本堯寺松平頼該霊廟とは

本堯寺松平頼該霊廟は、香川県高松市西山崎町の法華宗の寺院・本堯寺の境内にある、高松藩松平家一門の松平頼該を祀る明治元年(1868年)の霊廟建築で、令和元年(2019年)12月5日に国の登録有形文化財(建造物)となった。読みは「ほんぎょうじまつだいらよりかねれいびょう」(文化庁)。

文化庁の記録では、木造平屋建、瓦葺、建築面積16平方メートル、無縫塔付。明治42年(1909年)に改修された。登録番号は37-0444、所有者は本堯寺である。

松平頼該と本堯寺

高松市の文化財学習会の資料(2012年)によれば、松平頼該は文化6年(1809年)に第8代高松藩主松平頼儀の長男として江戸小石川の藩邸に生まれた。通称を左近、雅号を金岳といい、生母の影響で幼いころから法華宗を篤く信仰した。

同資料によれば、慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いで高松藩が朝敵とされると、頼該は藩内の異論を抑えて朝廷への恭順を示させた。同年8月に60歳で没し、遺命により本堯寺の境内に霊廟が建てられた。香川県埋蔵文化財センターの講座資料(2019年)は、法華宗を篤く信仰したため松平家の菩提寺の法然寺には葬られなかったと考えられるとしている。

本堯寺は天正年間(1573〜92年)に羽床氏ゆかりの寺として始まり、宝永〜正徳年間(1704〜16年)ごろに現在の西山崎に移ったと伝わる。境内には頼該とその一族の墓所がある(高松市文化財学習会資料)。

登録有形文化財としての価値

本堯寺松平頼該霊廟は「造形の規範となっているもの」として登録された。文化庁の解説は、複合社殿形式の武家の廟所の遺例として希少であると評価している。

見どころ

文化庁によれば、無縫塔の墓石に一間四方の本瓦葺の宝形屋根をかけて奥殿とし、四畳の寄棟造の拝殿と二畳の相の間でつなぐ。奥殿だけは丸柱に扇垂木として、意匠を変えている。

高松市の文化財学習会資料によれば、霊廟は本堂の北東にあり、本殿・釣屋・拝殿からなり、本殿の中央に高さ3メートルを超える大きな墓石を納める。

見学について

本堯寺松平頼該霊廟は寺院の境内にある墓所の建物である。見学の際は、参拝者や寺の方の妨げにならないよう配慮したい。

所在地は高松市西山崎町850-1。

Q&A

Q本堯寺松平頼該霊廟はいつ建てられましたか?
A明治元年(1868年)で、明治42年(1909年)に改修されています(文化庁)。
Q松平頼該とはどんな人物ですか?
A第8代高松藩主松平頼儀の長男で、通称を左近といい、幕末に高松藩を朝廷への恭順に導きました(高松市文化財学習会資料)。
Qどんな形の霊廟ですか?
A墓石に宝形屋根をかけた奥殿と、寄棟造の拝殿を相の間でつなぐ複合社殿形式です(文化庁)。
Qなぜ本堯寺に祀られたのですか?
A法華宗を篤く信仰した頼該の遺命によります(高松市文化財学習会資料)。
Q本堯寺松平頼該霊廟が登録有形文化財になったのはいつですか?
A令和元年(2019年)12月5日です。

基本情報

名称本堯寺松平頼該霊廟(ほんぎょうじまつだいらよりかねれいびょう)
所在地香川県高松市西山崎町850-1
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年令和元年(2019年)12月5日登録
員数1棟
寸法木造平屋建、瓦葺、建築面積16平方メートル、無縫塔付
所有者本堯寺
公開状況寺院境内(参拝時に外観を見学)

参考文献

本堯寺松平頼該霊廟(国指定文化財等データベース)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00013198
ふるさと探訪「堂山山麓に社寺を訪ねる」(高松市文化財学習会資料、2012年)
https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kosodate/bunka/bunkazai/furusato/kako.files/h2403furutan.pdf
香川の大名家墓所2 松平編(香川県埋蔵文化財センター考古学講座、2019年)
https://www.pref.kagawa.lg.jp/documents/15239/kouza-matudairabosho.pdf

最終更新日: 2026.10.14