字の記録が残るよりはるか前から、この山が信仰を集めていたことがわかる。

社に伝わる14世紀の棟札からは、黒森神社が中世以来の歴史をもつことが確認できる。明治以前は黒森観音、黒森大権現社などとも呼ばれ、山伏が行をおさめる修験の場であった。黒森山で修行を積んだ山伏たちこそが、この神楽を周辺の村々へと携えていった担い手である。

黒森神社には20頭を超える獅子頭が伝わる。そのうち最も古い銘をもつものには文明17年(1485年)の年号があり、室町時代にはすでに獅子頭が社の儀礼に用いられていたとされる。権現様による地域巡行の記録は17世紀末のものが残り、宝暦8年(1758年)にまとめられた帳簿からは、延宝年間(1673〜81年)以前から沿岸の村々を廻っていたことが読み取れる。三百数十年にわたって、この舞は道の上を歩き続けてきた。

なぜ国の重要無形民俗文化財に指定されたのか

無形民俗文化財として評価されるのは、建物でも器物でもなく、現に営まれている習俗そのものである。黒森神楽には、文化庁が注目した三つの特質がある。

一つは巡行の規模である。一行は隔年で、宮古市北方の岩泉町・田野畑村・普代村・野田村から久慈市までを廻る北廻りと、南方の山田町・大槌町から釜石方面へ下る南廻りとを交互に行う。これほど遠くまで、これほど長く旅をする神楽は全国にほとんど例がなく、その範囲は江戸時代初期からほぼ変わっていない。

二つめは儀礼の厚みである。黒森神楽は娯楽の芸能にとどまらない。舞手は浄め、供養、火伏せの祈祷、新築や新造船の祝いといった祈りの舞を担う。これらの儀礼は、かつて同じ道筋を歩き、旦那場の家々を頼りにした修験者の習わしを今に受け継いでいる。

三つめは演目の豊かさである。夜神楽の演目だけで39番にのぼり、その内容は日本神話に基づくもの、能と関わるもの、狂言のようにせりふを中心に運ぶものへと広がる。この幅の広さは、日本の芸能がどのように変化し伝播したかをたどる手がかりとなる。こうした点から、黒森神楽は芸能の変遷過程と地域的特色を示す貴重な民俗芸能と位置づけられている。

見どころ

黒森神楽の一日は二つに分かれる。昼は家から家へと廻り、夜は一軒の宿に落ち着いて、じっくりと演目を披露する。

昼の訪問は短く、目的がはっきりしている。戸口では家内安全を願う「門舞」、墓前では死者を慰める「墓獅子」が舞われる。新築の家には「柱固め」があり、ここでは権現様が家の柱を噛む所作を見せて柱を堅固にする。新しい漁船には船のための祝いがある。舞う権現様の口元に注目したい。獅子の歯を高く打ち合わせる音そのものが祓いの所作で、災いを払う意味をもつ。

昼の儀礼の中でも印象に残るのが「シットギ獅子」である。舞手は宿の入口に臼を据え、米粉を練ってシットギと呼ばれる柔らかいものをつくる。剣や杵、しゃもじを手にした舞手が臼の周りを廻り、おかめ・ひょっとこの面をつけた滑稽な役も加わる。舞が終わると、舞手はそのシットギを見物人の額や頬につけて廻る。人々はこれを厄払いのオマブリ(お守り)として喜んで受ける。

夜の演目は夜神楽とも呼ばれ、ここで一行の力量があらわになる。39番の中からその夜は12番ほどが選ばれる。はじめに神を招く歌と、太鼓・笛・手平鉦による囃子があり、前半には儀式的な舞が据えられる。夜が更けるにつれて雰囲気はやわらぎ、女性や武士を主人公にした演目、滑稽な演目が続く。舞は動きが速く、時に高く跳び上がる活発なものが多い。

最後まで残れば、権現様はあなたのところへもやってくる。終わりの舞で獅子頭は座敷を廻り、その場の一人ひとりの頭をやさしく噛む。来る年の無病息災を願う祝福の所作である。

神楽を見るには、訪ねるには

一行が旅をするため、特定の住所を訪ねれば舞が見られるというものではない。経路は北廻りと南廻りで年ごとに変わるので、まずは宮古市の観光協会や市の文化財担当に、その年の日程と神楽宿の会場を問い合わせるのが現実的である。

見学しやすい機会は二つある。秋には保存会が伝承活動の一環として「神楽祭」を黒森神社の近くで催す。新春の時期には、休暇村陸中宮古などの会場で鑑賞会が組まれ、日帰り・宿泊のプランで囃子と舞を間近に見ることができる。

季節を問わず予備知識を得たいなら、山口公民館内の黒森神楽展示室がよい。獅子頭や衣装、巡行を伝える視聴覚資料が展示され、入館は無料である。黒森神社自体は7月に例祭を行う。

宮古は長く滞在する価値のある町でもある。市を代表する景勝地は浄土ヶ浜で、白い火山岩と澄んだ海が連なる三陸海岸の見どころの一つに数えられる。この海沿いには三陸鉄道が走り、漁師町を結ぶ列車に乗れば、神楽の一行が世代を重ねて歩いてきた海岸の姿が見えてくる。

Q&A

Q黒森神楽はどのような芸能ですか。
A神に捧げる舞である神楽の一種で、東北地方の山伏神楽の流れをくみます。かつては修験の山伏が担い手でした。固定した舞台で演じるのではなく、神霊をうつした獅子頭を携えて沿岸の村々を巡り、昼は家々で祈りの舞を、夜は儀式的・演劇的な演目をまとめて披露するのが特徴です。
Q見学はできますか。いつ見られますか。
A少し準備は要りますが見学できます。冬の巡行は1月3日から1か月ほど続き、その時期に沿岸の会場で鑑賞会が組まれることがあります。黒森神社近くで秋に催される神楽祭は、まとまって見られる機会として比較的わかりやすいでしょう。出かける前に宮古市の観光協会で最新の日程を確認してください。
Q権現様とは何ですか。なぜ獅子頭が頭を噛むのですか。
A権現様は、黒森神社の神霊を移した獅子頭です。単なる小道具ではなく、神そのものとして扱われます。演目の終わりに人の頭を噛むのは祝福の所作で、その人の来る年の健康と加護を願う意味があります。
Q一行は毎年どのくらいの距離を巡行するのですか。
A岩手の沿岸を長く下る巡行です。北廻りの年には久慈市あたりまで、南廻りの年には釜石方面まで足を延ばします。1月3日に黒森神社を出発し、道中の民家や会場に泊まりながら、30日から40日後に社へ戻ります。
Q見る前に学んでおきたいのですが、どこへ行けばよいですか。
A宮古市の山口公民館内にある黒森神楽展示室がよい出発点です。獅子頭や衣装、巡行を伝える映像資料が展示され、入館は無料です。先に訪ねておくと、実際の舞を見たときに儀礼や演目の流れがずっと理解しやすくなります。

基本情報

名称黒森神楽(くろもりかぐら)
所在地岩手県宮古市山口の黒森神社を拠点とし、巡行は三陸沿岸一帯に及ぶ
指定区分重要無形民俗文化財(民俗芸能・神楽)
指定年月日平成18年(2006年)3月15日
保護団体黒森神楽保存会
演目夜神楽の演目は39番、うち一晩に12番ほどを披露。ほかに昼の祈祷の舞
巡行北廻り・南廻りを隔年で実施。1月3日に出発し、30〜40日をかけて巡る
公開冬の巡行に伴う鑑賞会、秋の神楽祭など。日程は変動するため宮古市観光協会に確認
関連施設黒森神楽展示室(宮古市・山口公民館内、入館無料)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 黒森神楽
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/00000818
文化遺産オンライン(文化庁) 黒森神楽
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/137337
いわての文化情報大事典(岩手県) 黒森神楽
http://www.bunka.pref.iwate.jp/dentou/kyodo/shousai/geinou_014.html
三陸防災復興プロジェクト 黒森神楽秋季公演「神楽祭」
https://sanriku-project.jp/event/article.php?p=616

最終更新日: 2026.05.22