修験の祈りが息づく、和賀の神楽

毎年一月一日と九月十五日、岩手県北上市和賀町煤孫の集落で、面と採り物を携えた舞い手たちが地元の神社へ集まる。一曲を舞い終えるごとに、誰かが法螺貝を手に取り、低く長い音を堂内に響かせる。舞い手が手にするのは、各地の里神楽でよく見かける鈴ではなく、僧が携える錫杖である。

この二つの所作が、煤孫の大乗神楽の性格をよく示している。これは、修験道の作法をほとんど薄めることなく今に残してきた村の神楽である。

神楽とは、神々に捧げる舞の総称をいう。岩手の山間部では、修験の行者である山伏たちの手によって山伏神楽と呼ばれる系統が育った。大乗神楽はその一系で、北上市と花巻市にまたがる旧和賀郡一帯に伝えられている。煤孫の神楽はそのなかでもとりわけ祈祷色が強く、広い地域名をとって和賀大乗神楽とも呼ばれる。

中世の寺院から、幕末の再興へ

口伝はかなり古くまで遡る。一説には、正和四年(1315年)、玉木明介という僧が京都東山の修験道の中心であった聖護院での修行を終えて煤孫に帰り、貴徳院という寺を開いたのが起こりとされる。そこで舞われた神楽は貴徳院法印神楽と呼ばれた。ただし、その年代をそのまま史実とみなすことは難しい。保存会自身の伝承では中世末に遡るとし、国の文化財記録には開創年が記されていない。十四世紀の起源は、確かな記録というより地域に大切に語り継がれてきた由緒として受けとめるのがよい。

文献の上で輪郭がはっきりしてくるのは十九世紀である。記録によれば、旧南笹間村(現在の花巻市)にあった萬法院を中心に神楽が行われており、複数の社中が集う大乗会が、嘉永二年(1849年)に萬法院で、明治八年(1875年)には北上市の自性院で開かれている。

現在へとつながる伝承の起点は、より明確である。慶応の末、おおむね1867年ごろ、佐藤寅次郎が萬法院の山伏から手ほどきを受け、久しく途絶えていた貴徳院の神楽を再興した。これが今日の和賀大乗神楽のはじまりと位置づけられている。

分類が定まるまでには、近代に入ってからも時間を要した。昭和四十九年(1974年)、煤孫の神楽は花巻市の社中とともに、山伏神楽として県の文化財に登録された。その後の調査研究によって、大乗神楽と一般の山伏神楽が系統として分かれていることが明らかになり、登録はいったん解かれ、花巻の山伏神楽と和賀の大乗神楽とに区別して指定し直された。

記録すべき民俗芸能として

昭和五十三年(1978年)十二月八日、国は煤孫の大乗神楽を、記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選定した。これは正式な指定の一段手前に位置づけられる区分で、丁寧に記録を残すべきと判断された伝承を示す。国としての重要性を認めると同時に、その記録を急ぐべき脆さを抱えた芸能であることをも意味することが多い。伝承を守る役割は煤孫大乗神楽保存会が担っている。岩手県内では、和賀地方の五つの社中からなる和賀の大乗神楽の一つとして、県の指定も受けている。

この神楽の価値は、古い宗教的な技法をどれほど多く残しているかにある。演目は三十三種を数え、神は仏が姿を変えて現れたものとする中世以来の本地垂迹の考え方を土台とする。舞が進むなかで、それぞれの神の背後にある本地仏が名指しで語られる。所作はさらにこれを徹底する。舞い手は加持祈祷に用いる九つの手印、すなわち九字を結び、手の運びや踏み足は舞台効果ではなく修験の作法に従う。七日間の参籠を経て法印の位を得た者でなければ舞えない演目もある。儀礼の規律をこれほど表に保つ神楽は数少なく、それこそが昭和五十三年の選定が守ろうとした性質であった。

見どころ

大乗という名は、母体となった法印神楽で舞台中央に吊るされた天蓋に由来する。本来の舞台飾りは厳密で、舞庭の四隅に忌竹を立て、一方に天神宮をまつり、鬼門(東北)と裏門(南西)の隅に釜を据え、太い注連縄を張ったという。

三十三の演目のなかで最も重んじられるのが、獅子頭による権現舞である。彫られた獅子頭は神仏が現世に現れる依り代であり、その力によって災いを祓い、火を防ぎ、五穀豊穣と無病息災を祈る。仏教の説話に取材した演目も多い。榊舞は、五大明王の一尊で西方を守護する軍茶利夜叉明王の舞で、祈祷舞のなかでも最上位とされ、法印に限られる演目の一つである。鐘巻は、長者の一人娘が女人禁制の寺に立ち入り、禁を犯して邪なものと化し、最後は僧の祈りによって成仏へと導かれる物語で、名高い道成寺伝説に近い。龍殿は、面をつけた二体の龍神が対峙する勇壮な太刀舞で、魔を鎮める意がこめられている。

岩手のほかの神楽を知る人なら、隣接する花巻市の早池峰神楽との違いに気づくだろう。早池峰神楽が速く、神道色の強い「動」の神楽だとすれば、大乗神楽はその対をなす静かな神楽であり、所作はゆるやかで、何より仏の教えを伝えることに重きを置く。一曲ごとに鳴らされる法螺貝は、山の祈祷から受け継いだ習いであり、その緩やかな調子を定めている。

北上をめぐる

煤孫は北上市の西部、和賀町の農村地帯にあり、この神楽は見物のために演じられるものではなく、小さな集落の暮らしに根ざしている。確実に見たいのであれば、市内の民俗芸能の催しに足を運ぶのがよい。北上市は全国でも有数の民俗芸能のさかんな土地で、伝承団体の数は日本でも屈指とされる。毎年八月の北上・みちのく芸能まつりには百を超える団体が集まり、煤孫の社中も冬の神楽の集いやみちのく民俗村まつりなどに出演している。

同じ旅程で、もう少し長く滞在する楽しみもある。地元で最も知られた芸能は、仏の化身ともいわれる鬼の面をつけた踊り手が勇壮に舞う鬼剣舞である。北上川沿いの展勝地は、東北を代表する桜の名所として春に賑わう。みちのく民俗村は古い農家を野外に移して保存し、鬼の館は地域の鬼の面や伝承を専門に扱う博物館である。

Q&A

Q煤孫の大乗神楽は、いつ、どこで見られますか。
A一月一日と九月十五日に煤孫の地元の神社で舞われますが、これは観光行事ではなく集落の祭祀です。旅行者には、北上市の民俗芸能の催し、とりわけ八月初旬の北上・みちのく芸能まつりが見やすい機会となります。日程は年によって変わるため、訪問前に市の観光案内で確認してください。
Qほかの神楽と、どこが違うのですか。
A多くの神楽は神々に捧げる舞として鈴を採り物とします。大乗神楽は、山の行者の宗教である修験道の刻印をはるかに強く残しています。舞い手は鈴の代わりに錫杖を持ち、修験の作法に由来する手印を結び、一曲ごとに法螺貝を吹きます。演目は仏教の考え方を土台とし、その調子はゆるやかで瞑想的です。
Q「大乗」とは、どういう意味ですか。
Aこの語は、母体となった法印神楽で舞台中央に吊るされた天蓋に由来し、やがて旧和賀郡に伝わるこの系統の舞全体を指す名となりました。同じ字は大乗仏教を表す語でもあり、仏教色の濃いこの伝承の性格にもよく合っています。
Q日本語や仏教の知識がないと楽しめませんか。
Aそのようなことはありません。面や装束、太鼓の調べ、法螺貝の音が、それだけで見る者を引き込みます。演目について少し知っておくと理解はさらに深まります。獅子頭による権現舞は加護と豊作を祈る舞であり、鐘巻のような演目は人の迷いと救いの物語を伝えます。可能であれば、舞の前に短い解説を聞いておくとよいでしょう。
Q北上へはどのように行きますか。
A北上市は東北新幹線の沿線にあり、東京からおよそ二時間半から三時間です。車であれば東北自動車道の北上江釣子インターチェンジから近く、煤孫の集落は市街地の西側に位置します。神社まで足を運ぶには、車か地元のタクシーが現実的です。

基本情報

名称煤孫の大乗神楽
所在地岩手県北上市和賀町煤孫
区分記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(選択無形民俗文化財)
選定年月日昭和五十三年(1978年)十二月八日
保護団体煤孫大乗神楽保存会
種別民俗芸能(山伏神楽・大乗神楽)
演目三十三種。権現舞、榊舞、鐘巻、龍殿、岩戸開、三番叟ほか
定例の上演一月一日・九月十五日に煤孫の地元神社で奉納。北上市の民俗芸能の催しにも出演
アクセス北上市。JR北上駅(東北新幹線)、または東北自動車道北上江釣子インターチェンジ

参考文献

文化遺産オンライン(文化庁) 煤孫の大乗神楽
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/136534
いわての文化情報大事典 和賀の大乗神楽
http://www.bunka.pref.iwate.jp/archive/hist463
岩手県立図書館 企画展「いわての神楽」
http://www.library.pref.iwate.jp/ex/2021_kagura/main/02.html
北上観光コンベンション協会 きたぶら 和賀大乗神楽保存会
https://kitakami-kanko.jp/location/wagadaijou/

最終更新日: 2026.05.22