地を這う梅、藤川天神の臥龍梅
藤川天神の梅は、立たない。幹は低く曲がって地面を伝い、太い枝が土に触れたところからは根が下り、やがて別の一本として立ち上がる。枝から株へ、株からまた枝へと広がってきた梅園は、何百本もの木が寄り集まったというより、ひとつの生きものが斜面をゆっくり這い進んでいるように見える。
この姿が名前の由来になった。臥龍梅。龍が伏したように幹が地を這う梅、という意味である。鹿児島県薩摩川内市の藤川天神に育つこの梅のうち、およそ五十五株が「藤川天神の臥龍梅」として、昭和十六年(一九四一年)十月三日に国の天然記念物に指定された。
藤川天神は、薩摩川内市の北西、東郷町の谷あいに鎮座する。祭神は学問の神として知られる菅原道真公で、地元では菅原神社とも呼ばれる。梅園は、その道真公の伝説と分かちがたく結びついている。
道真公の隠棲伝説と、一株から始まった梅園
菅原道真(八四五〜九〇三)は平安の朝廷で右大臣にまで昇ったのち、藤原氏の策略により失脚した。延喜元年(九〇一年)、九州の大宰府へ左遷され、二年後に同地で没したというのが、広く知られる歴史である。藤川に伝わるのは、そのあとの話である。
当地に残る言い伝えでは、道真公は大宰府で亡くなったのではないという。さらなる迫害を恐れて死を装い、ひそかに船で九州の海岸を下り、出水のあたりに上陸して内陸へと分け入り、当時は藤川北野と呼ばれたこの地で静かに余生を送った、と語られる。神社は、公の没後ほどなくこの場所に建てられたと伝わる。
梅園にも、この伝説の一筋がつながっている。梅花をことのほか愛した道真公が、みずから一株を植え、いまの梅園のすべてはその一株から繁茂したものだ、という。歴史と見るか、信仰と見るかはともかく、この伝承が場所のあり方を決めてきた。梅園はただの観賞用の植栽ではなく、生きた遺品として扱われている。
社殿そのものには、より確かな記録の歴史がある。天正十五年(一五八七年)、豊臣秀吉の九州平定の兵火で社殿は焼け、保管されていた文書も失われた。創建の年代がいまも定まらないのはそのためである。再建したのは薩摩の島津家で、正保四年(一六四七年)に島津光久が社殿を建て直し、文化年間、おおむね一八一五年ごろに大改修が行われた。現在の拝殿は平成十年(一九九八年)二月に建て替えられたものである。
天然記念物に指定された理由
国の天然記念物は、学術上または文化上重要な動植物などを保護する制度である。藤川天神の梅が該当するのは、名木・巨樹・老樹や栽培植物の原木、並木・社叢などを対象とする指定基準だ。一九四一年の指定は、一本の名木としてではなく、老梅が群れをなして地を這うという、まれな状態を評価したものだった。
当時の指定解説は、当時の文語で、この梅園が一本の木から育ち、地に着いた枝が根を下ろして新しい株となった経緯を記している。指定の時点で、その株は七十あまりを数えた。今日よく挙げられる数は五十五株前後で、八十年を超える歳月のあいだに、生きた記念物として自然に増減してきた結果といえる。
同じ解説は、最も大きな株の寸法も書きとめている。広がった枝はそれだけでおよそ二畝、二百平方メートルほどを覆い、根元の周囲は一・八メートル、地上〇・九メートルの高さでの幹回りは一・七三メートルあった。花は淡紅色の八重咲きで、香りが高いと記されている。
これらの記述は、いまの梅園にもよく当てはまる。老梅はめずらしくない。八重咲きの梅もめずらしくない。だが、巨樹となった梅が臥龍の姿に育った叢林は、めったにない。
訪れるなら、ここを見たい
梅が見ごろを迎えるのは二月中旬から三月上旬。淡紅色の花がほころび、甘い香りが境内に満ちる。梅の香りは、春の遅い花の重い匂いより澄んで軽く、風のない午後には思いのほか遠くまで届く。
梅園に入ったら、足を止めてほしい。幹が低く伏しているぶん、枝の天井も低く、頭のすぐ上に枝をいただき、花にほぼ包まれるようにして立つことができる。一本の幹を目で追えば、それが地に下りて根づき、また次の一本として立ち上がる継ぎ目が、しばしば見てとれる。梅園全体には約四十アールに約三百本の梅があり、指定された株は、そのなかで最も古く、最も深く臥した木々である。
藤川天神は、日々の信仰を担う現役の神社でもある。祭神が学問の神であることから、受験を控えた学生が合格を願って訪れ、正月には初詣の参拝者でにぎわう。梅の季節には、例年二月二十五日ごろに春の例大祭が開かれ、梅の木のあいだに屋台が並び、舞台の演芸も催される。社務所では御朱印を受けられ、梅と、ツンという名の犬の印が押される。その犬の話は、参拝の続きにふさわしい。
藤川天神の周辺
境内の参道脇には、一頭の薩摩犬の銅像が立つ。ツンと名づけられたこの犬は、ほかでもないこの藤川の地で育ち、地元の前田善兵衛から、明治維新の中心人物のひとりである薩摩の西郷隆盛に贈られ、うさぎ狩りの供とされた。地元の言い伝えでは、東京・上野公園にある名高い西郷隆盛像のかたわらの犬は、このツンをもとにしているという。藤川の銅像は体高六十センチのほぼ等身大で、彫刻家の中村晋也が手がけ、平成二年(一九九〇年)二月に除幕された。
あたり一帯は、ゆっくり一日を過ごすに値する。車で少し走れば、川内高城温泉がある。狭い一本道に木造の宿と店が並ぶ、古びた湯の集落で、アルカリ性の硫黄泉は古くから湯治客を集めてきた。共同浴場の入浴料は二百円ほどだ。東郷町には川沿いの親水公園とキャンプ場もあり、夏はそうめん流しでも知られる。
神社や周辺まで通う公共交通機関はないため、車での訪問が必要になる。駐車場は境内にある。
Q&A
- 梅が見ごろになるのはいつですか。
- 例年は二月中旬から三月上旬に咲き、見ごろの時期は天候によって年ごとに前後します。シーズン中は地元で開花状況が発信されますので、出かける前に確認すると安心です。二月中旬でもまだつぼみのことがあります。
- 臥龍梅とは、どういう梅のことですか。
- 老木になると枝が四方へ傾き、地面に触れたところから根づいて新しい株となります。その結果、幹が垂直に立ち上がらず、地面を横に這うようになり、その姿が伏した龍にたとえられました。臥龍梅という名は「臥した龍の梅」の意です。
- 藤川天神へはどう行けばよいですか。
- 薩摩川内市東郷町にあり、車での訪問になります。JR川内駅から車で約三十分、南九州自動車道の野田インターチェンジから約二十五分、鹿児島空港からはおよそ一時間二十分です。神社まで通うバス路線はありません。
- 拝観料はかかりますか。
- かかりません。神社と梅園は無料で参拝・見学できます。御朱印は社務所で受けられ、初穂料をおさめます。授与の時間はおおむね午前九時から午後四時ごろです。
- なぜ学問の神を祀る神社に犬の銅像があるのですか。
- 犬のツンは、道真公とは関わりがありません。ツンはこの藤川の地のうさぎ狩りの薩摩犬で、西郷隆盛に贈られました。上野の有名な西郷像の犬のモデルとされ、藤川天神の銅像は、その地元ゆかりを記念するものです。
基本情報
| 名称 | 藤川天神の臥龍梅(ふじかわてんじんのがりゅうばい) |
|---|---|
| 所在地 | 鹿児島県薩摩川内市東郷町藤川 |
| 指定区分 | 国指定天然記念物 |
| 指定年月日 | 昭和十六年(一九四一年)十月三日 |
| 指定基準 | 名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢 |
| 規模 | 指定された臥龍梅は約五十五株。梅園全体は約四十アールに約三百本 |
| 見ごろ | 二月中旬〜三月上旬 |
| アクセス | JR川内駅から車で約三十分。南九州自動車道・野田ICから約二十五分 |
| 料金 | 無料(境内に駐車場あり) |
| 問い合わせ | 藤川天神社務所 電話 0996-42-0753 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁) 藤川天神の臥龍梅
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/2991
- 薩摩川内観光物産ガイド こころ 藤川天神(国指定天然記念物「藤川天神の臥龍梅」)
- https://satsumasendai.gr.jp/spotlist/1844
- 鹿児島県観光サイト 藤川天神(臥龍梅)
- https://www.kagoshima-kankou.com/guide/10446
- 鹿児島県神社庁 藤川天神春祭と臥龍梅 薩摩犬ツンについて
- https://www.kagojinjacho.or.jp/tanbou/180/
- 薩摩川内観光物産ガイド こころ 西郷隆盛愛犬ツンの銅像
- https://satsumasendai.gr.jp/spotlist/1888
最終更新日: 2026.05.23